僕が自殺した時の話。

椅子谷鏡

フカン

僕が死ねないのは母親がいるから。身内の死というものを知ることなく生きてきた僕の小さな人生観には、見知った人を傷付けないことが第一に生きている。常日頃から生への執着はない。僕がいなくなっても噛み違う歯車は一つもないし、僕がいないと噛み違ってしまうような歯車はこの世の中では回っていられないだろう。それでもなお僕を現世につなぎ止めるのは、僕がこんな夢を見たから。

 夢というのには少し語弊がある。僕が見たのは現実になりそこねた未来であって、僕が見て知ることがなければそれは現実になっていただろう。

 僕はその日いつもと変わらず目が醒めた。唯一違ったのは自分の身体の重みが感じられないこと。人とはあまりにも非現実にありすぎることは気付くことは出来ない生き物らしく、僕が僕を俯瞰で見下ろす光景を異常だと感じたのは、数秒とも数時間とも取れる時間がすぎてからだった。

 あなたは自分の顔を間近で見たことがあるだろうか。鏡越しに見る、見飽きてしまったその顔を。僕がその日見た自分の顔は、おおよそ自分とは思えないほど白く、何か”モノ”と形容するにふさわしい姿だった。生気の感じられない肌、開ききって何か恐ろしさと吐き気を感じる瞳孔と飛び出し今にも主人の元を離れようとする眼球、無様にも垂れ流される糞尿、精。ドラマや漫画で見る綺麗なものとは似つかない、首を吊った自分だ。

 こんなものを寝起きで目の当たりにして胃の中身をぶちまけ、更なる惨事にしなかった僕を褒めてもらいたい。まあ嘔吐中枢が刺激されて嘔吐していたとしても不思議な第三者の本人の吐瀉物は床に広がらないだろうが。

 これが僕の見た未来、自分の首吊り自殺だ。自殺をしたボクがなぜ飛び降りでも身投げでも薬物でもなく首吊りを選んだかは、人様に迷惑をかけないという小さな自己満足からのものだろう。そんな無知な僕は今目の前で汚物を撒き散らしているわけだが。

 ここで無知で小さな首を吊ったボクがまた大きなしくじりをする。響く悲鳴、今までの人生で1番聞いた声。普段であれば死体も見慣れている医師。なんでも人並み以上にこなせる女性。女手一つで目の前の首吊り死体をここまで育ててきた母親。さすがの彼女も目の前の非現実には対処できていないみたいだ。

 さて、想像して欲しい。あなたは今少し前まで生きていた自分だった物、それを視認し発狂寸前の母。それを神の視点で見つめるのだ。 実際経験した僕にはわかる。彼女の人生にして三分の一、莫大な時間を掛け育てた首吊り死体を目にした僕の母親。今思い返しても二度と見たくない表情をしていた。

 意識を失う。目が醒めるとベッドの上。これが僕が首を吊れない理由。

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僕が自殺した時の話。 椅子谷鏡 @istaninbul

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