第3話 降臨して退散して
「Ia! Ia! Hastur!」
男の狂った叫びと共に放たれるのは、アルデバランに座す神への嘆願と祈り。
「Hastur-Cfayak-Vulgtmm-Vugtlagln-Vulgtmm!!」
異界を破られ一度は散った魔性の風が、再び集い吹き始める。
「やれやれ……これだから最近の若者はキレやすいって言われるんだ」
「かかか、どないすんのや大将? あれ、本気で神を召喚する気やぞ」
「陛下ー霊異濃度上昇中……汚染神度も結構まずいかも?」
瘴気と狂気とが入り混じる風は激しさを増していく。
狂信者と呼ばれているのは伊達ではない。周辺の正常な大気を侵し、汚染しながら、自分自身をも捧げて祈りは最高潮へと達する。
「Ai! Ai! Hastur――――!!!」
【――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!】
「あ、来たね」
(っ――――!!?)
言葉を発せなかったのは、ミナにとって幸か不幸か。
彼女の視界を遮るように、一瞬で空を覆い隠すようにして姿を現したのは異形の存在。
そこらの大木よりも太い触腕と、それよりは細くとも無数の触手で編まれた恐るべき肉体。薄い被膜状の翼を広げ、己が住処たるアルデバランの風を引き連れ顕現した者。
「Hastuer! ハストゥール! メイジョウするコトスラおそれオオイ、ワがカミよ!!」
その存在の名を、彼ら狂信者や古の魔術師たちは≪ハスター≫と呼ぶ。
魔風の主、ハスター。
≪名状しがたい者≫、≪名付けざられし者≫、≪邪悪の皇子≫とも呼ばれる、強壮なる太古の支配者。
かつて預言者ラヴクラフトや魔術師ダーレスによって書物に記された、他天体に潜む神々の一柱。
黒きハリ湖に棲み、この地球上での召喚には複雑かつ複数の条件を揃えなければ召喚することなど不可能な上位者。
「の、はずなんですけどねー」
「普通に召喚されおったのお」
「ルールくらい守れ」
(かるぅい!!)
「ハハ、オソレか? ワがカミのミスガタにアタマをヤラレタか?
アア、タシカに。タシカに、カミをタダシくヨブためのジョウケンはフクザツだ。ショウジョもササゲラレテイナイ。そのキカイはノガシタ。ダガ――――!!」
熱を帯びた言葉は自身の成した偉業を自画自賛するかのようだ。
まるでゲームに出てくる中ボスのようだ、とミナは半分呆れと共に聞いておく。
男自体は中ボスでも、出てきたのはラスボスを通り越して隠しボス級なのだから。
「ダガ、ワタシはソレをカノウとシタ!
ニエがタリヌならばワタシをササゲヨウ! チとニクがタリヌならタのシンジャをササゲヨウ!」
(……あ!)
風が吹き乱れる。
刹那、先程三人に倒されていった信者たちの身体が浮かび上がり、引き裂かれる。
だが血は噴き出る端から大気に溶け込み、肉は不可視の顎に食らわれ消え去っていく。
「真っ先に信者から食わせて自分は後回しなんですかー? あとそこのロリどうすんの?」
(煽るな!)
「ホザケ、キサマらゼンインをコロシツクシテからでもオソクない! サア、カミよ!!」
神への贄と嘆願は正しく彼の者に届いた。
信者たる男の願いに応えるべく、風の神性は動きだし始める。
【―――――――――――――――――――】
魔風が一身に凝縮されていく。
触手と触腕に覆われた口に、台風もかくやという量の風と瘴気と暴虐が集約される。
己と己の信者を脅かす、何者をも吹き飛ばし、消し飛ばす一撃。
(……あ、これはしんだ)
「いやー凄い光景だなー」
「陛下、あれ放たれたらこの街消えるよ?」
「ちゅうかあれじゃな、日本列島のどっかが危機一髪って感じじゃな」
(ふえ!?)
ミナは今度こそ内心で絶望し、だが三人はこの神威を前にしてもなお揺らがない。
どこまでも、平時のままである。
狂っているわけでも、恐れているわけでもない。
ただ、しいて言うのならば。
「イネエエエエエエエエエエエエイッ!!!」
【―――――――――――――――――!!!!!!】
こんな状況に、慣れているだけなのだ。
だから、彼らの主である青年がこの後どうするのかも理解できている。
即ち、≪破壊≫だ。
「――――大黒天マハーカーラー」
風の神威は大仰しく執行され――――だが暗黒の天が、そこに釜開いた。
「ア、ガア…………?」
何も、起きない。
狂信者が、その神が確殺を意図した一撃は、消え去った。
茫然。唖然。
男には、神の一撃がなんら効果を現さなかったという結果が理解できなかった。
だが男のすぐ傍にいながら、三人を見ていたミナはその瞬間を見ていた。
青年が口を開き、何かを呟いた瞬間。
黒い。なんだかよく分からない黒いものが現れて、風をそのまま呑み込んだのだ。その光景を見てミアの心中に浮かんだ言葉は、あれとよく似たもの。
(ぶらっくほーる……?)
「ちょっと違うけど、まあ似たようなもんだよ」
(だから心を読むな!?)
それはともかく。
結果だけ見れば、ハスターの一撃は三人を消し飛ばすどころか、髪の毛一本散らすことなく、逆に掻き消され――いや呑み込まれた。
「やっぱロリに不埒な事する奴は駄目だねえ。根性が足りないよ、根性が」
「ア……?」
自失状態の男がふと我を取り戻した時、彼の神もまた消え去っていた。
あの僅かな時間の内に、送還していたのだ。まるで霞のように、ただ僅かな瘴気だけ残して。
「ナゼ……マダ、マダジカンはアルはず……」
「いやー攻撃だけ壊すつもりが、残り時間まで壊しちゃった。めんごwww」
「――――――」
その言葉を聞いて、男が取った行動は逃亡。
彼の胸中を支配するのは恐怖だ。
己の神の一撃を、直撃すれば大陸すら削り取るそれを受けて無傷どころか、逆に神をも退散させる? そんな存在とまともに対峙できるかと判断した。
だがもう遅い。
逃げるという判断を下すには、もはや時は過ぎ去ってしまった。
「おうおう、どこ行くつもりじゃあ?」
「ヒイっ!?」
軍服姿の男が、彼の道を塞ぐ。
青年の力を思い知ったばかりだ。この男も同じようなクラスの化け物かもしれない。
下手な事をすれば殺されると確信し、彼は必至に言葉を紡ぐ。
「ナ、ナンデモヤル! ワタシがアツメテきたホウモツも、ホカのソシキのジョウホウも、ナンデモヤルカラ――――!」
「で、それで逃げれたらまた再起を図って同じことやらかすんじゃろ? それ分かってて逃がすか阿呆が」
「ア、アア……」
逃げられない。
逃がさない。
結果はもう定められている。
「おどれは地獄を望んどるんじゃろ? なら望みを叶えたる。与えたるわ。ただし――――魔風の主の齎すそれではなく、わしなりの地獄(楽園)をな」
その言葉と同時に発生したのは二つの現象。
一つ目は、炎。
鮮烈で眩い、神の残滓を空間もろともに焼き尽くす圧倒的な力。
二つ目は、場の変化。
先程まで街の郊外であったその場所が、一瞬にして別のものへと置き換わる。
ただの草原であったはずの地面は、岩が剥き出しの荒廃した地へ。
吸い込む大気は火の粉の入り混じる灼熱に。
二つの現象の混じり合った結果、そこに出来あがるのは炎で編みあげられた煉獄世界。
わずかに残る不浄の風を完全に焼き払い、狂気と冒涜を悉く呑み込み滅する、火炎の地獄。
「イカイ、ソウゾウ……!」
「地獄も慣れればええもんじゃぞ。じゃから――――とりあえず血の池と針山の日本地獄基本セットからいってみようかのお」
「ヒ、ヒギャア――――!!!」
地獄に生きたまま落ち、その刑罰を味わい続ける。
それが、一人の少女を誘拐し、信者らを率いて神をも召喚した男の呆気ない末路だった。
「戻ったでー」
「あ、終わったー?」
「おかえりー」
「あ、あの、どうも……」
一人の狂信者を地獄送りにした男を出迎えたのは、彼が大将と呼ぶ青年と同僚の幼女。そして、先程まで術で拘束されていたミナである。
逃亡した男を追って軍服姿の彼が追っていくのを確認して、すぐに彼女は残る二人に解放された。
神が消え去り、ミナを攫った張本人がどうなったのか彼女は知らない。碌な目にあってはいないのだろうなと、そう確信はさせられたが。
「あの、本当にありがとうございます。私、いきなり攫われて、あの部屋に閉じ込められて、怖くて……!」
「ああ、無理しない無理しない。困っているロリがいるなら、助けるのは当然の事さ」
「泣きたいなら、泣けばいい。それが自由ってものだよ」
「とりあえずあの狂人は処理しといたから、お嬢ちゃん安心せえよ」
「アッハイ」
正直、あの状況よりこの人たちの発言の方が怖い気もしている。
だが安堵しているのも本当だ。
これで家に、日常に帰れるのだと思うと、心の底から泣きたくなってくる。
ただ、ミナは自分の身体に力が入らないことに気がついた。
「あの、腰が抜けちゃって……図々しいかもですけど、あの家まで送ってくれますか?」
「「「え?」」」」
「え? あの、ですから、家に……」
なんだその反応と思い、同時に嫌な空気が流れ始める。
「あの、私、家に帰れるんですよ、ね……?」
「「「…………」」」
無言。
沈黙が続く中、さて、と青年が口を開く。
「じゃー、金目の物と貴重な霊異品、あとロリっ娘を回収して撤収ー」
「うーす」「はーい」
「…………え? え?」
後継・御名の受難は終わらない。
いつか世界の終りまで 竜飛岬 @k7891jin
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