第42話 中学生デビュー
ランドセルからカバンに、私服から制服に。
中学生になった姉ちゃんは嬉しそうに笑い、桜の下で【入学式】と書かれたでかい看板の前でピースした。
そして、その翌日に消えて無くなってしまった。
俺はまだランドセルに私服な自身が子どもっぽく思えて不満だったけれど、我慢して制服姿の姉ちゃんになかなか似合ってるじゃんと満更お世辞でもない賛辞を投げてやったのだが、まさかその翌日に姉ちゃんの部屋や私物、存在そのものが綺麗に無かったことになってしまうなんて予想もしない。
「これ、なんの冗談?」
もう何年も前から物置ですよ、とでも言いたそうな姉ちゃんの部屋のありさまを見て、俺は両親に尋ねた。
両親は初めきょとんとし、次に学校で仕入れてきたくだらないやり取りの一つとして笑い飛ばし、あまりにしつこく質問を繰り返す俺を叱り飛ばし、最後には気味悪がるようになる。いや、気味が悪いのは俺の方なんだが。
両親だけじゃなく、祖父母も、友だちも、近所のおばさんたちも、姉ちゃんの友だちだったはずの人たちも、誰もかれも姉ちゃんの存在を綺麗さっぱり忘れている。
無かったことになっている。姉ちゃんの存在全てが。
俺は混乱した。混乱を抱えたまま時間は過ぎ、ランドセルからカバンに、私服から制服に変化して、変化と共に思考も混乱から納得——夢か勘違いだったのだと、そう思うようになっていった。
納得が再び混乱に反転したのは、カバンと制服が中学から高校のものへ更新されたときだ。
華々しい俺の高校デビューの初日、姉ちゃんが帰ってきた。
……と、いっても、別に玄関からただいまーとか言いながら帰ってきたわけじゃない。
俺の通うことになった高校の校門前、【入学式】と書かれたでかい看板の前でピースしていたのだ。
高校の入学式に中学の制服を着た姉ちゃんがいる様子は、控えめにも異様だった。小学生の時に見た姉ちゃんは随分大人びて見えたものだったが、今こうして見てみると、彼女はどことなく小学生の幼さを残していて、制服を着ているというよりも着られている。
たった一人でピースする姉ちゃんを、誰も見ていない。異様さから避けている、というよりも誰にも見えていないようだ。試しに、隣にいる、張り切ってめかしこんでいる母に、看板のところに居る女の子、あれ、高校生じゃないよね? と聞いてみる。
「看板? ああ、今なら誰も居ないし、先に写真撮っておく?」
「……そこまでは時間無くね?」
「そう? じゃあ、式が終わってからにしようかしらね」
やっぱり、俺にしか姉ちゃんは見えていないらしい。
何食わぬ顔をして姉ちゃんの横を通過し門をくぐる。横目で見ると、姉ちゃんと目が合った。二ッと目で笑って、おめでとう、と言う姉ちゃん。俺はどう反応していいのかわからず、結局無視する形で姉ちゃんを通り過ぎてしまう。
それっきり、姉ちゃんはまた消えてしまった。少なくとも三年間は。
次の姉ちゃんとの再会は、カバンと制服がリュックと私服に更新され、スタイリッシュに大学デビューを果たした日のことだった。
姉ちゃんはやはり、校門前の【入学式】と書かれたでかい看板の前でピースしていた。相変わらずなりたての中学生のままだ。
「なにしてんの?」
今回は無視をせず、勇気を出して姉ちゃんに話しかける。と言っても、一人で喋ってるとおかしな奴だと思われるので、これ見よがしにスマホを耳に当てながらだが。
「うん、元気してるかなって気になったのと、おめでとうって言いに来た」
姉ちゃんから普通のトーンで返事が返ってくる。ちょっとビビったが、なんだかそれで肩の力が抜けた。
「ていうか、姉ちゃんだよな? なんで急に消えて、急に出てきたの?」
「うーんとね、この世界にはすでに生きてはいないのに生きてるフリをしているゾンビというかお化けというか、そんな感じの存在が割といっぱいいてね。そんな消えるべき人がなかなか消えないから、世界のバランスをとるために心優しい私が消えてあげたって感じ? でさ、でも愛する弟のことが心配で、どうにかルールの目をかいくぐってあんたの人生の節目にだけかろうじて出てきたってわけ。あ、それと私はあんたが尊敬し崇拝するお姉さまに相違ないよ」
「あー、ごめん、何一つ言ってる意味がわかんねーや」
「私はあんたの尊敬し崇拝する姉上である」
「わけわかんないっすね、まじで」
姉ちゃんが楽しそうに笑い声を上げた。
ああ、やっぱり姉ちゃんだ。事情はわからないし、たぶん詳細に説明されても理解できないだろうけれど、とにかく今ここに居るのは正真正銘の姉ちゃんだ。姉ちゃんはちゃんと存在していたんだ。
姉ちゃん、と呼び掛けると、中学生の女の子は嬉しそうに笑い、桜の下で【入学式】と書かれたでかい看板の前でピースした。
そして、消えた。
俺の人生の節目に出てきた、と言っていたか。
じゃあ次は就職後にでも出てくるのだろうか。
ヒラヒラと舞う桜とでかい看板、それから姉ちゃんのピースを脳裏にしっかりと固定して、俺はキャンパスライフを始めるために一歩踏み出した。
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