2-5. 書を守る者(4)

          *

 ――大丈夫。考えすぎだよ。

 何度目かの寝返りとともに、ユウキは小さくため息をついた。

 昼間、ユウキが思い浮かべてしまった可能性は、夜の闇の中でふくれ上がって襲い来る。

 考えてはいけないとわかっていても、気づけば同じことばかり考えていて、いつまでたっても眠気は来なかった。

 だから半分、すがるような気持ちで、隣に寝ているショウの気配をうかがった。わがままで自分勝手な考えだが、大丈夫と言って安心させてほしかった。

 ショウは規則正しい寝息を立てながら眠っていた――かと思えば、小さなため息が混じる。

 どうやらショウもまだ眠っていなかったらしい。ショウにしては珍しいことだった。ショウは物音に敏感ではあるが寝つきはいい方だ。いつもなら五分もすれば眠ってしまっていた。

 もしかしてユウキが何度も寝返りを打っているせいだろうか。

 気づくと、もうそうとしか考えられなくなった。ユウキは頻繁に寝返りを打っている。その音のせいで眠れないという可能性は高かった。だとしたら申し訳なさすぎる。

 当然、声をかけようなどという気はなくなった。何とかショウを眠らせてあげなくてはと思う。

 ――そう、せめて、ショウが寝るまでだけでも。

 静かに寝たふりをしなければと思った。

 バクバクといっている心臓音は仕方ないにせよ、呼吸をととのえて寝ているように見せかけるくらいはできるだろう。ユウキはできるだけゆっくりと吸って吐いてを繰り返した。

 身じろぎしたくなるのをこらえながら、ただ呼吸だけに集中していると、だんだんと気持ちも落ち着いてくる。このままなら眠れるかもしれない、そう思い始めた時――。

 ショウがおもむろに起き上がった。

 一瞬、ユウキは呼吸が止まるかと思った。ショウが眠れるようにと考えていたのに、どうして真逆のことが起るのか。頭の中がパニックにおちいった。

 だが、すぐに気づく。ショウの様子はどこかおかしい。眠れなくて起きたわけでも、喉が渇いて起きたわけでもないようだった。それは続く迷いのない行動が証明する。

 ショウはたたんで隣に置いていた上着を手に取ると、静かに寝袋から這い出た。そして、そのまま音を立てずに梯子を下りて行く。

 ――って、こんな夜中に外に行くの!?

 ユウキは慌てて寝袋から飛び出すと、上着を羽織り、ショウのあとを追った。

 この瞬間、ユウキは自分が身を隠す立場であることをきれいさっぱり忘れていた。ただあまりにも衝撃的な出来事に、考えるより先に体が動いていた。


 外に出たショウは歓楽街かんらくがい方面へと足を進めていた。

 まだ日付をまたいではいないとはいえ、もう店は閉まっている時刻だ。飲むにも遊ぶにも適した時刻とは言い難い。酔いつぶれた男たちくらいなら見つけられるかもしれないが、見つけたところで何ができるわけでもないだろう。

 またどこかに忍び込もうとしているのだろうかとユウキは不安になった。そういう理由でもなければこんな時刻に出歩いたりしないはずだ。

 はらはらとしながらあとを追っていると、ショウがすっと横道へと入った。

 同じように横道に入ってすぐ、ユウキは足を止める。道の先、別の通りに突き当たる場所で、ショウが足を止めて身をひそめていた。

 ――どこかの建物を見張ってる? でもこんな中途半端な場所で?

 ここはちょうど歓楽街と住宅街の境だった。この辺りには店もなく、見張るものがあるとも思えない。

 だが、ショウの目的はここだったのだろう。建物の壁に背をつけて、じっと通りの向こうを見つめていた。

 それからどのくらいたっただろうか。ユウキはぶるりと体を震わせた。風がない分ましではあるが、寒さが足元からじわじわと這い上がってくる。指先がかじかみ始めてユウキはギュッと両手を握り合わせた。

 ――ショウは何をしてるの?

 これまでこんな風に夜中に抜け出したことはなかったはずだ。ショウはあまり音を立てないので、ユウキが気づかなかっただけかもしれないが、ユウキは自分が気配にさとい方だと知っている。でなければ狩猟だってああも成功ばかりしない。ユウキの狩りでの成功率はゆうに八十パーセントを超えていた。

 さらに時間が経過して、もういっそのこと声をかけてしまおうかと思ったその時、ショウが動いた。突然、通りへとその身をおどらせる。

 ――っ!

 ユウキもまた走って通りへと向かった。ショウの姿は建物の陰になってしまい見えない。急がなければ見失ってしまうかもしれなかった。

 ユウキはそのまま通りに飛び出し――慌てて足を引いた。ちらりと見えた通りの光景がユウキを混乱させる。先程までショウがいた建物の陰に身を寄せて、早鐘を打つかのような心臓を抑えた。

 ――今の、何?

 ショウは遠くへは行っていなかった。通りに出てすぐのところで――人を襲っていた。

 ――ショウが? どうして?

 泥棒をやめたとは聞いている。だが、こういうことは続けていたのだろうか。

 ユウキは旅費、生活費の一切をショウに頼っている。もともと貧しい暮らしだった上に、チハルから逃げる時に持ち出せた荷物も少なく、換金できるものがなかったからだ。

 だが、大工見習いだったというショウにだって貯蓄などあるわけがなかった。貴族出身だから持っていたのかと思っていたが、もし違ったとしたら――。

 全身から血の気が引いた。自分はこれまで何を食べて生きてきたのか。

「……を…か?」

「…らない…の話…だ」

 風向きが変わったのか、二人の声がユウキの耳に届く。ユウキははっとしてその会話に耳を傾けた。

「死にたいのか?」

 脅しを多分に含んだショウの声。自分が脅されているわけではないにもかかわらず、背を冷たい汗が伝い、自分はここにいて大丈夫なだろうかと急に不安になる。

「し、知らないと言ってるだろう」

「知らない反応じゃなかっただろ」

「くっ」

「誰に禁じられてる? ここには誰もいない。お前から聞いたとも言わない。約束する」

「む、無理だ」

「風捕りについて話したら殺されるのか?」

「なっ、どこまで……」

 ユウキは耳を疑った。だが、ショウのその一言で急速に理解が追いつく。

 ショウはお金を奪うためにこの人を襲っているわけではなかった。ただ風捕りについて聞き出すために、こんな非常識なことをしている。

 どうしてこんな乱暴な手段になったのかはわからないが、ショウがユウキの知っているショウのままであるとわかって、ユウキは心底ほっとした。

「俺は生きてるぞ?」

「そ、それはお前が若っ……お前、だからだろう。助けてくれ。本当に私は駄目なんだっ」

 男は涙混じりの声で懇願する。ユウキでも感じ取れる異常さ。だからこそ、ショウはこうして問いただしているのだろう。

「お前を縛っているのは――呪い、なのか……?」

 ユウキは恐る恐る建物の陰から顔を出す。そこには押し倒されてガタガタと震えている男と、それにのしかかるようにしてナイフを突きつけているショウの姿があった。これは何も知らなければ強請ゆすっているようにしか見えない。

「お前はあるかもわからない呪いよりも、このナイフを選ぶのか?」

 ユウキからはショウの後ろ姿しか見えないが、ショウはきっと相当苛々としているだろう。男のほうはもう完全におびえきっていて首を振るのが精いっぱいといった様子だった。ショウの突きつけているナイフに怯えているのか、それともショウのいう「呪い」に怯えているのか――。

 完全にだんまりになってしまった男を前に、ショウは舌打ちをし――とうとうナイフを振り上げた。

 ユウキは目を見開く。制止しようにも声が出なかった。振り下ろされるナイフがやけにゆっくりと見えた。

 男がガクッと頭を落とす。それとほぼ同時にユウキもまた崩れ落ちた。

 途端に恐ろしい形相ぎょうそうをしたショウが振り返り――そして、ほっとしたような笑みを見せた。

 ユウキもまた、ぎこちなく笑い返す。立て続けに見せられた衝撃的な光景に、ユウキの心は追いついていなかった。

 綺麗なままのやいばが月光に照らされる。振り下ろされたはずのナイフはつかが下になる形で、しっかりとショウの手に握られていた。

 刺していないことは一目瞭然だった。おそらく柄で打って気絶させただけなのだろう。

「――っくりした……」

「それはこっちのセリフだ。驚かせるなよ、ユウキ。――気づかなかった」

 つい狩りをするときのように気配を消してしまっていたのは事実だ。だがショウなら気づいているかと思っていた。

「そうなんだ……。意外かも」

「まぁ、俺も緊張してたし」

 それから差し出されたショウの手を取ってユウキは立ち上がる。思うように足に力が入らず、自力で立つにはかなりの根性が必要だった。プルプルと足を震わせるユウキをショウが苦笑しながら見守る。

「もう、本当に驚いたんだってば。殺しちゃったかと思った」

「信用ないな。殺すわけないだろ。それはともかく、もう一人くらいいきたいんだけど、待てるか?」

「それは、いいけど……どういう――」

「ちゃんと話すから、もう一人だけ待ってくれ」

 後で説明してくれるというのならユウキに否はない。ユウキは頷いた。

 それからショウは場所を移して先ほどと同じように、酔っ払いの男を捕まえた。脅しをかけながら尋問するが、結果は先程と変わらず、何の収穫も得られなかった。

 だが、ショウは肩を落とすこともなく、帰宅を宣言する。もう一人と言ってねばるかと思っていたユウキはそれに肩すかしを食らった。

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