第三十頁 パンク作家と血まみれ少女 4
「うちには今これしかねえんだよ。普段缶詰も置いてんだけど今は切らしてる」
桜野踊左衛門(さくらのだんざえもん)と名乗る落ち武者の幽霊…最も姿形は現代の女子高校生だが…はライブハウス「ヒューマニティ」のバーカウンターに座り、ガガより差し出された一杯のラーメンを物珍しそうに見つめている。
ラーメンとはいえその辺で売っている、安い即席の物だ。スタッフが小腹が空いた際に食べる為にストックしていたものである。パックには麺と出汁のパウダーしか入っていないので、具は申し訳程度に冷蔵庫にあった生卵を乗せているだけ。丼に麺を放り込んでお湯を注ぐだけですぐ美味しい、すごく美味しいかはまあ食べる人次第、なインスタントラーメンだった。
「この料理は何と申すか?なんとなく蕎麦に似ているが…」
「ラーメンだよ。安モンだけど。昔の時代にゃ無かっただろうな」
「ガガ殿と申されたか。やはりここは拙者が元々いた時代とは違…ズルッ!……
ん……んんっ!?これはまこと美味でござるな!この口当たりと少々塩辛い出汁!そして飲み込んだ瞬間の心地よさ…このようなものを食した事は生涯無かった!」
桜野踊左衛門は自分で話をぶった切り、目を輝かせて夢中でラーメンをすすった。安物のインスタントラーメンなのだが、これだけ見ると美味しいパフェでも口にして歓喜する女子高校生だ。目を閉じて頬に手を当てるというありがちなオーバーリアクションもそんな感じだ。
多分美人なはずなのに、頭に深々と刺さった矢とそこから流れる鮮やかな赤い血液、ボロボロのセーラー服が痛々しいというか勿体無い。これさえ無ければ優秀かつ乙女らしい意外な一面もある、校内いちの美人委員長と言ったところだ。オタクのアニメによく出てくるやつだ。
「今は西暦20XX年だよ。戦(いくさ)だとかそんなもんはとっくに終わってる。それどころか外国と戦って負けた事もあるよ。今は特に戦もなんもない平和ボケした時代ってとこかなあ。ま、少なくともここ日本はね」
「い、戦が…終わっていると申したか?」
踊左衛門は箸を取り落とし、テーブルを叩いて椅子から立ち上がった。カラカラと軽い音を立てて箸はヒューマニティの床に落ちる。血まみれの目を見開いてガガを見る眼光は冗談ではない程に鋭く、ガガもちょっと気圧される気がした。
「お、落ち着けよ幽霊ちゃんよ。当たり前だろ、何百年も戦が続くわけねえんだから…」
やがて、ヒューマニティのドアが開き3人の人影が入ってきた。作家の街田康助、居候の妖怪サシ、悪魔のカインである。
「…………こいつだ………」
街田は桜野踊左衛門を指差して告げた。
「小生の家の前で死んでいた娘じゃあないか」
桜野踊左衛門は改めて武士らしく丁寧に自己紹介をした。自分は戦国時代に矢流瀬(やるせ)という将軍に仕える侍であった事。戦の際に本陣を追い詰められ、敵軍の武将から主人を護れなかった事。その場で切腹を試みたが、敵軍の矢に脳天を貫かれ絶命し、そのまま晒し首となった事。
桜野踊左衛門は山中で強奪を繰り返すゴロツキであった所を、その剣の腕を見込んで将軍である矢流瀬に拾われてから、闇と劣等感にまみれたその人生に光が差したように感じていた。毎日血の滲むような修行を繰り返し、遂に矢流瀬の右腕にまで上り詰めた。右腕ならではの苦労、周りよりの嫉妬も意に介せず矢流瀬に尽くし続けた。矢流瀬への恩を戦場で返したかったし、万が一の時は矢流瀬と共に散りたかった。しかしその最期は誠に不服、矢で貫かれ敵の手で屍と化した踊左衛門は首を斬られ、哀れ野晒しとなった。
かくして踊左衛門の頭は烏の餌となり、髑髏になるまでその肉を啄ばまれた。その生首は世のどのような女の幽霊よりも恐ろしい形相で自分の運命を呪っていた。
死んでも死に切れないというのはまさにこの事であった。踊左衛門は幽霊となり敵の将軍を殺す事に決めた。そんじょそこらの幽霊らしく呪い殺したりするのではない。出来る事であれば一対一、正々堂々と剣で戦おう。それで矢流瀬公の、そして自らの無念も晴れると信じて疑わなかった。
踊左衛門の執着は生半可なものではなかった。その執着はやがて実体をも創り出し、普通の人間と変わらなくなった。彼女は幽霊であるが、人からも見えるし、触れる。しかし執着の力はあまりにも膨大なものに膨れ上がり、時間までをも歪めた。結果、踊左衛門は約300年後のこの世界、当時の戦場、即ち今の星凛町に迷い込んだのだった。この事実については、踊左衛門自身もまだ理解に時間を要するようだった。
ここに来て訳が分からないうち、空腹になった。幽霊ではあるがこの世への異常な執着が彼女を実体化させてしまった為、普通の人間と同じように腹が減るし、何も食べなければ動けなくなる。そこで食べ物を探すうち近所の精神病院に迷い込んだ挙句、大量の恐ろしい、いわゆる"同業者"…幽霊たちに出くわしたため斬りつけて大暴れしてしまい、また腹が減ってしまった。
その際、意識は朦朧としていたが、人間の子供二人くらいに姿を見られた気がした。
歩いて歩いて、街田の住むマンションなどあらゆる場所で食べ物を探しもとめ、このヒューマニティへ来たという事だった。
「へぇ〜苦労してたんだなァ。まっ、腹一杯になったんなら良かったぜ。最初はびっくりして動力炉が飛び出るかと思ったけどな!あっはっは!」
「待て待て待て待て」
途中まで聞いて制したのは街田だった。
「ガガお前、幽霊は信じてないとか言ってなかったか。小生は不幸にもこのような連中に囲まれているし、幽霊だとかタイムスリップだとかは認めよう。しかしどう聞いても見た目と経歴が一致しないではないか。貴様のような侍がいるか。まず女ではないか。山中のゴロツキだったとは何だ。あとその服装は何なんだ。鎧や兜なら分かるが」
「不幸にもとは何ですかっ。不幸にもとは!」
隣で猫娘が一丁前にふてくされるが、街田は気にせずズバッと言い切った。
「お主は何を申される?侍には男も女もいる。むしろ女が少し多い。この服装も由緒正しき戦の装束でござるよ」
踊左衛門が、何を言っているんだという風に返した。
「ええっ!昔のお侍さんってセーラー服の女の子が多かったんすか…本に書いてあるのと全然違うってゆーか…」
カインも目を丸くしている。こいつも本に書いてある悪魔とは多分けっこう違うのだが。
「書物に拙者の時代の事が記されているのでござるか…それは誠興味深い」
「…ちょっと待ってな」
ガガがバーカウンターの席を立った。
ヒューマニティの楽屋には出演者がいつでも読めるように本棚が置いてある。
ガガはそこから「民明書房館 アマチュアバンドマンでもわかる戦国時代」という本を持ち出してきた。
「よくそんな都合のいいものがあるな。聞いた事がないというか、何となく危ういニュアンスのある出版社だぞ」
街田はまた丁寧に突っ込んだ。
「バンドマンって歴史好き多いんだよ。歴史について歌う奴も居るんだぜ。名前はレキ(以下略)」
ガガが何やら語り出したのも耳に入れず、踊左衛門はどれどれという具合で本に目を通した。「鉄」という字を象った謎の金属板の飾りがついた日本刀をカウンターに立てかけ、背筋を伸ばして読みふける。読書の姿勢ひとつからも、由緒ある侍の風格が感じられた。
「驚いた。拙者が生き抜いた時代とは所々が違う。まず、なぜ戦場で鎧を着ているのでござるか。こんな被り物をして身軽に戦う事はできぬでござろう…これは、城内での儀式や祝い事の時にしか使わぬものだ」
本の見開きに、当時の合戦の模様がイメージ図で描かれている。どの人物もお馴染みの鎧兜を装備し、幟を立てて馬に乗っていた。一般的な戦国時代のイメージそのものだ。
踊左衛門によると、馬に乗っていた事、剣を振るっていた事、弓矢、火縄銃あたりはその通りだという。おかしいのは、主君に仕えて戦に出る侍が全て男である事、そして彼らが纏う鎧兜も、戦場でこんな物を着る者は見た事がない、やはりセーラー服のようなこの服装こそが女の戦の装束であるとの事だった。男はまた別なデザインであったがもっと軽装だったらしい。
「なるほど…俺達、現代の人間は歴史の教科書に間違った認識を刷り込まれていたって事っすね!」
「お前は人間じゃないだろう…」
街田はそこまで言って踊左衛門に目をやった。踊左衛門はあるページをじっと見つめていた。戦国時代に活躍した将軍や大名を一人ずつ紹介したページだ。
「や…矢流瀬…殿……」
"矢流瀬鳴桜(やるせなきお)、17XX年X月X日没。星凛の合戦に敗れる。矢流瀬を打った無名の敵将は翌年に病死したと言われるがその情報は無いとされる"
「姿形は違うが…没された日付も同じ…か…そして………」
踊左衛門はその場に膝をついた。全身の力が抜け、崩れ落ちたと言った方が正しかった。
「敵将は……翌年に病死…………」
聞こえないくらいの小さな声で彼女はつぶやいた。
「はは…………はははは……」
ふいに彼女の目からは涙がボロボロと零れ落ち、彼女は天井を仰いで高らかに笑った。
「あーっはっはっはっは!!!はははははははははははは!!!」
ヒューマニティの空気が変わった。
「ここまで…こんな風になって!!恨んで!!!!憎んで………幽霊にまでなって!!!!仇を!正々堂々と…無念を晴らすと誓ったのに………病死……翌年に……これは!!これは傑作でござるな!!はははははははは!!!」
踊左衛門の身体から全ての力が抜け、彼女は床に突っ伏した。
「はは……ふ……うっ………ううぅっ…………あ………ああぁ………」
「……………………」
四つん這いになって情けなく嗚咽する侍…元、侍を街田は無言で見つめていた。
それは目的を失い絶望する者を見るような憐れみの目とは違った。復讐とはいえ実体を持つ幽霊になってしまうくらい何かに強く執着し、とてもあっけなくそれが消えてしまった喪失感。
街田はそれを知っていた。過去の自分を見ているようで、何も言葉が出なかった。
やがて、嘆くサムライの身体はだんだん透き通り、消えた。
後には何も残らなかった。
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