任務5 口は災い大帝シツレインのコア

 ココア…ここは、人々の尊厳と自由を取り戻すため、日々嵐のように激務をこなす人助け研究所本部。バツ印のついたマスクをつけた冴子は、無言で円卓の上に広げた数学の問題集を解いていた。店内の清掃を終えたマスターが奥の部屋に入ってきて、冴子に紅茶を出す。コクと風味が際立つ、冴子お気に入りの、ファイブロースペシャルブレンドティーである。数式を書く手を止めてマスクを上にずらし、冴子はミルクの甘い香りに誘われて、ティーカップを手に取り、一気に飲み干した。熱が喉を下っていく感覚を楽しみながら、冴子は空になったカップをマスターに差し出した。

「美味い!おかわり!」

「はいはい。」

カップを受け取ったマスターは、のそのそと台所へと入っていった。入れ替わるように、コップにゆで卵を入るだけ入れた所長が、冴子の横にゆっくりと腰を下ろした。

「学生さんは、定期的に試験があるから大変だよねぇ。」

スプーンでゆで卵を崩し、ぐちゃぐちゃになったところでケチャップを適量注ぎ、全体に染み渡るように混ぜた。冴子はマスクで鼻を覆ったまま、再び問題集に目を向ける。

「学業は学生の本分だからな、致し方ないさ。何より、子猫ちゃんたちの思い描く理想的な私を保つためにも、この戦い、負けるわけにはいかない!」

冴子は、常に学年トップを維持し続けるスタディアスリートなのだ。彼女にとって、頂点を譲るということは、オークに敗れ、辱めを受ける女騎士の心境そのものなのである。

「周りの期待に応えるために頑張るのも結構だが、かえって思い詰めて身を滅ぼさないようにね。」

赤と白と黄色が不規則に混ざったケチャップ卵を口に運ぶ所長。端から見たら、ゲテモノ食にしか見えないのだ。

「心配するな。私はトップランナーだ。傾度90度の上り坂が来ようとも、途中で子犬の尻尾に足を引っ掛けて転倒して一位を逃しても、折れぬ心で必ず這い上がる!私の精神は、既に二宮尊徳そのものなのだ!」

「その方とは違うような気もするけど…ポジティブ思考なのは良いことだね。」

「お話中、すみません。会員から連絡が入りました。」

紅茶のおかわりを持ってきたマスターは、ヒモを最大限に伸ばした黒電話の受話器を振って見せた。冴子は、マスターから紅茶を受け取り、自分の席に運ぶ。所長は、受話器を受け取り、通話の相手に声をかけた。

「お電話代わりまして、4番センターの所長です。」

「ご無沙汰だぜん。コトバーマンだぜん。」

コトバーマンなる会員からコマッターの状況を聞いた所長は、冴子にVサインを送ると、冴子はその場で屈伸を始めた。何かを察したマスターが、巻尺を持ってきて、冴子と問題集の距離を測った。

「6ヤード…いや、25光年ですね。」

測定結果を聞いた所長は、二人にサムズアップを見せ、コトバーマンに指示を出した。

「毒を吐くからといって口を閉ざすだけでは不十分だ。蓄積された毒は、いずれ行き場をなくして大爆発する。毒を浄化し、清流を湧き出す精霊の泉に性質を変えてこそ、真に人々は救われるのだ。君のノリで、毒沼を聖域に変えたまえ、コトバーマン!」

「わかっただぜん!」


 コノヤロー町の古民家、毒霧どくぎり 白男はくおは、留守の両親に代わり、玄関前の庭で親戚のおじさんを出迎えていた。おじさんは、白男の姿を見かけると、バツが悪そうに眉を曲げたが、用事があるのは彼の両親だったので、軽く挨拶を済ませることにした。

「やあ、白男君、こんにちは。」

「あっ、おじさんこんにちは。わざわざせっかくの休日を使ってまでこんな偏狭の地まで来ちゃって、その物好きさにうちの両親も心を痛めてるよ。ありがとうございます。」

白男は、深々と頭を下げてお辞儀をする。おじさんは引きつった表情で怒りを抑えながら、白男にお辞儀を返して玄関へと進んでいった。白男もおじさんの後を追うように歩き始めた。

「すみませんね。一切の連絡も無しに、突然我が物顔で土産も持たずに来るものだから、うちの両親、年甲斐もなく日帰り旅行に行っちゃってて。構ってあげられるような大した客でもないけど、そこらのスーパーで安売りしている庶民に定番の茶菓子ぐらいなら出してあげてもいいからさ、どうぞ遅くならない程度にゆっくりしていってください。」

白男の気遣いの言葉に、おじさんは足を止めて舌打ちをした。踵を返し、白男に必死で作った笑顔を見せながら、止めておいた車の方に歩いた。

「あ、はは…兄貴いないのかぁ。それじゃあ、おじさん出直すよぉ。」

「そう?せっかくもてなそうと思ったけど、おじさんぐらいの年じゃ、僕と話が合わなくて退屈だろうし仕方ないね。帰り道、スピード出しすぎて警察の厄介になって、身内に恥を晒すような真似をしないように気をつけてくださいね。」

おじさんは、白男の言葉を最後まで聞かずにアクセルを強く踏んで、走り去って行った。白男は、おじさんの車が見えなくなるまで走り去った方を見つめた。

 お分かりいただけただろうか。白男は、ごく普通の会話でさえ、失礼無礼に変換して発してしまう舌禍の持ち主なのだ。相手を思って発した言葉でさえ、相手を不快にさせる言葉に変わり、言葉を交わす者達は皆、腸が煮えくり返る思いなのだ。それでいて本人には、悪意も悪気も自覚もないものだから、たちが悪いのである。そんな無意識猛毒砲のもとに、タキシードを華麗に着こなした二枚目の男装麗嬢が近付いてきた。言語矯正の真打、コトバーマンである。「女性なのにコトバーマン?」と思った読者諸君もいるだろうが、常識とステレオタイプにみねうちをかけて、黙らせておくといいだろう。男装しているのでマンで問題ないのだ。コトバーマンは、白男に近付くと、七三分けの前髪を軽く指でなぞり、彼に妖艶な視線を送った。コトバーマンに気付いた白男は、彼女の魅力に即捕らわれ、顔を赤らめて、彼女に向き直った。

「やあ、ナイスガイ。突然だけど、君の日本語、美しさに欠けるのだぜん。せっかく、ミュージカルスターのような野生的で情熱のこもった魔性の声質なのに、不細工な言葉を使っていたら、その魅力が台無しだぜん。そこでだ、私が手取り足取り君に言葉選びのレッスンを施してあげるぜん。私と一緒に主演男優賞を目指そうぜん!」

その場で華麗に舞い、白男の手を取りウインクをしてみせるコトバーマン。白男は、催眠術に掛かった被験者のように、彼女の言葉にひたすら頷いていた。

 こうして、白男とコトバーマンの茨の道を歩むような特訓の日々が始まった。早朝には、コトバーマンが彼の家に迎えに来て、二人で町内5周のランニングを行ない、夜、白男の帰宅した時間に再びコトバーマンが彼の家を訪ねて、彼の部屋で発声練習に励んだ。稽古は熾烈を極め、途中で白男は何度も弱音を吐いて挫折しかけたが、その度にコトバーマンからの応援と両親からの叱咤激励を受け、彼はやり抜くことを決意した。時に笑い、時に泣き、時に怒り…。

 二人の特訓が終了したのは、出会いから一ヵ月後。二人は、劇団の女形主演役者候補生のオーディション結果発表の会場にいた。タキシードに身を包むコトバーマンの傍らで、本物の女性と見まがうほどに美しい容姿となり、煌びやかな緋色のドレスを身に纏った白男は、両手を組んで神に祈りを捧げた。

「1925、1925…。」

劇団が定めた候補生合格者数は、10名。他のオーディション結果とともに張り出された合格者受験番号にコトバーマンが目を通していく。そして…

「1925…女形候補生コース合格、1925!」

「!!」

白男はやり遂げたのだ。間違いなく、白男の受験番号と合格の文字がそこに記されていた。潤んだ瞳はダムを決壊させ、白男は甲高い声でうめきながら、コトバーマンに泣きついた。コトバーマンは、彼に胸を貸し、ひたすらに感謝を述べ続ける彼の頭を優しく撫で回した。

 こうして、白男の女形俳優としての道は開かれたのだ。しかし、彼はあくまでスタート地点に立ったに過ぎない。これから先、今まで以上に辛く苦しい試練が待ち受けているのだ。だが、今の白男なら心配ないだろう。コトバーマンや彼の両親、豆腐屋のみーちゃんといった心強い支えが、彼にはあるのだ。


 いつか夢見た大舞台に立つその日まで…


頑張れ、白男。駆け抜けろ、白男。



「で、肝心の無礼言葉は直ったのでしょうか?」

発表の日の夕刻、マスターは、コトバーマンからの報告を受けていた。コトバーマンは嬉々とした様子で声を弾ませた。

「バッチリなんだぜん。禍の舌で不幸を振り撒いていた冴えない少年も、今では同級生の男子からラブレターを貰うほどの言葉も容姿も美しい男の娘にシンデレラチェンジなんだぜん。舞台の稽古も順調みたいだし、ハッピーエンドまっしぐらってとこなのぜん。」

「ふふ、魔女の掛けた魔法はこれから先も解けないみたいで何よりです。お疲れ様でした。また有事の際には、宜しくお願いします。」

マスターが電話を切り、円卓の前に腰掛けると、待ちかねたように冴子は目の前のケーキに顔を近づけた。

「無事にコマッターを救えたみたいだな。さぁ、私の全教科及び総合トップ祝いを始めよう!」

部屋の壁に画鋲で貼り付けられた試験結果の紙、そこには全教科満点という輝かしい戦跡が綴られていた。所長は、マスター特製のチーズケーキを丁寧に三等分し、皿に盛り付けた。冴子は紙コップにぶどうジュースを注ぎ、ケーキの隣に置く。マスターは、店からスナック菓子をいくつか持ち出して、テーブルの空いた場所に食べやすいように袋を破って置いた。配膳が整ったところで、三人はジュースの注がれたコップを持ち、高らかに掲げた。

「それでは、任務の成功と冴子君の勝利に、乾杯!」


          「乾杯っ!!」


 祝賀ムードに賑わう人助け研究所本部。人々の幸せのために戦う戦士達にも、ひと時の安息は必要なのだ。


                                     終




☆嘘で塗り固められた次回予告☆

 おいっす!おらぁ、又五郎。

のり太君が、またテストで満点を取ったんだけど、さすがに調子に乗りすぎじゃないかなぁ?そうだ、テストの名前欄を、僕の名前に書き換えてやろう!これで居候の僕でも、ママ上から豆大福をたんまりせびることができるぞぉ!


次回、救え!人助け研究所 任務6 コンビニで500円で買った修正液

次回も楽しみに待っていてくれよな!

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