肝油ドロップ(8/8)

西に傾いた陽が窓の明るさを変え始めている。

途中一度の休憩を挟んだものの、私の頭はオーバーヒート気味だ。いや、私だけではなく、目薬を差す者、何杯ものコーヒーを飲む者、眼鏡を外して頬を叩く者……高齢な役員たちも限界に近づいた様相で、最年少の神崎だけが溌剌と討議に向き合い、自分のタフさを誇示するように笑顔を振りまいている。


「金森くんか……写真と履歴書を見ると、この子はなかなか期待できそうだね」

顎をさすりながら、社長がそう言うと、面接を担当した役員が「さすが、お目が高い!」と追従し、こちらに目配せして[進行のボール]を投げた。

役割どおり、私は金森俊太郎を解説していく。

1次2次の面接では緊張の色が濃かったこと、第一志望を強く打ち出していること。もちろん、息子の幼なじみなことを伏せたまま、列席者の評価を待つ。

「良さそうだけど、[態度能力特性]のバランスが悪いね」

検査結果をチェックして、管理部門担当の取締役が切り出した。普段は柔和な目を鋭くして、ロマンスグレーの髪を手櫛で梳いてから「最終面接ではどうだった?」と、周りの者に尋ねる。

役員面接は5対1のスタイルのため、社長はじめ、いまここにいる半分は金森俊太郎と対面していない。エントリーシートと私の報告、それに性格適性検査の結果だけを手がかりに判断しなければならないので、情報収集に積極的だ。

適性検査の結果は[総合診断表]というシートにまとめられ、定型のフォーマットにコンピュータが印字したものだった。8つの大項目に分かれ、数字やチャート表があますところなく明示されている。

管理部門の役員が注視したのは、[特性項目プロフィール]欄だ。5段階評価された13の小項目は、5と2の数字が多数を占め、3と4が極端に少ないものになっていた。

テストは、私の直属の部下が担当し、検査結果のシートもその者だけが厳重管理している。例年同様、上長の私でさえ、この場で初めて目にするマル秘資料だった。

最上段の氏名欄には、紛れもなく[カナモリシュンタロウ]と書かれ、生年を表す[1991]は洋介とひとつ違いで、30人の内定候補者の中では最も遅い誕生日だった。

「正直者だね」と、別の役員がポツリと発する。

[検査結果の信頼性]のふたつの項目――[信用尺度]と[回答態度]はどちらもA評価で、別項目に[2]が散見するのは、金森俊太郎が自分を偽ることなく、検査に向き合った事実を証明していた。

私は[態度能力特性]の[規律性]を見る。テスト内容は[規則を守る、倫理感があるなど、社会人として責任と自覚ある行動がとれるかどうか]というもので、金森俊太郎はその能力が低いと結論づけられていた。

卒然に、肝油ドロップの味覚を思い出した。園児ふたりの異なる表情――したり顔と泣き顔が脳裏をかすめる。


野球観戦の夜、あらぬ報告を受けた私は日本そば屋で激昂した。そして、洋介は父親の存在を否定するように家を出て行った。


「僕は面接したけど、グリグリの二重丸。ガッツがあって、たくましい奴です」

年長者に遠慮せず、神崎が自信にあふれた口調で発し、他人の意見を待たずに「テストの結果は微妙だけど、こういう人間は伸びると思うな」と続けた。

しかし、役員たちの意見は割れた。

私は立場をわきまえ、終始、彼らの討議を見守っていく。発言を求められれば、当たり障りなく応えるつもりだが、組織のルールに則れば、人事部長に発言の権限はない。取締役との間には、けして渡ることのできない河がある。

議論はひとしきり繰り返された。

これまでの学生の中でも1、2を争う時間が費やされ、やがて、形勢の見えないまま採決となる。

私の心臓は破裂しそうに動きを速めた。

まるで、息子の洋介が審査されている気分になり、髪の生え際に汗が滲む。

「では、採用に賛成の方は挙手をお願いします」

気持ちを鎮めて、私はゆっくりアナウンスした。

静寂に支配された会議室で、「はい」と、神崎が真っ先に手を挙げ、何人かがそれに続く。

5対5。初めてのケースだった。

隣りの役員がふうっとため息をつき、再討議を覚悟する感じで書類に手をかける。

判断に迷った私の視線が、意図せずに神崎と交錯した。苦虫を噛み潰し、胸の内で地団駄を踏む面持ちだった。

沈黙が時計の針をいたずらに回していく。

やがて、最高責任者である社長が咳払いし、神妙な眼差しで、私を捉えた。

「澤田くん、ここはどうだろう……人事部長のキミ自身が特別に投票権を持って、金森俊太郎君の合否を決めないか?」



おわり

■単作短篇「肝油ドロップ」by T.KOTAK

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短篇小説「肝油ドロップ」 トオルKOTAK @KOTAK

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