狐火の杜

白取よしひと

第1話

人の姿は絶え行き交う車もない真夜中の2時過ぎ、宮城県民なら皆様ご存知な稲荷社の闇がざわめいている。もはや桜はとげとなって暗天を刺し、こぼれ落ちた緋片は境内の敷石にべったりと貼り付いて春の終わりを告げていた。

仰々しく幾重にも重ねた朱色の鳥居を群れた疾風が潜り抜け、それが拝殿に至ると数多の妖しい狐火がボウっと白光を放ち御神領は白昼さながらの灯火ともしびで溢れる。


- 何事じゃ。


重々しいその声は本殿から聞こえてくる。数ある狐火の内、ひとつが消えて闇から着物姿の男童おとこわらべが現れた。四つ身に上掛けの町人のりだ。髪を頭の頂点できりりと結び、切れ長の目はその意思の強さを現していた。


「奥州のかなめ二又ふたまた様に申し上ぐる。我ら関に在する者三十七尾。決起の段にて二又様にお腰を上げて頂きたく見参致しました」

社の声が決起だと?と返すと同じく、カランカツと敷石を打つ音が響く。浮かび上がったのは、二人の禿かむろを従えた花魁おいらんだ。


- おお。板東童ばんどうわらべに花魁狐とは久しいの。


花魁は白い小首を傾げ口元に指を当てて社を流し見る。

「わちきらは長いこと忍んで参りんした。ここに集う同胞はらからと仇を討ちとうござんす」

怒りに満ちているのか、そう言うと御髪おぐしへ八方に刺したくしがぽろぽろと落ちて総毛立ち、口からは犬歯が鋭く伸び始める。


- まぁ待て。お主ら何を決起しようと云うのだ。


童はずいとまえに出て、死に絶えた仲間の仇を取り奪われた野山を取り返すのだと訴える。

「本土の住処を奪われ、今や遠く蝦夷地の仲間は人にへつらう始末。ここは神霊と化した我々が一矢報いるべき時!」

吐息が風に乗って聞こえた気がする。


- それが出来ると誠に考えておるのか。


「我らには力がある。いにしえ玉藻たまもの如くこの国を荒らすに荒らしてくれよう!」

笑止!その声と共に数多狐火は揺らぎ、花魁の髪もその威圧に流された。


- 玉藻の折は、余所者が幅を効かせてとお主らも憤っておったではないか。密かに人へ助力した者もあろう。


嘗て大陸より渡来し、玉藻と名乗ってこの国を乗っ取ろうとした九尾の狐。その記憶はこの者達にとって昨日の様に記憶に新しい。

「今や人方は法を忘れ去り物に頼る始末。人を牛耳るは赤子の首を捻るに同じでありんす」


- 何にしてもこの様な企て、ご本家がお許しになるまい。


すると別の狐火がま白なかみしも姿の武士に転じた。


- さても。大崎の白狐も参っておったのか。


頭を垂れた武士は二又に言上する。

「伏見殿には訴え申したが何事も語られませぬ。しかし二又様がお立ちになれば奥関州はもとより、日の本中の同胞がときをあげまする」

二又の神体と呼ばれる石が震え出した。今にもしめ縄が千切れそうだ。


- 我らは神だ。神は崇められるが故に力を維持できる。崇拝する者が尽きては神霊そのものも絶えるのが分からんのか。


白狐は被りを振った。我らは妖狐。人を欺きあやめてこの地を統べる者。社に大人しく鎮座しているなどは我慢ならんと怒気を発する。

「人が来る!」

誰かが発したその言葉に狐火は一斉に消え去り、境内は元の暗闇に包まれた。鳥居をひとつ、またひとつと潜り少女が歩いて来る。白シャツに赤のスカートで三つ編みを結った未だ幼い少女だ。真夜中の境内に不相応なその者は、拝殿に参るとまた静かに立ち去って云った。


 静寂に戻った境内に狐火が再び灯りだした。

「この夜更けに童が参るとは、ほんに面妖でありんすな」

人から見たらわしらの方がよっぽど面妖だと板東童が返すと花魁はあらまと声を上げた。集った狐火達から、ふふ、ふふふと笑い声が漏れる。

「この夜更け、あれが童は何を祈願され申した」


- いや。細やかな願い事よ。


そう返した二又は気を溜める様に一拍おいて皆に達する。


- 此度こたびの企てわしは絶対に許さん!もし今後も荒立たせるなら伏見ご本家と合し、その者の神霊の根を断ち斬るまで!


そう言い放つと二又は二つに裂けた尾を振るい烈風を放った。堪らぬ霊圧に方々からケーンと叫び声が上がる。一同それにあらがう事なく逃げ去ったのは云うまでもない。


 闇に沈んだ桜の陰、三つ編みの少女が浮かび出た。拝殿の前に歩を進めるとその白い面を上げる。そして笑みを浮かべると、鮮やかな紅の引かれたくちびるが耳まで裂け上がった。二又は恐縮し堪らず狐火となって石より出でた。

「これは伏見のご本家様。お久しゅうございます」

「ははは。奴らを邪険に扱ったものだから様子を見に来ればこの始末か」

笑うその口からは蛇舌の如く枝分かれした舌が伸びる。

「お恥ずかしい限りでございます」

「あの者たちの心根を分からぬではない。しかしな」

少女は境内を見回した。そして遠く闇を透かす様に半眼となる。

「一人でも我らに願を掛ける者がいる内はその者たちを見守ろうではないか」

「その通りでございます」

「人々が我らを見限った際は」

「御意」


 やがて境内から少女とひとつの狐火が消えた。誰も知らない真夜中の出来事である。春の暁は瞬く間にやって来る。じきに空は白み始めるだろう。

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狐火の杜 白取よしひと @shiratori

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