「全滅か……」

　閃光発音筒を投げた途端、敵は皆耳を塞ぎいとも容易く始末することに成功した。

「わりと呆気なかったな」

「こいつら、本当に戦闘員か？」

　藤堂と結城は、相馬とは違い一切の迷いがない。相手が敵だと判れば、どんな手を使ってでも即排除する。

　相馬は、もちろん指揮官としての度量はある。しかし優しすぎるが故、戦闘時においての咄嗟の判断力が少々欠ける。だが、二人は迷うことすら許されないという教えを今でも身体に染み込ませていた。そして、これは陽に教わったことだった。

「相手も同じ人間だが、決して情は持つな。そのほんの少しの迷いの隙に、自分が殺られることになる。俺たちはどれだけ手を穢しても構わない。あいつを護るためなら、どんなことでもする覚悟を持て」

　二人が第二部隊に配属された日、隊長である陽が二人に伝えた言葉。

　きっと、陽やかつての第一部隊の隊員たちは、想像もできないほどに非情な行いをしてきたのだろう。それは誰に言われたものでもない。自ら進んで、自らの上官のために動いたのだろう。

「……こうやって、俺たちを使って一掃するつもりなんだな。この山梨の奴らでさえ、あいつらにしたら邪魔者ってわけだ。くそっ、これじゃああいつらの思うつぼだ」

「それでいて、直接手は汚さないんだもんね。まったく、どこまで落ちぶれているんだか」

　病棟へ続く扉にそっと手を掛ける。上総のことだ、研究員までもを駒として使っている可能性が高い。

「……どうだ」

「とりあえず、近くにはいないようだけど。なんかおかしいな、気配すら感じない」

　病棟内は特に変わった様子もなく、藤堂と結城は奥へと進んで行く。

「藤堂二尉、結城二尉……」

　すると、今入って来た扉から分隊長らが駆けつけた。

「早かったな。なんか様子が変なんだよ。お前らは上を見て来てくれるか」

「承知しました。あと、実は先程……」

　二人は階段を下り地下へ向かった。病棟に入ってから、これまで誰一人として敵には遭遇していない。

「これは、あれかな。爆弾かな」

「まじかよ。ここ開けたらドカンか」

　藤堂は一息ついて、地下室の扉を一気に開いた。すると、信じられない光景が目に飛び込んできた。

「え、なんで……」

　そこには、病棟職員と研究所員を含む、ISA全社員の姿があった。皆、こちらを見るや青い顔をして後ずさって行く。

「大丈夫だ、俺たちはなにもしない。それより、どうしてここに……」

　なにがどうなっているんだ。ここにいる人間も駒として使うんじゃなかったのか？危険な本部上層階から最も離れている病棟地下。これじゃあまるで隔離……いや、避難でもさせているようではないか。

「……藤堂、これって」

「ああ。俺たちは大変な勘違いをしていたのかもしれない」

　＊＊＊

「さあ、橋本将官。手を上にあげてそのまま進んでください」

　屋上の扉を開け、上総は橋本の背中に銃口を突きつけた。その途端、闇に煌めく星の輝きが視界いっぱいに飛び散った。そして、勢いよく生温い風が舞い込んでくる。その心地よい風は、ほんの一瞬だけ現実を忘れさせてくれた。

「……そういうことか。やけに素直に私たちの下についたと思ったが。私を殺したところでなにも解決しない。いったい、なにを探っていた」

「探る、だけではありません。利用し潰す予定でいました」

「潰す？はっ、笑わせるな。ただな、先ほど司令官が都築を裏組織の上層部に会わせると言い出してね。それがどういうことか。私の地位はどうなる、面目丸潰れだよ。都築、お前が司令官の右腕になってしまう」

「右腕……。どんなに金を積まれようとも、それだけは遠慮願いたい。橋本将官、あなたにお譲りいたしますよ」

　橋本は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。だが、上総はただただ生気のない酷く冷たい目で橋本の方を向いていた。

「生意気な小僧だ。都築、人を動かすのは面白いだろう。自分の命令ひとつで、部下を生かすことも殺すこともできる。司令官の右腕になれば好き勝手にし放題だ」

「いいえ。人を動かすというのはとても難しいことです。確かに、命令ひとつで好きなように動かせますが、それはただ単に表面的な行動でしかありません。それでは人の心までは動かすことはできません。私は、そんな指揮官にはなりたくない」

「都築、お前は人選ミスだったんじゃないか？こんな頭が固い奴に第一部隊の隊長なぞ務まらないよ。司令官は判断を誤ったな」

　引き鉄に掛かる人差し指に力が入る。しかし、少し前から目が霞み頭痛が酷く頭がふらついていた。いよいよ、脳腫瘍の肥大が限界に達したようだ。

「……司馬室長。懐かしいね、私の先輩だったんだ」

　その名前に上総は息を呑んだ。司馬は父親の苗字であり、元々の自分の苗字でもあった。橋本と関わりがあったとは。

「まったく司馬さんは正義感の強い人で、多少の裏金や献金にも目を瞑ってくれなくて。上層部からも困っていると要望がきたものだからさ。当時の、恩田専務からね」

「あなたが、両親を……」

「上からの方針に従わない者が排除されてしまうのは仕方がないことだ。ただ、なぜ急に離婚をしたのか当時少し気にはなったが、なるほどね。都築、君に託したのかもしれないね」

　大学生の頃に、ISAという製薬会社の役員である恩田という男が両親の死に関わっているということまでは突き止めた。それが今になって、やっと真実が明るみになった。

「……そうでしたか。正直、あなたに感謝している自分もいます。命令されてしていたことであろうと、表向きには法の目を掻い潜っていようと、両親の行いは違法行為です。まだ子供だった自分には止めることはできなかった」

「では、お許し願えるのかな？」

「標的が、あなたでよかった。恨みが晴れるとまではいかないですが、あなたの死で、救われる者は大勢いる」

　自分自身に失望する。両親の死後、在籍していた部署は閉鎖されたため調べる術がなかった。それでもこの十五年間、どうしても真相にたどり着くことができなかった。

「都築、お前が死ねば私はまた上にあがれるんだよ。お前の言うとおり、司令官の右腕としてね……」

　そのとき、屋上の扉が開き見覚えのある顔が目に入った。その姿に上総は大きく眼を見開いた。まさか、もう顔を合わせることはないと思っていたのに……。

「陽、相馬……」

「……柏樹だと？」

　その姿に橋本の表情が歪む。柏樹はおそらく政府の人間だろう。佐伯共々、まんまと騙されていた。

「……都築、君が病に冒されていることは知っているよ」

「……！」

「片眼、見えていないね」

　ドンッ！

「上総！！」

「都築さん！」

「柏樹、相馬。二人とも動くなよ」

　橋本は上総の右脇腹を撃ち抜いた。上総は僅かに顔を歪め歯を食いしばる。

「脳が圧迫され、視界の右半分がかなり制限されている。……どうだ、当たってるだろ？」

　そう言うと、橋本は陽の頭に銃口を、首元に注射器の針を向けた。

「柏樹、試してみるか？お前はまだこの威力がどれほどのものなのか知らないだろう。打ったら最後、もう元には戻れない。都築、柏樹に打たれたくなければ、お前が打て」

「柏樹と相馬に危害を加えないという保証は」

　橋本は鼻で笑い、上総の足元に注射器を放り投げた。

「上総やめろ！俺はどうなってもいい！」

「拾え」

　上総は足元に転がる凶器をしばし見据えていたが、一息ついたのち抑えていた脇腹から手を離し、ゆっくりとその凶器を拾い上げた。

「やめろって……」

　上総の決意を目の前に、陽は小刻みに顔を横に振り最後の願いを伝えていた。だが、どうやらそれは叶いそうもない。

「……随分おとなしいんだな、柏樹。拳銃片手の人間くらいどうってことないだろうに。なぜ俺を殺さない」

「……」

　動けるなら動くさ。お前がひと呼吸終える前にその命を奪うことくらいなんてことない。だけどな。

「……都築隊長の決めたことは絶対だ。それは、必ず従わないといけないという意味じゃない。その決断は必ず正しいんだ。だから俺は従う」

　一息ついて、上総は瞼を閉じた。この薬は死よりも恐ろしい。打った途端に死んだ方がましだと誰もが思う。

「どうした都築、怖くなったか？お前はずっと目にしてきたもんな。それを打てばどうなってしまうのかよく知っているもんな」

「……いえ。いつかは自分に使うときが来るだろうと、改良を重ねてこの薬を作ってきました。これは自分自身で試すことのできなかった唯一の薬。少し感慨深くなってしまいました」

　上総は注射器をぐっと握り、なんの躊躇いもなく自らの首に刺した。途端に身体中が酷い熱と痛みに支配され、やがてとてつもない頭痛と吐き気に襲われた。呼吸をすることさえままならず、顔を顰め頭を抱え小刻みに震えだす。

「どうだ、自らが生み出したものを自らが体感するのは。やはり、お前の腕はさすがだな」

　脚が崩れそうになるのを耐え、内側から破裂してしまいそうな程の痛みをなんとか堪えていた。正直、一瞬でも気を抜けば意識を失うだろう。

　ドンッ！ドンッ！

「ぐあっ……！」

　気が付くと、陽は一心不乱に引き鉄を引いていた。焦点は合っているのだろうか。無の顔で、表情を一切変えることなく、少しずつ橋本のもとへと近づいていく。

「ぐう……、ああ……」

「相馬、下がってろ」

　続いて橋本が持つ拳銃を撃ち飛ばし、間髪入れずに急所を外しながら陽は尚も撃ち続ける。橋本は血を吐き目蓋を大きく開き、徐々に顔は赤黒く染まっていく。

「柏樹二佐……」

「まだだ、苦しめ……」

　既に橋本は仰向けに倒れ、ぴくりとも動かない状態だった。それでも陽は、すべての銃弾がなくなるまで撃ち続けた。