第23話 心を決める〈2〉
病院の待合室というのはいつ来ても気が滅入る、と悠里は目をつむりながら居心地の悪さを感じていた。
暁平の付き添いでやってはきたが、考えてみれば彼女自身は特に衛田と親しいわけではない。病室へは暁平だけを行かせて、悠里はこの場所で彼が戻ってくるのを待っていた。
ここは鬼島地区からさほど離れていない総合病院であり、常にそれなりの数の人たちが行きかっている。そのなかで少し前に彼女は知った顔を見つけていた。
鬼島中学サッカー部の正ゴールキーパー、弓立敦宏だ。
弓立は悠里の存在に気づくとあからさまに「しまった」という表情になった。
相変わらず素直すぎる子だ、と思いながら悠里は彼を手招きで呼ぶ。
「んだよ。何か用かよ」
ポケットに両手を突っこんで弓立がいやいやながらやってきた。
「むしろきみが病院に何の用事があったのか、お姉さんはそれを聞かせてほしいな。ちなみにあたしは衛田の見舞いにきた暁平の付き添いね」
「付き添いってあんた、あいつの保護者かよ」
斜に構えた態度で煙に巻こうとする弓立に、彼が病院にやってくる理由に思い当たる節がある悠里は、有無をいわせぬ口調で告げる。
「弓立くん、手をポケットから出して」
「え、いやだ。おれに命令してんじゃ――」
「いいから出しなさい!」
声量こそ抑えていたものの、そのきつい言い方は振り向く周囲の人もいたほどだが、悠里は気にもとめなかった。
射抜くように目を逸らさず見つめてくる悠里に、とうとう弓立も観念してポケットから手を引き抜いた。
「やっぱり……」
彼の左手、その人差し指と中指には添え木が当てられ、かつ包帯が巻かれていたのだ。
「これ、折れてるんでしょ」
「んなもんすぐに治る」
悠里の言葉を弓立は否定しなかった。
バレンタイン学院戦における弓立のファインセーブについては、悠里もみんなから幾度となく聞かされた。それこそ耳にたこができるほどに。
小学校は違っていたが、ちょくちょく蹴球団に顔を出していた悠里と今久留主嘉明とはわりとよく会話をする仲だった。気は優しくて力持ち、を地でいく彼を「金太郎」と親しみを込めて呼んでいたくらいだ。とはいえ、あくまで小学生だった頃の話だ。
その今久留主の渾身のシュートを弓立はたった二本の指だけで弾いたのだという。何も代償がないはずがない。
今日、もし悠里が彼の姿を見つけていなければ、きっと弓立の負傷を誰も知らないままだったはずだ。そう悠里は確信していた。
「よくこんな指で決勝戦に出られたものね」
「おれがゴールを守らずにどうするよ。膝抱えてベンチで眺めてろってか? 冗談じゃねえ。ここまできたんだ、FC戦も全国もとにかく行けるところまで行ってやる」
「ふざけるのもいいかげんにして!」
息巻く弓立を悠里は叱りつけた。そしてそのまままくしたてる。
「全国大会が大きな舞台なのはわかる。でも姫ヶ瀬FCジュニアユースとの試合はいってみればただのエキシビションマッチじゃない。そこに何かを賭ける必要があるとはあたしにはとうてい思えない。全国大会までは治療に専念すべきよ。きっとキョウだってみんなだってそう言うはず」
だが、説得に応じるかと期待した悠里の視線の先で、弓立の顔にはまったく別の反応が浮かんでいた。
「あんた、案外あいつのことわかってねえんだな」
せせら笑うようにして彼は言った。
「今度のFCとのゲーム、榛名は死にもの狂いで勝ちにいくはずだ。衛田くんのことがあるからな。ようやく最近になっておれにもわかるようになったんだが、あいつはどこかで自分のプレーにリミットをかけている気がする。癪に障るが、周りのレベルと合わせるためにな」
弓立の言っていることはにわかには信じがたかった。
悠里が見ていたかぎり、いつだって暁平はフィールド上の誰より優れた選手だったからだ。それでもまだ暁平がすべてを出し切っていなかったというのか。
弓立は再びポケットに手を突っこんで、病院の出入り口へと体を向けた。
「たぶん、榛名は鬼になるだろうぜ。周囲との調和より自分の能力を優先させるのにもうためらいはないはずだ。いいか、あんたが心配すべきはおれじゃねえ」
わかったらおれの指のことは誰にもばらすんじゃねえぞ、と捨てゼリフのごとく言い置いて彼は去っていった。
その場に一人残された悠里は、自分の体を鉛のように重く感じながら、待合室のへたり気味のソファーに体重を預けてもたれかかっている。
いろいろと考えてみようとはしたものの、きちんとした形をとることなく思考の断片が頭のなかで消えてしまう。すっかりあきらめた悠里はただ時間が経つのをじっと待っていた。
それから程なくして暁平が戻ってきた。見慣れているはずの彼の姿を目にして、悠里はいつになくほっとする。
衛田の状態にショックを受けたのだろう、連れだって病院から出ていくまで暁平は何もしゃべろうとしなかった。
ようやく彼が口を開いたのは自転車の駐輪場までやってきたときだ。
鍵を差しこみもせず握ったまま、暁平は言った。
「いつだったか、お墓の前でのユーリの言葉通りだった。ただ勝つだけではどうにもならなかったよ」
悠里の名を口にはしても、目線は自転車へと落としたままだ。
「誰も彼も、二度と歯向かおうなんて気を起こさないくらい徹底的に、心まで叩き潰さないとだめだったんだ。やっとわかった。おれがもっとはっきりとした力の差を見せつけなければいけなかったんだ」
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