任務4 けがない

 人助け研究所から5mも離れた場所にある小川沿いの公園、毛無しの園。所長と冴子は、新会員歓迎会に使う食材や飾りつけの材料の買出しの帰り道に、その公園でキュウリにかじりついていた。所長は味噌派、冴子はケチャップ派なのだ。公園のブランコに座りながらキュウリを咥える二人。ボリボリと、食欲をそそるような咀嚼音が心地よいリズムを奏でていた。

「んん。やはり、キュウリは丸かじりに限るな。」

「キュウリに限らず、野菜は素材の旨みをそのまま楽しむのが最高の食し方だよねぇ。あっ、キュウリといえば…。」

所長はキュウリを咥えたまま、懐から一枚のカードを出し、冴子に手渡した。幼児のように頬にケチャップをつけた冴子は、キュウリをひとかじりして、カードをじっくりと眺めた。いつものコマッター情報を記したカードである。

「毛無しの園…ってここの公園じゃないか。コマッターは頭の涼しい中年男ばかり…。」

「この公園、よくサラリーマンの帰り道になっているんだけど、出るらしいのよ…河童が。」

「河童?」

所長は、二本目のキュウリを買い物袋から取り出し、味噌につけて口に運びながら、公衆便所の裏手にある小川を指差した。

「この近くに住処があるらしく、小川から飛び出てきて、頭の涼しいおじさんたちを弄ぶんだとさ。」

「ハゲたおっさんばかりを弄ぶとは…物好きな輩もいたものだな…。」

「ただ、被害に遭ったコマッターたちは、一様に河童のもとに通うようになるらしい。それも中毒症状に似た様子で。」

「ん?それって、本人が望んでいるのだから、コマッターではないのでは?」

「甘いぞ冴子君。今彼らの感じている幸福は、初めの被害からの副産物だ。河童の術中に嵌って悦楽を感じると錯覚しているに過ぎないのだよ。」

「なるほど、さすがは所長!私もまだまだ勉強不足だな。」

「冴子君は若いから、これからじっくり人助けというものを勉強するといいよ。かくいう僕も、君ぐらいの年には…」


「ウッひょーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


「ん?」

「悲鳴…いや、喜鳴!?」

二人は、ブランコを降りて、声の聞こえたトイレ裏の小川沿いを覗いた。そこには、河童に頭頂部を揉みくちゃにされるハゲたおっさんが、この世のものとは思えないほどの恍惚の表情を浮かべて、だらしなく舌を垂らしていた。

「まさか我々が出くわすことになろうとは。」

「おっさん、気持ち良さそうだな…。」

河童は無表情のまま、おっさんの頭に滲み出た汗を指に絡ませ、頭皮にすり込むようにおっさんの頭部を丁寧に愛撫していた。指先が皮膚を這うたびに、おっさんは甘い声を漏らし、少女のようなときめきに満ちた笑顔で頬を染めた。

「はぁぁん…!そこ…しゅごくぅ…うぅん…!」

おっさんがおねだりするように体をくねらせると、河童はマッサージで艶々になったハゲ頭に息を吹きかけた。頭部から全身に駆け抜ける甘い感覚が、火照ったおっさんの体を痙攣させる。

「んひぃぃぃぃ!んひぃぃぃぃん!!」

「まずい、このままでは彼が過呼吸で倒れてしまう!」

「くっ、しなやかな指捌きをしおってからに…!所長、冴子キックの許可を!」

説明しよう。冴子キックとは、ボクシングのテレビ中継を見ていた冴子が電球を頭上に浮かべるように思いついた、鋭いチョップのことである。かつて、技の実験体として無垢なチャバネゴキブリを殺めて以来、二度と同じ過ちを繰り返さないようにと、封印していた戒めの禁じ手なのだ。今にも飛び掛りそうな冴子の腕を掴み、所長は首を横に振る。

「駄目だ!人質に当たる危険性もあるし、河童といえば相撲の名手。万一奇襲が失敗してかわされたとしたら、反撃に重い一撃を受けることになる。ここは相手を刺激しないように対処すべきだ!」

「くっ…仕方ない、か。所長、何か突破口はないか?」

「河童の弱点…頭の皿の水を乾かせば、力が激減すると聞いたことがあるが…塩かシリカゲルでもあれば…。」

冴子は買出しの袋に手を入れて、中を物色する。しかし、所長の言う乾燥に使えそうなものは出てこなかった。

「駄目だ、塩もシリカゲルも生姜焼き定食もない!」

「もう一度よく探してみてくれ!何か…何かあれば…。」

「キュウリならあるが…。」

冴子がキュウリを手に取ると、所長は何かを閃いたようにそれを取り上げ、スーツのネクタイを正した。

「でかしたぞ冴子君!河童はキュウリに目がない!僕がこれで奴の気を引くから、その間に君は彼を!」

「さすがだ所長!任せておけ!」

所長はキュウリを握り締めながら、河童に見えるようにわざとらしくキュウリを掲げ、河童の目の前を右往左往した。

(さあ、お前の好物のキュウリだぞ!食いつけ…食いつけ…。)

しばらくして所長の姿に気付いた河童は、所長の方に視線を向けた。

(おっ、来たな。さあ、美味しいキュウリはこっちだぞ~。)

河童の目を確認して、所長はゆっくりとその場を遠ざかるように歩き始める。

(ふふ、こっちだよこっち。ちゃんとついてきて…)

背後についてきているであろう河童を確認しようと横目で後方を見る所長。しかし、河童は依然としておっさんの頭に指を這わせていた。興味がないのか、所長に目を向けてすぐにおっさんに視線を戻していたのだ。所長は、河童に警戒しながら足早に冴子の所に引き返した。冴子も無念の表情で悩んでいる。

「キュウリ、興味ないみたいだな…。」

「うん…長い歴史のある妖怪だし、キュウリに飽きちゃったのかもね…。」

「私も最近、はっさくブームが3日で終わったから気持ちは分かる。」

顔を見合わせながら次の案を考える二人。その間にも、おっさんの頭頂部は、河童マッサージで5歳肌を実現していた。おっさんは相変わらず幸せそうに惚けている。ふと、河童は手を止めて、小川の水を手ですくい、その水をおっさんの頭に振りかけた。

「ふにゃぁぁぁぁぁぁあ!!」

母親を呼ぶ子猫のように甲高い声を上げながら、水の冷たさにおっさんは顔を震わせた。おっさんの反応を気にせずに、河童は何度も小川の水を頭部に振り掛ける。

「いかん!あの河童、小川の微生物を頭部から送り込んで、彼を脳死させるつもりだ!」

「何だって!?所長、何か手はないのか!?」

所長の胸ぐらを掴みながら、冴子は険しい顔で打開策を求める。所長は顎に手を添えながら、買い物袋を見つめた。

「河童は人間から尻子玉を抜き取るといわれている。…尻子玉に似たものがあれば、或いは…。」

「それだ!所長、尻子玉とやらはどんな形なんだ?ラッキョウ型か?玉ねぎ型か?」

買い物袋から玉っぽいものをあれこれ取り出しながら、冴子は所長を見るが、所長は暗い表情で俯いてしまった。

「すまない…僕も尻子玉がどういうものなのか知らないんだ…。お尻にある玉なのだろうけど…。」

「そんな…。」

冴子は買い物袋から手を離し、地面を握り拳で叩いた。こうしている間にも、おっさんの頭はびっちょりに濡れて、水も滴る何とやらである。

「尻子玉以外にも何か…何か決定的な打開策があれば…。」

「キュウリならあるが…。」

冴子が買い物袋からキュウリを取り出して見せると、所長は目を輝かせてそれをぶんどった。

「でかしたぞ冴子君!河童といえばキュウリ!いくら飽きが来ていようとも、他人がキュウリを食べていれば、奴も所詮は河童の子、欲しがらずにはいられまい!」

「さすが所長!私も焼きそばが食傷気味だった時期に、CMでおっさんが焼きそばを美味そうに頬張っているところを見ていたら、無性に食べたくなったことがあった!天ぷらそばを!」

所長はこれでもかとキュウリにケチャップをかけて冴子に一本渡し、自分の分にも味噌をベタベタに塗りたくった。

「行くぞ、冴子君!」

「了解!」

二人はちょっとずつキュウリの先端をかじりながら、河童に近付いていった。ケチャップと味噌の匂いが場に漂い、異臭に気付いた河童は、キュウリを小刻みにかじる怪しい二人組に目を向けた。二人はポリポリと音を立てながら、ヤンキーのように鋭い睨みを利かせて、一歩ずつ河童に歩み寄っていく。河童の面前に着くと、河童の顔を二人で覗き込みながら、無心で咀嚼を続けた。無表情を貫いていた河童だったが、二人の顔を交互に見ているうちに、溜息を吐いて、おっさんから手を離した。それから二人に背を向けて小川に立つと、顔だけ振り向いて、河童は舌打ちをした。

「青臭ぇんだよ、バーカ。」

無表情で悪態を吐くと、背中の甲羅を脱ぎ、小川に浮かべて、その上に乗って川の流れと共に去っていった。河童の姿が完全に見えなくなるまで、所長と冴子は、いつまでもキュウリをポリポリしていた。



「まさか、あの公園に河童が出るとは…私も見てみたかったですね。」

 3日後、定例会議で集まった駄菓子屋の一室で、マスターは二人の報告を羨ましそうに聞いていた。関取の着ぐるみを着た冴子は、つっぱりの素振りをしながら眉をひそめた。

「よせよせ。あの河童、相当性格悪いぞ。おっさんフェチだし言葉遣い悪いし。どすこい!」

「ほんとにね。でもま、僕たちのおかげであれ以来、河童がおじさんたちを弄ぶことはなくなったらしいから、良かった良かった。」

所長は、バターを塗ったにんじんを丸かじりしながら、満足そうに頷いた。

「それにしても、咀嚼を見せただけで大人しくなるとは…もしかして、ちょっかいを出したお二人への復讐を考えていたりして…。」

「まさか!」

「まさか!」

「まさか、ですね。」

           「はははははははははははははは!!」


 例え報復があろうとも、そこにコマッターがいる限り、人助け研究所は、彼らの救助に全力を尽くすのだ。


戦え、人助け研究所。

負けるな、人助け研究所。


                                     終




☆当てにする価値のない次回予告☆

 悪しき心に魅入られて、メルダロスは命を落とした。最愛の友である彼の死に、スフィアの怒りは頂点に達する。卑劣を極める銀河魔王団への憤怒が、自身の力の源であるオーディンリングと共鳴した時、灼熱を纏い燃え盛る、火山の戦士が目を覚ます…。


次回、救え!人助け研究所 任務5 燃え猛れ、火山の戦士!

メルダロス…君の遺志は、僕が継ぐ…!

☆ーーーーーーーーーーーーーー☆


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