第63話 魂の追跡者




「…………う」


 ティオは目を開く。


 視界に映るのは地面と、赤い液体。それが自分の流したものだと気付くのに、少しの時間を要した。


 徐々に主張を強めていく全身の痛みに、混濁した意識と記憶が目を覚まし始める。最後の記憶は一瞬のうちに消し飛んだ炎手と、自分に迫る無色透明の衝撃波だ。


 その結果なのか、今は地面を転がっている。全身に力が入らず、在るのは痛みと脱力感。どれだけ意識を失っていたのかも、自分の状態すら把握する事が出来ない。


「――やっぱり生きていたね。……流石と言うべきかな」


「……!」


 その声が耳に届いた瞬間、ティオは起き上がろうと力を捻り出す。無論そう上手くはいかず、痛みは更に主張を強める。だが、流れる血が増えるのも厭わず、ティオはなんとか上半身を起こし、声の方に顔を向けた。


「……ゼノスッ……!」


 ゼノスは傷口を押さえながらも、そこに佇んでいた。


 見れば、周囲の景色は随分と様変わりしている。ゼノスを囲んでいた炎手は勿論、炎の揺籠クレイドルもその姿を消し、僅かな燃え残りや木に燃え移った小火が、ぼんやりと辺りを照らしていた。


 炎に照らされたティオ達の周辺は、ならされたかのような有様になっていた。まるで・・・爆発か何かで地面が削られたかのようだ。


 それが“まるで”ではないことを、ティオは知っていた。


「ふふ……酷い有様だろう? 我ながら未熟な魔術だ。本来であればこんなこと・・・・・にはならないんだけど、制御しきれなかった魔素と風が暴発してしまった。おかげで必要以上に体力を持っていかれたよ。もうスッカラカンさ……」


 ゼノスは薄く笑みを作りながら肩を竦めて見せる。


 暴発、と称したが、その威力の絶大さはこの状況が示している。周囲を更地に変え、何より頼みの綱である揺籠も掻き消された。


 さらに、結果的にはそれのおかげで生き残ったとは言え、最後の防御魔術で全ての体力を使い切ってしまった。もはやティオに反撃する力は無い。


 状況は、ティオにとって絶望的だ。それを理解しているゼノスは、決着を着けんとティオに近づいていく。スッカラカンと本人は言ったが、その足取りは確かだ。決着それに充分な力はしっかりと残しているのだろう。


 ティオに出来るのは、ただゼノスを睨むことだけだった。


「……最後までその強い意志は消さないか。それでこそ――……」


 途中で言葉を切り、ゼノスは明後日の方向を睨む。釣られてティオもその方向に視線を向けるが、夜の闇に阻まれて何も見えない。ただ、闇の向こうから僅かながら声の様なものが耳に届いた。


「……衛兵か、今更なことだ。しかし連中に見つかると面倒だな」


 ゼノスは呆れを含んだような呟きを浮かべる。


 確かにこれだけ派手にやっていれば衛兵も気付くだろうが、むしろそれにしては遅い登場と言わざるを得ない。以前のクルーガー邸における対応の速さとは雲泥の差だ。それは貧民街に対する管理の杜撰ずさんさと言えた。


 だが結果的に、ゼノスが満身創痍であるこのタイミングとなったことは衛兵達にとって、そしてティオにとって、僥倖だった。本来のゼノス相手にならいざ知らず、今のゼノスには衛兵数人でも厄介な戦力だ。


「顔を見られる訳にはいかないが、さて……――っ!」


 ゼノスは横合いから迫る風弾を察知し、回避する。その撃ち手はこの状況では1人しかいない。


「私のことを忘れられては困るのです……!」


「未熟な君如きが……っ!?」


「――せあああああッ!!」


 ゼノスの視界に雷光が奔り、次の瞬間、身体を衝撃が貫く。完全に不意を衝かれたゼノスは対抗できず、そのまま地を滑った。


「はぁっ……はぁっ……! ティオは……ミラが守るのっ……!」


「フィア……ミラ……」


 見れば、ミラの膝は震えている。


 きっとティオに庇われたあれ以降、ずっと震えていたのだろう。それでも、震えを抑えられた訳でも克服した訳でもなく、震えながらでもティオを助ける為に動いたのだ。


「ヴォフ」


「……ネスレ」


 今度はネスレが、ティオを守るかの様にティオの前に立つ。いや、正しく守るそのつもりなのだろう。ネスレだけでなく全員が、だ。


「――ありがとう……! ……ぐっ、く……!」


 小さなうめき声を上げながら、ティオは立ち上がった。とは言っても当然ながら、戦える様になった訳ではない。


 ただ、目線を合わせたかった。自分の為に立ってくれた仲間達の為に、せめて自分も立ち上がろうと思ったのだ。


「…………!」


「………………!」


 衛兵の声が届く。その声は先程より近い。どうやらこちらに気付いて向かって来ているようだ。


 あと少しで彼らも到着する。それまで生き残ることが出来れば、勝機はある。


「…………ふふ。……あはは」


 いつの間にか立ち上がっていたゼノスが不気味な笑いを零す。まだ何か奥の手があるのかと、ティオ達に警戒させるには十分だった。


 しかし、ティオ達の警戒とは裏腹に、ゼノスはティオ達に背を向けた。


「……君達の勝ちだ」


「……なんだと?」


 ティオは警戒を緩めずに聞き返す。確かに状況はこちらが有利とは言え、ゼノスにしてはあっさりしているように思えた。


 そんなティオの反応に嗤いを零しながら、ゼノスは続ける。


「今回は、ね。元より、衛兵が出て来た時点で退くつもりだったさ。ティオ君の最期を、誰かに邪魔されるのは受け入れがたい。最期それは、僕のモノ・・・・・だ」


 ぞくり、とティオの背筋を冷たいものが奔る。殺気にすら近いその執着に、ティオはなんとなく、本当になんとなく、1つの結論に辿り着いた。


「……それが、お前のセンス・・・か」


 その言葉を聞いたゼノスは足を止め、顔だけで振り向く。


「っ……!」


 歪んだ笑みを浮かべたその表情は、雰囲気は、確かにあの時と、眼鏡を外した時と同じだった。ミラ達は今すぐこの場を後にしたい衝動に駆られる。


 ゼノスは胸元から壊れた眼鏡を取り出し、再び掛ける。その壊れた眼鏡にいかほどの意味が有るのかはわからないが、その不気味な雰囲気は少し和らいだ。


「……魂の追跡者アニマ・クエスター。ティオ君、君の魂は僕のモノだ。僕以外に殺られたら……許さないよ?」


 そう言って、ゼノスは再び森に向かって歩き出す。


「あ、そうそう。僕の個人的な事情それとは別に、君は任務の上でも僕達の標的ターゲットになった。今回の標的ライセンなんかどうでもよくなるほどにね。今更、君の周囲に危険は及ばないだろう。まぁ信用するかどうかは君次第だけどね」


「……俺が標的、だと?」


 思わずティオは聞き返す。標的とそうなる心当たりは一切なかった。


 だが、一瞬考えた後、ティオはそれを受け入れる。ゼノスは決して信用できる相手ではないが、ここで嘘を言う意味も無いだろうし、そういった性格でもない。何より、それはティオにとって好都合だった。


「……随分とやられたことだし、僕はしばらく引っ込むよ。じゃあね子猫ちゃん達、それから……魔凱マガイの少年」


 ふふふ、と最後まで不気味な笑みと、さも次会うのが当然であるかのような挨拶を残し、ゼノスは森の中へとその姿を消した。


(――……ガイ……?)


 ゼノスの気配が消えた後、最後に残した言葉を反芻しながらティオは意識を闇に落とした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る