三日目

 今日は久方ぶりに、昼間に家から出ました。それと言うのも、叔父が山菜を取ってきて欲しいと無理やり僕を外へ出したからです。叔父は僕が山菜で母親を殺してしまった事を知っているくせに山菜採取を命じました。それは、僕が引き籠った原因を克服させ、社会復帰させる狙いだと思います。ありがたいようなありがたくないような複雑な気持ちになりました。

 高かった陽もちょうど山の陰に隠れた頃、僕は摘み取った山菜を手に神社への道を辿りました。空にはやけに分厚い雲が、今にも村を覆い尽くそうとしていました。夕立の予感を感じた僕は、少し足を速めました。

 一刻も早く神社へと向かい、戸締りをし、とっとと家に帰りたかったんですが、道の途中で進行方向の先に、三人の若い女性たちの姿が目に入ったので、僕は少し足を緩め後ろから見つからないように進むしかありませんでした。

 こんな状況はこの時期よくあります。村人はこの時間帯にはあまり出歩かないのですが、コテージに泊まりに来る宿泊者は、浮かれているのか、日が暮れても外をうろついていて、そんなときはいつもこうしてこそこそ動かなければいけません。

 彼女たちは酔っぱらっているのか、歩くペースがとても遅く、なかなか進んでくれなかったんで僕はもどかしい気持ちになるばかりでした。

 そうやってしばらくこそこそしていたんですけど、山道の入り口を通りかかったので、そちらへと進路変更して別の方向から神社へと向かうことにしました。

 山道の中はいつものごとく真っ暗でしんとしていました。しんとした中にも動植物のざわめきが混じっていて、静けさはより深みを増しています。

 ここ新宮村にある山道の数は数百にも及びます。あらゆる場所にあらゆる形であらゆる方向へとあらゆる長さで繋がっています。初見者が一度ここへ入ると必ず迷うだろうと思います。僕も幼少の頃はよく迷いました。でも山道で遊んでいるうちにいつの間にかその全てを把握していました。今思うとつくづく子供の能力の底知れなさを実感します。

 僕がそんな物思いに耽っていると、後方から女性の甲高く透明な声で叫ぶのが聞こえました。

「ムンく~ん」

僕の体からは妙な汗が滲み出てきました。「まさかそんなはずが!」と自分の耳を疑いました。「空耳かもしれない。空耳であるはずだ。いや、空耳であることにしよう」と全てを無かったことにして歩き続けました。するともう一度

「ムンく~ん」と同じ声が聞こえました。

声の元はかなり遠い所にあるようでしたが、今度は言い訳できないほどはっきりと聞き取れました。僕のことを「ムン君」と呼ぶ人は一人しか思い当たりません。よみがえってくる過去の記憶は鮮明で美しく、儚く、しかし何とも言い難い複雑なものでした。

 僕はどうすればいいのか分かりませんでした。彼女との最後がとても気まずかっただけに、振り返ることが躊躇われました。心臓の鼓動は骨を伝わり、脳を震わせています。

「ミューちゃん、ごめん」

そう独り言のように呟いた僕は逃げるように歩を進めました。

 予期していた雨が降り始めると彼女の声もいつの間にか消えていました。

 僕は傘を持っていなかったので、神社に到着した時にはずぶ濡れでした。伸ばしっぱなしにしていた長い髪は顔にへばり付き、僕の視界の大半を奪いました。

 僕は神社の裏から境内へと侵入し、重たい服を引きずりながら表側へと回りました。

 本殿の屋根の下に入ると、僕は髪やら服やらを絞りました。目一杯雨を吸収したそれらからは、多量の水分が搾り取れました。

 この雨はおそらく夕立なので、すぐ止むだろうと思いつつ、作業に取り掛かろうとすると、お賽銭箱の横に日本人形が横たわっていました。

 ここ新宮神社では近年ゴミの不法投棄が絶えません。この人形も誰かが捨てて行ったんだと思います。

 人形と言えば、よく神社でお焚き上げをされるものの一つです。神主は大幣おおぬさを払いつつ「はらえことば」を掛けながら人形を燃やします。その作業は僕にとって僅かな憧れでありました。それは古来からの伝統を思わせるその所作が僕の心を鷲掴みにしたからです。

 僕は急いで境内にある倉庫から、もはや使われなくなった大幣を持ち出して来て、人形を鈴の下に置き、そこで興味本位で覚えた祓詞を掛けながら大幣を振るってみました。先端から広がる湿った紙は重たい音を上げました。

 こうして大幣を振るっていると神主になったような気分になります。普通、神職に就くためには専門の学校に通わなければなりません。社会不適合者の僕にとっては、とても高い壁です。なので、こうして大幣を振るっていると、自分の到底届かない所に手が届いたようで、無条件に嬉しくなりました。

 祓詞を掛け終わると心はとても穏やかでした。悪しきものを清めるこの詞を唱えたことで、自分自身まで浄化されたような透き通る気分になりました。

 それに満足した僕は、大幣を倉庫へと片付けようとしていました。すると、神社の本堂の中から物音が聞こえてきました。

 急いでそこに駆けつけると、本堂の扉は閉じられていました。祓詞を唱えている時は全く気がつきませんでした。普段、昼の間はずっと開けたままにしています。雨が降っているので誰かが気を利かせて濡れないように閉めてくれたのかもしれません。

 物音はおそらく小動物か何かの仕業でしょう。小動物が畑や民家に被害を与えることは日常茶飯事です。叔父の話によると、この神社もたまに荒らされるそうです。

 僕は本殿の扉に手をかけ引っ張りました。しかし扉にはなぜか鍵がかかっていました。

 鍵は今僕が持っています。それ以外にスペアの鍵は存在しません。だとするなら、扉の鍵は内側から直接かける以外に方法はありません。

 扉にはいくつもの小さな穴が開いています。小さい生き物であれば扉が閉じていたとしても、その隙間から中に入ることができるでしょう。中に侵入した小動物が何かの拍子で内鍵をかけてしまったのかもしれません。

 そうだとするならば、もしかするとまだ中に小動物がいるかもしれません。たとえ小動物と言えども、ものによっては狂暴です。安易に扉を開けると襲われる危険性も十分に考えられます。

 僕は様子を探るために、穴から中を覗き込みました。しかし真っ暗で何も見えなかったので、今度は大幣で何度か扉を少し叩いてみました。それでも、何の反応も得られません。

 もうすでに中はもぬけの殻なのか、それとも静かに身を潜めているだけなのか判断が難しかったので、今度は手で扉を揺らしました。社はとても古いものなので、扉を揺らすだけで社全体が大きく揺れました。

 しばらくの間、そうして扉を揺すり状況を確かめようとしていたんですが、唐突に女性の怯えるような声が扉の奥から聞こえてきました。僕は事態が呑み込めませんでしたが、とりあえずもう一度扉の穴から中を覗き込みました。社内はやはり真っ暗で最初は何も見えませんでしたが、次の瞬間、雷鳴が轟き、辺りが一瞬明るくなったので、中の状況を知ることができました。

 激しい雷光によって照らし出された社内には、祭ってあった神具が散乱していました。そして、その傍らにはこちらを見つめる若い見知らぬ女性が一人。女性は僕と目が合うなり、甲高い悲鳴を上げそのまま白目をむいてその場に倒れ込みました。

 僕は鍵を使い、扉を開きました。そこでは、やはり女性が一人、散らばった神具の横で意識を失ってしまいました。

 どうしてこんなところにいたんでしょうか? その目的は僕には分かりかねますが、彼女を失神させてしまったのは、おそらく自分でしょう。彼女は明らかに僕を恐怖の眼差しで見ていましたし、彼女は僕と目を合わした直後に倒れました。僕は人を不幸にする才能を持っていますので、彼女には僕が何か恐ろしいものにでも映ったんだと思います。

 僕には彼女の顔に見覚えが無かったので、おそらくコテージの宿泊者でしょう。だから僕は彼女を背負って、村の外れにあるコテージへと向かいました。これは彼女を怯えさせてしまったせめてもの罪滅ぼしです。

 コテージの玄関前に彼女を寝かせて、その場を立ち去りました。

 こちらがどれだけ気をつけていたとしても、僕の刃は容易に人を傷つけてしまいます。もう、こればかりは諦めるしかないことかもしれません。

 でも別に、悲しいとか悔しいとか、そういった気持ちはありません。人にはそれぞれ様々な定めがあって、それぞれがそれを受け入れて生きていくのが世の中と言うものだと思います。僕も皆と同じように、自分の定めに甘んじることが、この世界で生きていくのに必要な最低限のことでしょう。

 だから僕は受け入れます。自分が人の運命を引き裂きうる、鋭利なナイフであることを。

 そこに文句をつけても何も始まらないのだから。

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