第63話

『姉ちゃんは、あの人たちを逃したらダメだと思う。』

亜哉が何度も何度も私に告げる言葉。一人の部屋でずっと反芻してる。

「私が逃すんじゃなくて、逃げるんだよ…。失うことが怖いから。」

大切なものを失ったばかりの私には、新たな大切なものを持ち、失う恐怖とともに生きる、そんな勇気はなかった。

体が考えることを拒むように、どうしようもないほどの睡魔に襲われる私を、現世に留めるように電話が鳴る。体を起こす気力すらそがれていて、手を伸ばしてスマホを取る。

「もしもし。」

「つぐ、俺。」

「…拓真。」

「あゆのわがままに付き合ってくれてありがと。」

「…こちらこそ。ケーキありがと。美味しかった。」

「口にあったなら何よりだ。」

そう言って拓真は電話の向こう側で笑う。

「ありがとう…。用事は?」

「特にないよ。つぐの声が聞きたかっただけ。」

「そっか…。」

拓真が似合わぬセリフを吐く。あの人に、何を言われたんだろうか。それで私に電話をかけてきたのだろうか。それならば少しだけ嬉しい。

「嬉しいな…。」

「…?何がだ、つぐ?」

「拓真、私はあなたが望まない限り離れたくないわ…。あなたの特別にはなれなくても、あなたは私の特別だから…。」

「…つぐ?」

正直何を口走っているかもわからない、ただただ眠気の衝動に口が動いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る