8 洗脳
「各務様・・・」
健太郎は時折そう呟きながらわたしを抱いた。
健太郎が抱いたのは各務だった。
わたしは各務であるし、各務はわたしであるから、結果わたしを抱いたのだが、「かるな」を抱いたのではなかった。
わたしは各務として健太郎に抱かれたことで、自分が昇華したような気がした。
各務は女になったのだ。
そのことが、わたしを高尚な気分へといざなった。
各務がグレードアップした。
「健太郎・・・」
隣で寝転がっている健太郎に呼びかけた。
「ん?」
健太郎が顔だけこちらに向けた。素っ裸である。
「ありがとう」
わたしも裸だが、布団に入っている。
「何が?」
無防備な格好の健太郎にわたしは話しかけた。
「各務としてわたしを扱ったでしょう?」
健太郎はドキッとしたようだった。「えっ」そう言ってうろたえているようだった。
「いいのよ。これからずっとそうして」
「え?」
「わたしを抱くときは、各務として抱いて」
「え、でも」
健太郎が何かを言おうとしたのを、わたしは遮った。
「各務を抱ける信者なんてひとりだけよ」
「・・・・!」
「あなただけよ」
健太郎は感銘を受けたような表情になった。
「・・・各務様」
そう呟いて健太郎は上半身だけ起き上がった。
そしてわたしをまっすぐ見て「光栄です」と言った。
信者の目だった。
わたしを慕う目だった。
わたしは喜びを覚えた。
これはきっと洗脳の喜びだ。
わたしは一番大切な人を、一番近いところに置けるよう、洗脳した。
洗脳、これこそが宗教の極み。
わたしは体育すわりをして、布団から出た足先を眺めた。
「うれしいか?」
足先を眺めながらそういった。
「はい、とても」
健太郎は即座にそう答えた。
わたしはそんな健太郎に目をやり、いつも健太郎がそうしてくれるように、健太郎の頭に手をやった。
そしてにっこり微笑むと、
「じゃ、浴衣着て寝ましょ」
と言った。
健太郎は何かが解けたように「そうだな」といって服を着だした。
そうして旅行が終わり、家に帰ると、あのメールの人、つまり健太郎からメールが着ていた。
健太郎がわたしを各務だと認識して依頼、初めてのメールだった。
「またこうしてあなたにメールを送ることにしました。やはり僕はあなたを慕っています。その気持ちに一転の曇りもございません。
各務様、あなたは僕に生きる希望を与えてくださる。
あなたと共に持つ秘密は、悦び以外何物でもありません。一生お慕い申し上げます。」
・・・洗脳完了。
わたしはそう思った。
たったひとりだが、わたしは完全に洗脳することに成功したのだ。
宗教者としてひとつ成長した。
健太郎の中で崩れかけていた「各務」を立て直すことに成功したのだった。
わたしは満足だった。
「それでこそわたしの民。わたしは嬉しい。わたしもわたしの行くべき道をゆく。」
わたしはそう送信した。
わたしは「各務」であってこそ「わたし」なのだ。
「各務」でないわたしなど、最早わたしではない。
わたしはそう確信した。
人生に糧を得たような気がした。
健太郎はまたすぐに「会いたい」と言ってきた。
旅行から1週間も経たないうちに。
大学では結構すれ違いの生活だったので、なかなか顔を合わせることはなかった。
そんな中、学校が終わった後、会うことになった。
「なんか、久しぶりだな」
「そう?」
わたしはそう言って笑った。
「スタバいこうぜ」
高校の頃からこれは変わっていない。会ったらまずスタバに行ってゆっくりするのだ。
健太郎はアイスコーヒー、わたしはカプチーノをそれぞれオーダーする。
品物を受け取り、席に着いた。
「いきなりでなんだけど」
「ん?」
「俺、各務様に会いたい」
わたしではなく、ということだ。
「いいよ」
「じゃあいこうぜ」
早々にわたしたちは席を立ち、ホテル街へと向かった。
「かるな」
「なに?」
「お前には悪いけど、今俺が欲してるのは各務様なんだ。悪いな」
「いいのよ」
何か悩みでもあるのだろうか。わたしは少し気になった。
ホテルに着き、部屋に入るとわたしはソファに座った。ラブホテルなんて初めてだ。
わたしは部屋を見渡していた。
本当にこの部屋の作りは、「やる」ためのつくりなのだな、と思った。
わたしの隣に健太郎が腰かけ、頭に手を回してきた。
「お前のことも好きだよ」
キスをする。
「それは忘れないで」
ぎゅっと抱きしめてくれた。
そして、健太郎は「各務様」と言った。ぎゅっとしたまんまだ。
「悩んでいます」
わたしはぎゅっとされながら黙って聞くことにした。
「美大を出ても働き口はあまりないと知った上で美大を選びました。好きな子と一緒の大学に行きたかったからです」
わたしは尚も黙っていた。
「でも、辞めて働こうかと思います」
えっ、とわたしは思った。
「それは間違っているでしょうか・・・」
わたしは困った。なんといってあげればいいのだろう。大学生活はまだ始まったばかりだ。これからも一緒に過ごしたい。しかしわたしは各務として考えた。
するとわたしの口からはするすると言葉が出てきた。
「己のゆく道は己で決めること。他の誰でもない、己の人生である」
「はい」
「己のゆくべき道が見えているものは幸運である。それを示されていない者は山ほど居るのだ」
「はい・・・」
「ゆくべき道はみえているか?」
「見えています。はっきりと」
「ならばそれにむかってゆくがよい」
健太郎はわたしをぎゅっとする力を強めた。
「ありがとうございます」
健太郎が学校を辞めてしまう・・・。確かに美大を出たからといって働き口は少ない。
健太郎は将来をきちんと見据えているのだろう。
わたしの口からするするでる言葉は、決して出任せなんかではない。
きちんとわたしの考えや概念に基づいて言っている。
だから今健太郎にした助言もわたしの考えなのだ。
健太郎はわたしからそっと離れると、キスをしてきて、わたしのブラウスを脱がし始めた。
わたしはそうされつつ、健太郎を愛しいと思った。
そして丁寧に丁寧に、健太郎は各務であるわたしを抱いた。
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