06:見抜かれているのかも
(え――ええと――)
希咲は焦った。普通はもっと話しかけてくるものではないのだろうか。他の男子は自分とお近づきになりたいと願い、様々なアプローチをかけてきた。
ラブレターだって三通はもらったし、二回ほど告白されたのに、笠置は違う。
同じ学年にいる全ての生徒は自分より下で興味もないのだろうか。
(私はこれまで彼をめちゃくちゃ意識してきたのに。絶対に負かしてやる、宿敵だと思ってたのに。彼は私のことなんてどうでもいいのかな。いやでもいまはそんなことより。宿題が。怒られる。いままで築き上げてきた優等生の像が。崩れる。私の意地とプライドが。崩れてしまう! それくらいならばいっそのこと……そうよ、こんなところで出会ったのも天の助けなのよ、彼に縋らないと私は絶対に一人で学校へは行けない! 彼一人に笑われるのとクラスメイト全員に失望されるのどっちが痛い!? いいえ、きっと彼なら私の失態を馬鹿にしないわ、だってそもそも私に興味がないんだもの! 別にいいけどってあっさりついてきてくれるわよ! それから口止め料としてスタバ奢ればオッケーでしょ、フラッペチーノおいしいし! 高いけど! おいしいし!!)
混乱の極地で思考はよくわからない方へと暴走し、
「笠置くんっ!!」
がっし、と。
通り過ぎようとした笠置の腕を、希咲は素早く両腕で掴んで止めた。
さすがにこれには意表を突かれたらしく、笠置がびっくりした顔をした。
「……なに?」
「あ、あの……お、お願いが……あるんだけど……」
宿敵に頼まなければならない屈辱と気恥ずかしさで、顔は熱を帯び、声が尻すぼみになっていく。
「うん。聞くからとりあえず放してくれないかな。地味に痛いから」
笠置は淡々とした口調で言った。
「あ、ごめんなさい」
希咲が手を離すと、笠置はつかまれていた箇所を摩った。
引きとめようと焦るあまり、結構な力で掴んでしまったらしい。
やまとなでしこにあるまじき振る舞いだと希咲は反省した。
「……も、もし時間があったら、これから私と一緒に、学校に行ってくれません……でしょうか」
「学校に? なんで?」
「数学の宿題のプリントを忘れてしまったんです……」
「ああ、なるほど。安藤先生は怖いからな。どんなに不真面目な生徒でも、あの先生の宿題だけはやるよね。いいよ」
笠置は頷いた。
「本当に!? ありがとう! お礼に終わったらスタバ奢るね!」
「スタバ?」
「フラッペチーノがおいしいから! モカもキャラメルも季節限定物だって外れはひとつもないよ! もちろん普通のコーヒーだってカフェラテだって超おいしいんだから!」
ようやくこれで宿題ができるという安堵のあまり、希咲はいつになく興奮していた。意味もなく拳を握ってスタバのおいしさを力説してしまう。
笠置は気圧されたように目をぱちくりさせ、質問してきた。
「なにそれ?」
「えっ、スタバ知らないの!? あの甘くておいしいフラッペチーノを飲んだことがないの!? 人生損してるよ!?」
「そんなにおいしいんだ? うん。よくわからないけど、じゃあお礼はそれで」
「うん。それじゃあ行きましょう!」
意気揚々と踵を返し、学校へ向かおうとすると、背後で笠置がぽつりと言った。
「だいぶキャラ崩壊してるね、立花さん。学校での君が嘘みたいだ」
「……っ!?」
ぎくりと希咲は顔を引き攣らせた。
(しまった! 確かにいまの私、完全にキャラ崩壊してる! 素に戻ってたぁぁ!!)
希咲はどうしたものか考え、こほん、と咳払いして。
くるりと身体ごと向き直って微笑んだ。
男子たちを虜にする魅力的な笑顔を作り、一礼してみせる。
「そうね、見苦しいところを見せてしまってごめんなさい。宿題のプリントを忘れるなんて考えられない大失敗を犯してしまって、気が動転していたの。もう平気よ。すっかり平常心に戻ったわ」
「そう。俺はそんな作った立花さんより、さっきの等身大の立花さんのほうがいいと思うけど。君がそれでいいならいいんじゃないかな」
「な……」
(見抜かれてる――?)
絶句して立ち尽くした希咲を置いて、笠置はすたすたと歩いていった。
それから、自分がついてこないのを知って、肩越しに振り返ってくる。
「何してるの? 行くよ」
「え、ええ」
動揺を押し殺して、希咲は足早に彼の後を追った。彼の隣に並び、ちらりと横顔を窺う。
それでも彼がいま何を考えているのかはわからなかった。
無表情のまま前を見て歩いている。
――人の心が読めるんだって。
理緒に言われた言葉が蘇る。
(まさか本当に……いや、まさか、ね)
ひやりとしたものが背筋を通り抜けていったが、希咲は胸中でかぶりを振って、その悪寒を否定した。
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