07:夜の学校で(1)
「昼まで雨が降ってたけど。止んで良かったね」
「うん」
工事中の赤いランプがくるくると派手に回る路地を歩き、民家や商店が続く細道を抜けて、無言で歩くこと十数分。
考えに考えて捻り出した話題はほんの一秒で終わった。
訪れるのは、再びの沈黙。
人気のない夜道に足音だけが鳴る。
視界の端で電車が走り、騒々しく通り過ぎていった。
(ま、間が持たない……っ)
それほど親しくもない、というかはっきりとライバル視している異性と二人で夜の街を歩く。それがどれだけ胃に負担をかけるかよくわかった。
沈黙が重い。雑談でもして少しでも場を和やかにしようと思うのだが、相手はこちらの気遣いがわからないのか、会話を続けようとしない。
何か話しかけても相槌か簡単な「はい」か「いいえ」で終わってしまう。
(おのれ笠置……こんなにとっつきにくい奴だったのね。山下くんも中田くんも、よくこんな奴に付き合ってられるわ……あんた、お調子者で明るい山下くんがクラスメイトじゃなかったら、間違いなく『ぼっち』になってたわよ。彼には感謝しなさいよ)
自分の斜め前を歩く彼の背中にそう念じてみる。
だが無論、心の中で思ったことに返事があるわけがない。彼は急ぐでもなくマイペースに歩いている。
歩くたびに黒髪が小さく揺れている。
天然なのか、少し跳ねた髪先。
いまどんな表情をしているのだろうか。何を見ているのだろう。肩の力を抜いた、ごく自然な態度で前を見ているようで、彼は何も見ていないような気がする。
世界から一歩ずれたところで浮遊しているような、不思議な人。
(頭は抜群に良いけど、協調性ってものがないわよね。社交性に乏しいというか……いっつもクラスの隅っこでぼーっと窓の外を眺めてるか、本を読んでるか、寝てるかのどれかだもの。話しかけられたら返事はするけど、必要以上に関わりたくないっていうのが雰囲気で伝わるから、結局みんな遠慮して、つかず離れず。私とは正反対よね。私は皆の注目を集めて人気者でいたいけど、彼は違う。自分に関わることすら他人事として切り離して、遠くから俯瞰してるような、傍観者)
――要は、変人ということだ。
振り返らない彼を見つめるのにも飽きて、意味もなく斜め上、空を見上げる。
曇天の空。星は見えないが、分厚い雲の隙間から月が覗いていた。
「綺麗だね」
と、初めて彼が話しかけてきた。
「え?」
視線を戻して聞き返すと、彼は肩越しにこちらを振り返った。
彼の表情を確認するには光が足りなかったが、それでも彼は自分を見ていた。
「月。同じものを見てると思ったんだけど、違った?」
「……ううん。私も綺麗だと思ったわ」
偶然にも、全く同じものを見て、全く同じ感想を抱いていたらしい。
月が綺麗だという、ごく普通の感想。
そもそも月を見て汚いなんて思ったことはない。
冬の澄んだ大気の中で見る透明な丸い月も、いまのように暗い雲間にあるからこそ冴え冴えと輝いて見える月も、みんな綺麗だ。
月が綺麗。
(……変なの。そんな当たり前のことで共感するなんて)
またこちらに背中を向けた彼を前に、希咲は小さく笑った。
無人の学校に辿り着き、二人で立ち止まる。
校門は当然閉じられていて、乗り越えるのは大変そうだ――並みの運動神経の持ち主ならば。
花壇の上に立って門に縋りつき、腕の力だけで全体重を支え上げ、無理やりよじのぼる。
門の上に立って希咲はその高さに怯んだものの、覚悟を決めて勢いよく飛び降りた。すたん、と軽やかな着地音が校門前の広場に響く。
(よし、10.0!)
体操選手にでもなったつもりで自画自賛する。
すると、自分よりもさらに華麗に――というのも着地音が自分よりも小さく、体勢も綺麗だった――笠置が隣に飛び降りた。
(なんだこいつアクションスターか!? っていうか、実は運動神経も私の上を行くの……!?)
彼の運動能力は平均並みという話だったが、それは目立たないようにわざと抑えていただけなのかもしれない。
だとしたら本当に希咲は何一つ笠置に敵わないということになる。思わず嫉妬の目を向ける希咲に構わず、笠置は校舎へ向かった。
離れ業を披露しておいて、涼しげな顔が憎い。
「……あれ? 昇降口には行かないの?」
彼が向かう方向に違和感を覚え、希咲は首を傾げた。
「あそこは鍵がかかってるから。美術室の窓から抜けていく。西側の窓、鍵が壊れてるって美術部の榎本さんが言ってた。一応かかるけどすぐ外れるんだって」
「そうなの? 好都合だね。でも、美術室か……なんでよりにもよって美術室……」
がっくりと項垂れる。
(どうせなら無難に教室や廊下の窓にして欲しかった……)
「なにか問題でも?」
「え、いや、あの……」
希咲は言い淀んで俯いた。美術室といえば、怪談のメッカだ。
学校の七不思議、となれば、大抵舞台に美術室が入る。曰く、デッサン人形が踊りだす。曰く、有名な絵画の絵が笑う。死んだ生徒の絵が日に日に加筆される。壁に飾ってある絵が増える……。
(ああ、考えるだけで怖気が)
身震いする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます