第8話 叶えたい願い

―1—


 男子の中で運動ができるのは、野球部の武藤。ハンドボール投げで2位だった和井場ぐらいだ。後は平均的といったところだ。


「よし、最後だし俺も走るぞ」


 瀧川先生がトラックの1番内側に入ると、屈伸をしたり体を回したりして固まった体をほぐし始めた。

 40歳近いのによくやるな。これはオレも負けてられない。


「負けねえからな」


「おお、いいな。わいも負けへんで」


 なぜかオレは武藤と和井場からライバル視されているみたいだ。

 2人に挟まれる形のオレは、とりあえず高まった気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をした。プレッシャーがかかる場面は深呼吸をするに限る。


「それじゃあ行きますっ」


 橘がピストルを持っている右手を突き上げ、左手で耳を塞いだ。


「わっ!」


 橘が引き金を引いたのをきっかけにオレたちは一斉に飛び出した。

 1500メートルはトラックの7周半。ということはペース配分が大事だ。初めの方に飛び出したしても、終盤でガス欠を起こしたら話にならない。


「おらあ!」


 武藤が先頭に飛び出てぐんぐんと後続を引き離す。あれでは体力が持たないだろう。

 いや、野球部のトレーニングで1500メートルなんて距離は走り慣れているのかもしれない。

 ふっ、たかが体育のスポーツテストでオレはなにを熱くなっているんだ。


「きゃー! 和井場くん、頑張ってーー!!」


 黄色い声援がトラック外から聞こえてきた。和井場の応援団のようだ。

 和井場がその応援に応えて手を振ると、応援団は嬉しそうにきゃっきゃっしていた。くそお、和井場はアイドルか何かか?


 オレの応援などいるはずもないが、僅かな望みをかけて目をやると白川と目が合った気がした。

 と、その時、和井場がオレの隣にピタリと並んだ。先程の余裕な表情は無く真剣そのものだった。どうやら和井場もガチらしい。

 和井場に離されないようにしばらく並走していると、失速していた武藤に追いついた。


 武藤が横目でオレと和井場を捉えると、抜かされまいと食らいついてきたが、その粘りも虚しくオレたちの視界から消えていった。

 5周を過ぎた辺りから周回遅れの奴がちらほらと出てきた。外側から周回遅れの連中を抜き、残り約2周先のゴールを目指す。


 すると、ここで予想外の瀧川先生がオレと和井場に追いついた。


「おらっ、抜かすぞ」


 冗談ではなく本気でオレたちを抜きに来た瀧川先生。きっと、今頃女子からの評価も上がっていることだろう。

 ついでにオレの評価も、そこまでいかなくてもせめてこの機会に名前だけでも覚えて欲しいものだ。


 先頭は瀧川先生、2位に和井場、ほぼ僅差で3位にオレといった順番だ。4位以降は、かなりの差ができているのでここから抜かされるということはなさそうだ。

 それにしても先生も和井場もどうなってやがる。こんなに飛ばしているというのに、全くスピードが落ちる気配がない。

 それどころか6周半を過ぎてラスト1周になった辺りでさらに加速した。もうそれはほぼ全力疾走に近い。


「こうなったら少し本気を出すか」


 ここまで来たら負けたくないという気持ちがまさってきた。

 それに現状オレより前に2人いる訳だし、何ら問題ないだろう。


 手始めにオレは和井場と並んだ。

 和井場は驚いた表情を見せたが、すぐにニヤリと笑った。


「やっぱ追いついてきたか。でもわいは負けへん」


「嘘だろ」


 和井場はオレに並ばれることを想定済みだったのかさらに加速した。どこにそんな力を隠していたというのか。

 和井場に離されないように食らいついていると瀧川先生が和井場と並んでいた。この先生の体力も異常だ。


 もうゴールはすぐそこ。残り数メートル。

 ゴール地点には橘が立っていた。

 ………………。


「随分と本気だったみたいね」


 ゴール脇で大の字になっていたオレに白川が覗き込んできた。


「もう少しだったんだけどな」


「瀧川先生も和井場くんもとても早かった。まるで……」


 顎に手を当て何やら考え込む白川に声を掛ける余裕は無かった。水、水が欲しい。

 ゴール直前、前を行く2人との差は詰めたものの追いつくことができず結局オレは3位だった。1位が和井場、2位が瀧川先生だ。

 和井場と瀧川先生は女子に囲まれカッコイイだのなんだのって質問攻めされていた。


 一方、3位だったオレは地に横たわっている。タイム的に差は数秒しかないはずなんだけどな。世の中の縮図のようだ。

 どのジャンルにおいてもトップに注目は集まるが、3位ぐらいになると注目も薄れる。今のオレがまさにそれだ。


「ほら、教室に戻って帰りのホームルームするぞ。着替えて早く戻れ」


 瀧川先生の指示でそろそろと更衣室へ足を向けるクラスメイトの面々。

 オレもここにいつまでもいる訳にはいかないので、蛇口で水を飲んでから更衣室に向かった。



―2―


 放課後。昨日同様、和井場から誘いを受けたが断った。立て続けに断るのは気が引けたが、クロにご飯を食べさせないと可哀想だし仕方ない。

 もう誘ってもらえなくなっても当然だと思っていると、土曜日はどうや? と、誘われた。このイケメンはいい奴だとこの時確信した。女子から人気が出るのも分かる気がする。


 和井場はすでにクラスの数人を誘っているらしく、ショッピングモールで買い物をする計画らしい。交流関係も広がりそうだし楽しみだ。


 隣の席の白川はというと、私は用事があるから行けないと言って帰ってしまった。

 オレが言えたことではないが、もう少し人付き合いをよくすれば白川にも友達が増えると思うんだけどな。


 下駄箱で靴を履き替えて校門を出たところで名前を呼ばれた気がした。

 振り返り遠くを見ても誰もオレを見ていない。どうやら気のせいだったようだ。


「あの、三刀屋くん」


「うお、塩見。どうしたんだ?」


 前を見ると小柄な塩見が立っていた。ビックリした。心臓に悪い。


「よ、よかったら一緒に、帰りませんか?」


 もじもじと頬を赤く染め、小さい声量で塩見がそう言ってきた。

 なんだか小動物みたいで可愛いな。リス……じゃなくて、うさぎみたいな。


「ああ、オレは全然いいけど」


「やった! あ、あの、違うんです。三刀屋くんとは、家も近いみたいですし、魔獣狩者イビルキラー同士ですし、ちょっと聞きたい事もあったので……」


 魔獣狩者イビルキラーということは、あまり他の人に知られたくないが、塩見は他人に言ったりしなさそうなので安心できる。


 コンビニの前を通ると学生が笑い合いながらたむろしていた。

 手にはアイスクリームを持っている。買い食いか。ぽかぽか暖かい今日なんかアイスクリームもよく売れるだろうな。

 そんな様子を隣を歩いている塩見も見ていた。


「なあ、塩見。オレに聞きたい事ってなんだ?」


 なかなか話し出そうとしなかったのでこちらから聞いてみた。


「あ、すいません。いつ話し出せばいいかタイミングが分からなくて。その、三刀屋くんは魔獣狩者イビルキラーじゃないですか」


 なんだ? 改まって。昨日それは一連の出来事で確認済みのはずだ。

 塩見はチラッとオレの顔を見て再び口を開く。視線は道路に移した。


「み、三刀屋くんも叶えたい願いってあるんですか?」


「…………」


「三刀屋くん?」


「ああ、悪い。どうしたんだ急に」


「う、噂になってるじゃないですか。ま、魔獣を倒し続けて、魔獣結晶イビルクリスタルをある量まで集めるとどんなお願いでも1つだけ叶うって。わ、私でも知ってるくらいなので、三刀屋くんも知ってるものなのかと思いました」


「うん。その噂なら聞いたことがある。でも都市伝説とかそんなレベルじゃないのか? 何でも願いが叶うってそんな夢みたいな話が本当だとは思えない」


 魔獣狩者イビルキラー界隈で、ある時期に流行った噂。

 流したのは、妄想が大好きな魔獣狩者イビルキラーとか魔獣狩者イビルキラーに憧れていた一般人だと言われている。噂の出元は一切分かっていない。

 人から人に伝わる度に変化を遂げ、色々な説があるが大体は塩見が話したようなニュアンスのものだ。


 魔獣を倒した際、魔獣は灰に姿を変える。

 白川と初めて河川敷で会った時もウルフが灰になった後だった。

 灰の中には魔獣結晶イビルクリスタルという石が魔獣1体につき1つ入っている。石の色も魔獣によって様々でウルフの場合は黒色だ。

 そんな魔獣結晶イビルクリスタルを集め続けるとある時、魔界に続く扉が現れ、何でも1つだけ願いを叶えてくれるという。魔界にそんな親切な奴がいるとはとても思えない。


「う、噂はやっぱり噂なんでしょうか……」


「まあ、願いを叶えたって人がいる訳じゃないし、信憑性は低いだろうな。その手の噂を本気で信じてるって人もいると思うけど、信じてるんじゃなくて信じたいってのが正直なところだとオレは思う」


 噂話に対してオレなりの考えを塩見に話していると、気付けば家の近くまで来ていた。


「あ、あの、三刀屋くんに話を聞けてよかったです。ありがとうございました」


 塩見は、直角よりも深く頭を下げると、私はこっちなのでと言って右に曲がった。

 オレはその場で塩見の姿が見えなくなるまで待ってから家に帰った。


―3―


 その日の夜。空には欠けた月が雲の隙間から顔を出していた。昼間は雲1つ無かったというのに、ここ最近の天気は分からないものだ。


 自室の隅にポツンと置いてある黒色のリュック。そのリュックを見て、塩見と話した噂話をふと思い出した。


「叶えたい願いか……」


 所詮噂話。信じたところでそれが事実だという保証は何処にもない。

 ましてや、魔獣1体につき1つしか落ちない魔獣結晶イビルクリスタルの大きさは、親指と人差し指で作るOKサインの丸の大きさとほぼ等しい。直径3から4センチぐらいだ。

 それをここまでの量までと特に決められていない、不確定な数を集めるとなると気が遠くなる。

 そんな馬鹿げた話を信じている人はいるのだろうか。


「……願いならオレにもある」


 リュックの半分までぎっしり溜まった魔獣結晶イビルクリスタルを見てそう呟いた。

 さっきまで見えていた月は雲に隠れ、北柳町は闇に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る