extra7 ゴールキーパーたちの夜〈4〉

 後半が始まってからの15分間は、まさに草壁次郎のために設けられたショータイムといっても過言ではなかった。

 まず後半3分、早々に訪れた相手フリーキックのピンチにおいて、目いっぱいに伸ばした片腕でゴールマウスの外へと弾きだす。同様に、後半12分にペナルティエリアのわずか外から打たれた強烈なミドルシュートも、体を投げだした横っ飛びで防いだ。

 試合を支配しているのは1点リードされている静岡ユナイテッドなのだが、いつしか弓立は「今日はあいつらの夜じゃなかったな」と思うようになっていた。何せ好機を量産されながらも得点される気がまったくしない。

 それほどまでに草壁の存在感は際立っていた。


「これだけ攻め込まれてんのに落ち着いて観られることってそうそうないわ」


「何だ弓立、おまえがうちのファンだったとは知らなかったぞ」


 からかってくる友近に「うるせえな、おれはジローさんを応援してるんだよ」と少々むきになりながら弓立が返事する。


「それにしてもどうしてあの人がサブなんだ? わかんねえな」


 今夜のゲームを観戦したかぎり、草壁のセービング能力は驚異的ですらあった。たまたま「当たっている」日だったのかもしれないが、それを考慮しても彼が控えに回されているというのは素直には承服しがたい。

 だが友近の反応は予想外にも軽い苛立ちを含んだものだった。


「おい、ちゃんとあの人のプレーを観てたか?」


「観てるからそう言ってんだろうが」


「なら気づくはずだ。自分と草壁さんとの違いをよく観察してみろ。力の差だとかそういうことじゃない、プレースタイルの違いをだ」


 現在のピッチでは珍しく姫ヶ瀬FCがボールを保持している。じっくりと焦ることなく時計の針を進めたい場面のはずだが、若手サイドバックの不用意な横パスをカットされてまたしても相手にボールを渡してしまった。

 しかも今度はちょうどラインを押し上げたタイミングで招いたピンチだ。危険度は非常に高い。案の定、静岡ユナイテッドは手数をかけることなくすぐに姫ヶ瀬ディフェンスラインの裏へと蹴りこんできた。

 ここでも草壁次郎は慌てずどっしりと構えている。


「あ」


 弓立の口から思わず声が漏れた。

 裏へと抜けてきた静岡ユナイテッドのフォワードがボールを受ける。草壁はゴールより少し前の位置からまだ動こうとしない。

 猛然と仕掛けてくるフォワード、動かない草壁。二人の距離は徐々に詰まってきた。一対一、シチュエーションとしては圧倒的に攻撃側が有利な局面だ。それでも草壁はまだじっと見ている。

 もういくらも二人の間に距離はない。先に決定的なアクションを起こしたのは静岡ユナイテッドのフォワードだった。ひとつキックフェイントを入れ、草壁の体勢を崩してからシュートを放つ。だが草壁の体の重心はまだ残っていた。至近距離からのシュートに対して抜群の反応を見せ、またも姫ヶ瀬FCの窮地を救ってみせたのだ。

 まさに鉄壁という他ない。ただしもしあの場に立っているのが自分だったら。

 弓立のそんな内心を見透かしたかのように、友近が「わかっただろう」と口にした。


「これはおれもよく注意されることなんだが」


 そう前置きして彼は言った。


「草壁さんの守備範囲は広くない。相手選手との一対一にめっぽう強いのは昔から変わらないが、今みたいな場合なら飛びだしていればそもそも一対一にならなかっただろう。弓立、おまえなら迷わず出ていったはずだ」


「まあ、そうだな」


 歯切れが悪いのを自覚しながら弓立は頷く。すでに彼にとって草壁次郎という人物は大きな存在となっていた。友近が冷静かつ公正に評しているのはもちろん理解しているが、それでもやはりあまり心地いいものではなかった。

 そんな心情が顔に表れてしまっていたか、友近に「誤解するなよ」と釘を刺された。


「言っておくが、おれはキーパーを始めた頃から草壁さんのファンだぞ。あの人に近づきたいとずっと望んできたのもあって、おれのプレースタイルはかなり草壁さんと似たものになっている。だからわかるんだ。ずっと待ち構えてゴールという家を守る、それ自体が過去のものとなりつつあることに。そして弓立、おまえはわかっていない。おれや草壁さんにはないものをすでに持っていることに」


 淡々と、しかし熱を込めて友近が語る。


「現代のゴールキーパーは11人目のフィールドプレーヤーと称されることが多くなった。味方からのバックパスを手で扱えなくなったうえ、最後方からのビルドアップにも加わることを求められるようになってきたからな。もちろん正確なフィードもだ」


 キックの精度、それは間違いなく弓立の武器だ。手を怪我していた間に技術を磨き続けたおかげで、今ではキーパー以外の部員たちともほとんど差がなくなってきている。


「迷わず飛びだしていける守備範囲の広さ、攻撃の組み立てにも積極的に関わっていけるキック。おまえは自分がどれだけモダナイズされたゴールキーパーなのかをわかっていない、そこが腹の立つところだ」


 ピッチではサイドを変えて静岡側のコーナーキックが二度続いたが、ここも草壁を中心として姫ヶ瀬FCがきっちりと守り切っていた。


「草壁さんはすでに自分のスタイルが時代遅れだとわかっている。それでもきっとあの人は自らピッチを去ったりはしない。ゴールを守っていてこそ、草壁次郎は草壁次郎たりえるのだから」


 右手を握りしめた友近は、その拳を左手の平に強く打ちつける。


「上へ行くぞ、弓立。おれたちだって草壁さんと同じさ。結局、あそこでしか震えるような感覚は味わえない。ならばより上を目指していくしかないだろう」


「友近くんも言うね」


 にやりと弓立が笑う。


「けどまあ、一度ゴールキーパーの魅力に取りつかれたらみんなそうなるか。榛名あたりにゃそのへんのことがわからねえんだ」


「うちのやつらも同じさ。痛くてきつくて、おまけにミスしたら言い訳できないってのが最高なのにな」


「そうそう。おれの後ろにはもう誰もいないって思うと、体中からアドレナリンが噴きだしてくんだよ。よっし、やってやるぜって」


 互いの実力を認めあう二人の若いゴールキーパーは、この試合が終わればまた敵同士であっても今夜ばかりは奇妙な連帯感で結ばれていた。

 そして、ともに敬意を抱く草壁へと声援を送る。


        ◇


 姫ヶ瀬FCは厳しいゲームを最後まで凌ぎ切り、1―0で勝利する。

 今夜のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたのはもちろんベテラン草壁次郎だった。すでに古びたスタイルであろうとも、彼の現役生活はまだまだ終わりを迎えていない。

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