第30話 分断して翻弄

「立ち上がりはまず落ち着いて相手の出方を見ていこう」


 それが鬼島中学イレブンが貝原から受けた指示だった。おそらくは暁平の意思でもあるだろうし、筧としても異論はなかった。

 けれども自分の認識が甘すぎたのを、キックオフの笛が吹かれていくらも経たないうちに筧は悟る。バレンタイン学院みたいに全体的に猛烈なプレスを仕掛けてくるわけではない。FCの標的にされたのは筧ただ一人だ。

 前から下げられてくるパス、後ろからビルドアップのために送られてくるパス、いずれも筧に渡らないようにコースが塞がれ、通ったら通ったですぐに複数のFCの選手が寄せてくる。そうなったら筧としても適切な出し先を探している余裕などなく、とにかくボールを失わないように手近な味方へと逃がしてやるのが精いっぱいだった。

 そして今度はその苦しまぎれのパスが狙われる。

 相手のインサイドハーフの選手にカットされ、すぐさまボールが背番号10を背負う兵藤へと受け渡される。筧とコンビを組んでいる井上和己がすかさず兵藤を前に行かせないよう縦のコースを切り、筧自身も追いすがって挟みこむ形とする。

 だが兵藤は焦らない。高い位置をとる要の後ろのスペースを突いてサイドへと開いている久我に目線を向ける。その仕草につられた井上の左足は半歩分動いてしまう。

 ここのタイミングを兵藤は見逃さなかった。井上の両足の間にボールを通すことで彼をかわし、鬼島中学ディフェンス陣にとって危険なゾーンへと侵入してくる。

 三人のセンターバックから安永が前に出てきて兵藤に対応する。それを確認してから、抜け目なくディフェンスラインの裏へと走りこんできた大和ジュリオに兵藤は寸分の狂いもないパスを出す。

 慌てた佐木川が右サイドへつり出されるが、ジュリオはあざ笑うかのように再びボールを兵藤へと戻した。安永のマークを一瞬だけ外した兵藤は、今度はワンタッチで柔らかく前方へと蹴りだした。

 まるで測っていたかのように絶妙なタイミングのリターンパスだった。スピードをぐいと一段階上げて佐木川を振り切ってきたジュリオが、そのまま左足で豪快にゴールへと叩きこむ。

 いかにキーパー弓立の反射神経が尋常でないとはいえ、これだけ守備網をずたずたに切り裂かれてはどうすることもできない。なす術はなかった。


 得点を決めたジュリオが喜びを爆発させ、天に向かって十字を切ってから両腕を飛行機のように横に広げて、そこらじゅうをジグザグに駆け回っている。

 前半まだ5分、無難な立ち上がりをするつもりだったはずが、想定とは裏腹に1点のビハインドを背負ってしまった。

 これほど早い時間帯に失点したのはいつ以来だろうか、と筧は思い返してみるが、記憶のどこにもそんな試合は見当たらない。

 つまり、自分たちはこれから未知の展開を戦っていかなければならないのだ。

 みんなもそれがわかっているのであろう、どうにも重苦しい空気が鬼島中学サイドに垂れこめていた。ただ一人、榛名暁平を除いて。


「1点くらいならどうってことはないさ。サッカーはな、15秒もあれば得点できる競技なんだぜ」


 こともなげにそう言ってのける。

 あえて意図してなのか朗らかな調子ではあるが、目はまったく笑っていない。内心では「すぐにやり返してやる」と思っているのが丸わかりだ。

 筧は暁平に声をかけた。


「ごめん。ぼくのところからやられた」


「いや、タクマのせいじゃない。これは戦術面の読み違えだ。向こうの監督、風貌はちょっとうさんくさいがけっこうなやり手だぞ」


 鬼島中学において筧は前線と後方とを繋ぐ、いわば橋のような役目を果たしている。その橋を押さえられて分断されれば、双方ともに孤立となってしまう。ここに打開策を講じないとこの試合に勝ち目はない。

 早くも最初の勝負どころがきたのを理解した筧は暁平に切りだす。


「キョウくん、作戦を変更しよう。このままじゃやばい」


「それはおれも思った。ロングボールを警戒させることでやつらのディフェンスラインをできるだけ押し下げたかったんだが、どうも悠長にやってる場合じゃなさそうだ。――おお、ちょうど先生からもGOサインが出たぞ。んじゃまあ、さっそくやつらにお返ししてあげるとしようか」


 自信ありげにそう言ってから、暁平はキャプテンとして他の選手たちにも同様の内容を告げにいく。

 そんな彼の背中を見ながら、筧は声には出せなかった言葉を口のなかで呟いた。


「兵藤くんの鮮やかなプレー、まるでリンちゃんが帰ってきたみたいだったね」


 FCで最も警戒しなければならない選手が誰なのか、得点に至る一連の流れで筧にははっきりとわかった。

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