七品目:ジェネラルサーモンのホイル焼き(後編)

 アバロン教会。

 鐘の音が静かに街に響く。

 色褪せたステンドグラスの向こう、差し込む光が墓碑を柔らかく照らしていた。


 オスカーは膝をつき、妹レイナの墓に手を合わせていた。

 墓前には白い花と、風に揺れる小さなリボン。

 その表情には戦いを生き抜いた男の鋭さよりも、失った者を悼む兄の穏やかな哀しみがあった。


 そんなオスカーの背後から、低く太い声が響く。


「息災か?」


 振り向くと、そこには神父服に身を包んだ大柄な男が立っていた。

 右腕は無い。だが、その眼差しには昔と変わらぬ力が宿っている。


「……あぁ。久しぶりだな、ムルシラ」


 神父の正体は、かつての仲間。

 元【獅子の闘志ライオ・ハー)】の盾役、【ムルシラ・カムイ】。

 彼の手には花束が握られていた。


 ムルシラは静かにレイナの墓前に花を供え、深く手を合わせる。


「ライオの方には行ったのか?」

「……あぁ。一昨日、依頼でロンドヘイム山脈の近くに行く用事があったからな。挨拶は済ませてきた」

「そうか……」


 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。


「……オスカーよ。まだ一人で冒険者をやっているのか?」

「……あぁ」


 ムルシラは立ち上がり、オスカーと無言で握手を交わす。

 その掌には、戦場で共に剣を握ったときと同じ熱があった。




 教会の応接室

 紅茶の香りが、古い木の壁に沁みていた。

 ムルシラが右手一本で茶器を扱う姿はぎこちないが、どこか優しさが滲んでいる。

 オスカーは出された茶を一口飲み、ムルシラの右腕を見つめた。


「腕はどうだ?」

「あぁ。もう痛みはしないが……やはり慣れぬな」

「そうか……」


 静かにカップを置き、オスカーは問い返す。


「セルドは元気にしているのか?」

「何だ、知らないのか? あいつは商人として成功した。もうすぐこの街にも支店を出すらしいぞ」

「……そういえば、あいつは商人を継いだんだったな」


 二人の間に、少しだけ昔話のような温かさが戻る。


 だが、ムルシラの次の言葉が、空気を変えた。


「……なぁ、オスカー。いつまで冒険者を続けるつもりだ?」

「…………どういう意味だ?」


「一人での冒険は危険だ。俺たちももう若くはない。身を固めるのも――」


「……要らぬ心配だ。復讐で続けているわけじゃない」


 オスカーの言葉にムルシラは息を呑み、そして苦笑した。


「はは……全てお見通しか」

「お前こそだ。いきなり“身を固めろ”なんて言うから驚く」


 笑い合うその姿は、まるで昔に戻ったようだった。


 ムルシラがふと思い出したように立ち上がり、冷蔵庫を開けた。

 中から、見事な銀色の魚を取り出す。


「お前に、これを渡したかったんだ」

「これは……ジェネラルサーモンか」


 清らかな渓流にしか棲まない、貴族も唸る高級食材。

 その光沢はまるで金属のように美しかった。


「たまたま手に入ってな。せっかくだから――」

「嘘をつくな。……それは、レイナとライオの好物だ」


「うっ……!」


 図星を突かれ、ムルシラは思わず視線を逸らす。


「……セルドの店で仕入れたのか?」

「……あぁ」

「お前は気を遣いすぎだ」

「いや、お前にだけは言われたくない」


 そう言って笑い合う二人の間に、ふと温もりが灯った。


「なぁ、ムルシラ」

「うむ?」

「この後、暇か?」

「あぁ、特に用事はない」

「なら……いい場所がある」




 人通りの少ない裏路地に、小さな看板が灯っていた。

 【妖精の宿り木】――温かな光を放つ小さな食堂だ。


「飯屋か?」

「あぁ。俺の、今の“帰る場所”みたいなもんだ」


 扉を開けると鈴が軽やかに鳴る。

 厨房から顔を出した青年――アキヒコが微笑んだ。


「いらっしゃいませ」

「今回は連れがいる。カウンターで構わないか?」

「えぇ、どうぞ」


 二人が並んで座ると、水と温かいおしぼりが出された。

 ムルシラはおしぼりを手に取り、驚いたように言う。


「温かいな……それに、水もうまい」

「サービスだそうだ」


 オスカーが持ってきたジェネラルサーモンを差し出す。


「これで、何か作ってほしい」

「サーモン……立派ですね。刺身はいかがです?」

「鮮度的に難しいだろう」

「……だそうだ、ムルシラ」

「なに!? 生は駄目だ!!」


 ムルシラが突然立ち上がり、アキヒコが目を丸くする。


「昔な、半生の川魚を食って腹を壊したことがある」

「……あぁ、あれか」

「だから生は絶対に駄目だ!」


「では――ホイル焼きはいかがでしょう」


 アキヒコが見せたのは、銀色に光る薄い金属紙。

 「アルミホイル」という名の調理器具だった。


「酸素を遮り、旨味を閉じ込めて蒸し焼きにする調理法です」

「ほぉ……」


 魚を磨き、鱗を取り、腹を裂き、内臓を取り除く。

 その手際に、二人は息を呑んだ。


「……職人の手だな」

「うむ、見惚れるほど丁寧だ」


 そして、偶然の出会い――腹の中から、赤い筋子が現れる。


「魚卵か」

「はい。筋子といって、醤油漬けにすると絶品です」


 その言葉にムルシラは小さく笑う。

「……これもレイナが用意してくれたのかと思ってな」

「……そうか」


 静かな空気の中、香ばしい匂いが広がる。

 包まれたアルミホイルを開けると、熱気と香りがあふれた。

 キノコとバター、野菜とサーモンの香りが一体となり、まるで祝福のように二人を包む。


「おぉ……!」

「良い香りだ……」


 一口。

 サーモンの柔らかな身が舌の上でほどけ、脂の旨みが広がる。

 野菜の水分で蒸された身は驚くほどしっとりとして、バターのコクが優しく重なる。


「美味い……」

「旨みが逃げていない! 野菜の水気で蒸しているのか!」

「……そうだろうな」


 二人は夢中で箸を進める。


 ポン酢、胡椒、レレカの果汁――調味料を加えるたびに、風味が変わる。

 酸味と辛味、香ばしさが重なり、食欲をそそった。


「こりゃ……いくらでも食えるな!」

「あぁ……まったく」


 アキヒコが小鉢を差し出す。

 そこには、赤く光る宝石のような筋子。


「……美しいな」

「これは……間違いなく、旨い」


 一口。

 プチッという音と共に、濃厚な旨みが口に弾ける。

 オスカーは思わずご飯の上に全て乗せ、一気にかき込む。


「これは……飯に合う!」

「美味い!! 旨みの爆弾だ!!」


 笑い声と涙が混ざるような、温かい時間だった。


 食べ終えたあと、オスカーは小さく呟く。


「……店主。もう二皿、ホイル焼きを頼めるか?」

「おかわり、ですか?」

「いや――食べさせたい奴らがいる」

「……かしこまりました」


 アキヒコは頭を下げると再びホイル焼きの調理を始める。

 それを見てオスカー達は嬉しそうにホイル焼きを食べ続ける。


「……オスカーよ」

「なんだ」

「冒険者を続けるのはいい。だが……一人というのは、寂しくはないか?」


 オスカーは無言で水を飲み干し、グラスを置いた。


「……もう、仲間を失うのは御免だ」

「そうか……要らぬ気づかいだったか」

「いいや、そのお前の気遣いで、どれだけ【獅子の闘志ライオ・ハート】の皆が救われたか……俺、自身もそうだ。レイナとライオが死んだ時、心が折れた俺を救ってくれたのはムルシラ……お前だ」

「……オスカー……」

「お待たせいたしました。ジェネラルサーモンのホイル焼きです」


 アキヒコは二人の前にもう二皿分のホイル焼きを置いた。


「今日はもう店を閉めますので、お二人……いえ、四人でごゆっくり召し上がり下さい」

「…………店主……」

「かたじけない」


 アキヒコは店の入り口の鍵を閉めると奥の部屋に消えていった。二人っきりになったオスカーとムルシラは黙ってホイル焼きを食べる。


 次第にムルシラの目から大粒の涙がこぼれた。


「私がッ!! タンクの私が守れていれば!! 二人は――!」

「違う……誰のせいでもない」


 二人は泣きながら、最後のホイル焼きを食べ続けた。

 涙が味を薄めることはなかった。

 むしろ、あの頃の温もりが戻ったように感じた。


「……食おう。生きよう。レイナと、ライオの分まで」

「あぁ……そうだな」


 蒸気の向こう、二人の涙が光った。

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