第15話
ぱちん、と頭の中で泡が弾けたような音にオーヴスはハッと眠りの淵から覚醒する。
光の精霊ルクシードが知らせた、何かの「異変」。炎の精霊に守られた炎は、まだ消えていない。正面でリリヴェルは紫水晶の装飾の施された剣を抱くようにして、座ったまま眠っていた。
視線と落として、意識が沈む寸前まであったフェブリスの無垢な横顔がないことに気づく。
「っ?!」
慌てて周囲を見回せば、背後に空に手を伸ばす様に両手をかざすセパレートカラーの頭。
白い衣装。フェブリスだった。どこかに消えたのかと一瞬ひやりとしたのだが、その姿を見つけ安堵に変わる。
「起きてたのかい、フェブリス」
「ああ、起こしてしまった? ごめんね」
ふと、どこかトーンの違いを感じ、オーヴスは小首を傾げる。
リリヴェルの眠りを妨げないよう、ゆっくりと立ち上がって歩み寄ると、くるりとフェブリスは右足を軸にターンして向き直る。
「さっき、閣下の蝶を触ってみたんだ。吃驚した。触れた瞬間に弾けて消えてしまうんだね」
「ああ、それでか。報せが聞こえたのは、フェブリスの悪戯だったわけだね」
「キフェルリリィ」
「え?」
くすりとフェブリスが笑う。それは今日見たどの笑みとも違い、どこか弱くて淡い。
「ぼくの名前。ほら、よーくみて、閣下」
すっと両手で両目を指さすフェブリス。暗くて色味がはっきりしないが、その瞳は今、同じ色をしている。薄暗い中、目を細めて覗き込むその瞳の色は……緑。
「……もしかして、君がフェブリスの言ってた、リリィ?」
「そう。キフェルリリィ。略してリリィ。女の子みたいって思ったかな。まぁまぁ、そう呼ばれてた時期もあるから仕方ないんだけどね」
「君たちは、二重人格っていう、関係なのかな?」
「そんなところ。あ、もともとぼくらはヘテロクロミアなんだ。だけどこうやって自我が明確に分離してからは、目の色がはっきり分かれてたみたい。役割とか、才能の差もね」
「……うーん」
曖昧に笑みを返し、オーヴスは頭の後ろをかく。長い黒髪が、指に引っかかった。
一度に多くの事が起きすぎて、処理が追いつかない。フェブリスですら理解しきれていないというのに、キフェルリリィと名乗る、もう一つの姿。
思考の追いつかないオーヴスの左手を、フェブリスの―今はキフェルリリィの小さな手が、ぎゅっと握りしめる。まるで温度を確かめるように。その手が脅威でないことを、しっかりとなぞるように。
「……うん」
「えーっと、キフェルリリィ?」
「リリィで良いよ、閣下。それと、今日の事は秘密だよ。まだ、ね」
「僕もまだ閣下と呼ばれるような存在じゃないよ」
「期待値だよ、閣下。ごめんね、まだ日が昇るには早いから、休もうね。これから二日は歩かなきゃいけないんだから」
確かに、フェブリスも三日はかかると言っていた。すんなりいけば、だろう。体は休めるに越したことはない。にっこりと屈託のない笑顔を見せて、キフェルリリィは手を離した。
「また膝借して、閣下。そしたらすぐ寝るよ。フェブリスも休ませてあげなきゃだからね」
疑問符だらけだ。だが、それでもオーヴスは頷いていた。元の位置に背中を押されて戻され、マントを引かれて腰を下ろす。
訳の分からないままのオーヴスの太腿を枕代わりに、再びころりと寝転がるキフェルリリィ。見た目以上に子どもっぽい所作に、混乱が増す。
「えへへ、ぼくのことは秘密だよ、閣下」
「え、あ」
「おやすみ。またね」
ぱちりと目を閉じ、そのままキフェルリリィは本当に眠ってしまった。まるで魔法が解けたように、表情にフェブリスの陰が戻る。
「キフェルリリィ、……リリィ、か」
さらりと、指通りの良い髪を軽く撫でる。身じろぎもしない。深い眠りへ落ちたのだろう。
「君たちを、僕は受け止められるのかな……」
何とはなしに、そんな不安が過ぎる。
世界は広いという。そしてそれだけ暮らす人々の様式も異なる。何も知らなかった自分を捨て、新たに得る見識。それはどう甘く見積もっても、楽な道のりではない。オーヴスは受け止めなければならない。世界と、そこに住まう人々を。
「……まだ、思いつめるには早いか」
たった二日。濃密過ぎた二日の疲れに、オーヴスはほどなく、再び意識を闇へ沈めた。
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