最期の選択

「柏樹二佐、もう……」


 相馬の声に、陽は我に返った。足下に転がる死体には頭部が存在していなかった。


「はあ、上総は……。おい上総!大丈夫か!」


「……うっ。ああ……、だけど」


「都築さん……」


 相馬は、上総の裏の仕事を知らない。それでも、自分たちの知らない上総がいる、自分たちには言えない仕事をしているということは、なんとなく気が付いていた。


「おい、解毒薬はどこだ」


 上総の肩を掴んだ陽は思わず手を離した。隊服越しでも伝わる酷い熱さ。被弾した傷も相まって、もう立っていられない程だった。


「いや、ちょっとこれ……。どうすれば、どうすればいい」


 こんなことで怯んでいる場合ではない。しかし、上総がこんな状態に陥るとは、今までではじめてのことで……。すると、力無き上総の手が陽の腕を掴む。


「……そんなものはない。だって、必要ないから。それに、どうせ近いうちに死んでいた。……改良に改良を重ねたんだ。実験結果は、良さそうだ。……うっ!!」


 もう見ていられない。助けることもできない。この薬では死ねないと聞いた。それならば、楽にしてあげられる方法はひとつしかないじゃないか。


「……この薬に関するデータはもう消してある。残りも、これがひとつのはずだ。さ、最後は、司令官に……。……頼めるか」


 上総は、震える手で一本の注射器とアンプルを陽へ手渡した。


「おい……、上総……」


 助けたいと、助けようとは思うが、それを恐怖が抑制する。率直に怖い。人間がこんなにも苦しみ悶え続ける様は異様だ。毎日多くの実験体を目の前に、上総を含め研究員たちはよく耐えていたものだ。一日で頭がおかしくなっても無理はない。


「……相馬。お前は、少し優しすぎるところが欠点だ。それは長所でもあるけれど、その優しさは時に判断を鈍らせる。……指揮官として、非情な決断も必要だ」


「おい上総、お前なにしてんだ!!」


 胸を抑えて苦しみながらも、上総は自らの頭に銃口を向けた。しかし、ふらつきながらなんとか立っている状態。もう限界か……。


「都築さん!!」


 相馬は、下唇を噛み締め荒い呼吸をなんとかを抑え込む。悔しさがどんどん溢れてくる。


「それだけはいけません!銃を下ろしてください!」


「……もう、ほとんど眼が視えないんだ。それに頭が割れそうで。出血もひどいし、もって一時間程度だろう。……相馬、お前になら安心して後を任せられる。……和泉たちにも、礼を言わないと」


 上総は、今までのことを想い返していた。とにかくいろんなことがあった。普通ではない人生を生きてきた。決して真っ当な生き方だったとは言えない。なにせ、法を犯すことなんて当たり前だったし、どのくらいの人間を手にかけたのかももう覚えていない。

 この組織の中ではなんとか上に立つ存在としてやって来られたが、世間から見ればちっぽけなただの軍人。自分の人生は、果たしてこの世界に必要だったのだろうか。誰か、たったひとりでもいい。誰かの支えに、助けになっただろうか。


「……いいか、俺は最低な上官だった。だから、お前は決して俺を真似するなよ。……俺みたいになったら許さないからな。……相馬、お前なら立派な部隊長になれるよ。……それと、美月と大郷に謝っておいてくれないか。これだけは決して許されない罪だ」


 今思い返せば、どんなミスをしたって上総は声を荒げることはしなかった。むしろ、自分の教育不足だと逆に謝ることさえあった。

 あまり部下たちと距離を縮めようとはしなかったが、皆わかっていた。上総ほど自分たちのことを考えてくれていた人はいない。どこまででもついて行きたかった。


「陽。……俺に、いやこの組織に長々と付き合わせてしまって。それに、いつも邪魔をして悪かった。……でも必要だったんだ。特務室に、残って欲しかった……」


「……上総」


 自らの罪と闘っているのだろう上総を、二人はとても見ていられなかった。誰がこんな未来を予想できただろう、いったいどこで道を間違えたんだろう。


「お前が死ぬなんて考えられない……。いつか来るとは覚悟していたけど、そんな終わり方ってないだろ!そんな辛い思いを、しなくたっていいだろ……」


 陽は悲痛な顔で訴えた。どうしてこうなった。自分の、せいなのか。そもそも俺があんなことをしてしまったから……。


「ごほっ……!」


 遂に上総は吐血をした。確かこの薬は、死なない程度に少しずつ細胞を破壊していくものだった。上総の身体の中は、徐々に壊れはじめている。


「どうしたらいいんですか……。都築さん……!」


 この声は届いているのか。目の前の上官は、ただひたすらに苦しみ足掻き血を吐いている。……楽にしてあげたいと、思ってしまう。


「……因果応報。俺がしてきたことに対して、報いるためには、はあ……。こ、これくらいでも、まだ足りない」


「それは……」


 あの雨の日。上総がおかしくなった最初の日。手にした拳銃を見つめてつぶやいた言葉。


「……陽が、俺のことを逐一監視していたことは気付いていた。はあ……。それは、お前の正式な任務だけではなく、おそらく久瀬将官に命じられてのこともあるだろうと……」


 視界は完全に消えた。声も僅かに届くだけ。とてつもない苦痛に耐え、上総は最後の思いを吐き出そうとしていた。


「相馬、上総は裏切ってなんかいない。すべてはこの組織のためにやったことだ。皆が知らないところで、様々なことが悪い方向に動いていた。ただそれを止めようとしただけなんだ」


「……そうでしたか。やはり、最後まで信じて良かった。都築さんは必ず戻って来ていただけると、心のどこかで思っていました」


 相馬の言葉に、上総は眼を大きく見開き口を噤んだ。


「ご覧のとおり、私は無傷です。おそらく、他の皆もそうでしょう。十倍の人数の敵に対し、部下たちは拍子抜けしていることでしょうね」


 相馬の目尻から涙が一滴零れた。心からの安堵、最後まで信じ切れた自分。そして、もう元に戻ることはできないという哀しい現実。


「都築さんが私たちを放棄するなど、絶対に有り得ません。私は都築さんの副官ですよ、見縊られてしまうと困りますね」


「……相馬。その腕、申し訳なかった。……焦点が合わなくて当たってしまった」


 なにが隊長だ、なにが上官だ。一番仲間をわかっていなかったのは自分じゃないか。


「……陽、相馬、本当に迷惑かけてばかりで……。はあ……。だ、だけど、……ここを護ってくれると、信じている……。どうか、どうか頼む……」


 その途切れ途切れの声に、心からの叫びに。この人が最期まで護り抜いたその固い意志を。

 そして二人は決断した。相馬は悲痛な表情で、それでもなんとか笑みを浮かべて敬礼を掲げる。


「……承知しました!ご心配なさらないでください。都築さん、お疲れさまでした……!!」


「……上総、この先は任せろ」


 一発の乾いた銃声が夜空に鳴り響いた。それは、ある男の人生の終わりを告げる音であると共に、ふたりの男の人生の新たな幕開けを告げる哀しい音だった。

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