6 正捕手は誰だ
キャンプも第三クールに入った。ここに至って風花監督は本来であればとっくに気がつかなければいけないことにようやく気がつきかけていた。
「ねえ、鵠沼コーチ」
「はい、なんでしょう」
「亀さんはどこにいるの?」
鵠沼コーチの顔が青ざめた。
「そ、それは……」
「もしもし亀よ、亀さんよ」
鵠沼コーチの話も聞かず、風花は陽気に歌いながら“亀さん”を探す。
「おかしいな、どこにもいない。そういえば、キャンプ初日からいなかったような気がするな。病気でもしたのかなあ。捕手は守備の要。その点、亀さんがいるウチは大丈夫なんだけど。ちょっと心配になってきたな」
風花はグランド中を“亀さん”求めて探し回った。いない。
「ブルペンの方かな?」
風花はカートに乗ってブルペンに行った。
「西東コーチ、亀さん見かけませんでした?」
「いえ、バッタならいっぱいいますけれど」
西東コーチは亀さんを知らなかった。
「おっかしいなあ。これだけ探していないなんて。本当に病気かもしれない。あっ、ところで西東コーチ、あのひょろっとしたピッチャー、誰?」
「何、冗談言っているんですか。大阪タワーズからFAでマリンズに来た、壺投手ですよ。先発の一角を担う選手です」
「へえ、初耳。なんだかさあ、先発候補やたら多い気がするんだけど、気のせいかな」
「フロントの努力の賜物じゃないですか?」
「ふーん。ああっ、亀さん、亀さんっと」
風花はカートを運転してメイン球場に戻った。ちょうど、広報&スタジアムDJのギャーギャー斎藤が報道陣と選手のインタビューの打ち合わせをしていたので風花は尋ねてみた。
「ギャーギャーさん、亀さんはどこにいるの?」
「亀さん? ああ、亀岡ですか。今頃は安芸にいるんじゃないですか?」
「安芸? なんで大阪タワーズのキャンプ地に亀さんがいるの?」
「だって去年、壺投手の人的補償で大阪タワーズに移籍したじゃないですか? 知らなかったんですか」
ご陽気だった風花の顔がみるみる般若になる。
「知らなかった」
「舵取社長や吊橋専務は何も言ってないんですか?」
「聞いてない。ぶっ殺してやる!」
風花はカートで六十キロ出してグランドを走り去った。
「なんか、悪い事言っちゃったかな?」
ギャーギャー斎藤が首をかしげた。
舵取と吊橋はメイン球場のバックネット裏で、話し込んでいた。特にする事はない。二人の関心はベイサイドスタジアムの年間シートの売り上げと新しい球団グッズがどれだけ売れるかにあり、できたら早く横浜に帰りたかった。しかし、次の第四クールから、オーナーの上島竜一がバカンスがてら視察に来るので帰れないでいた。
「おい舵取」
誰かが社長を呼び捨てた。
「おい吊橋」
ついで専務を呼び捨てだ。
「なんだ、失礼な」
と言った先には、般若を通り越して閻魔大王になっている、風花がいた。その顔を見て二人は全て悟った。
「申し訳ございません。亀岡君のことは全て編成の、いや我々二人のミスです。どうぞお許しください」
二人は土下座した。風花の手には、なまはげのもつようなでっかい包丁が握られていた。
「我、指だしな。小指だけやないで、薬指もだぜ」
二人を脅す、風花。
「それだけはご勘弁を〜」
二人は平伏した。
「まあ、冗談はこれくらいにしときますが、僕は怒っています。正捕手をプロテクトから外す馬鹿がどこにいます。はい、ここにいます」
「これには深い事情が……」
「深い事情か何か知りませんがね。この世界は結果がなんぼなんですよ。正捕手の流出。これでブロックサインから選手一人一人の動きまで、全部変えなきゃいけない。これまでやってきたことが全て無駄になる可能性もあるんですよ。ああ、今年の対タワーズ戦は全敗だ」
風花は嘆息した。
「ちょと、大げさでないの?」
吊橋が尋ねる。
「大げさじゃないよ。全球団に全敗だってあるよ!」
風花の怒りにまた火がついた。
「現状でウチのキャッチャーで亀岡を超えるものはいない。早急に鍛えなきゃいけない。あんたたちが僕に知らせないから、立ちおくれたんだ。どしてくれるんだよ!」
「じゃあ、今いるキャッチャーを早急に鍛えてねえ」
「キャッチャーを育てるには十年かかると言われているんだ。それをオープン戦までの一ヶ月でやれだと。おう、やってやるさ。見てろよ」
散々悪態を垂れると風花はカートに乗り込んだ。
「鵠沼、もたもたすんな。お前も同罪だ。最悪、現役復帰してもらうぞ。遅い! 一軍候補のキャッチャー全員連れて第二球場に集合!」
風花が消えると舵取と吊橋はホッと息を漏らした。
「指詰められなくてよかったですね」
「球界の野獣は日向でも住友でもない風花君だ」
二人はズルズルとお茶を飲んだ。
第二球場に集まったのは風花、鵠沼コーチと、黒舟、多賀城、中浜、氷柱の四人のキャッチャー。そしてお手伝いのマネージャー四人だった。
「君たちには関係ないが、亀岡君の移籍を僕は今日知った。大変立腹している。でも仕方がない。現状の戦力で戦わなければならない。だから今日から君たちには地獄を見てもらう。君たちに求めるスキルは二つ。ワイルドピッチ、パスボールをなくす。盗塁走者を六割以上刺す。以上だ」
黒舟が質問した。
「インサイドワークは?」
この質問がまたまた風花の怒りに火をつけた。
「そんなもの、一ヶ月で身につくか! サインは当分ベンチから出す!」
黒舟は縮み上がった。
「じゃあまずワイルドピッチ防御練習だ。みんな、そこの壁に正対して。マネージャーさんたちはキャッチャーの後ろからめちゃくちゃにボールを壁にぶつけてください。君たちはそれを取る。それだけだ。午前一時間、午後一時間やるぞ。打撃練習のことなんか考えるな。今季は打てなくてもいい。ワイルドピッチとパスボールの数、それと盗塁阻止率だけが査定の対象だ。ではマネージャーさん、よろしくお願いします」
本当の地獄トレーニングが始まった。皆が、どこから来るかわからない球に苦労する中、ルーキーの氷柱卓郎だけがホイホイと捕球してしまう。これは見っけものだ。
「氷柱、ちょっとこっちへ来い」
風花はカートに氷柱を乗せてメインスタジアムに戻ってきた。風花が機嫌を損ねていることを知っているナインには緊張感が高まった。
メインスタジアムではシート打撃が行われていた。
「沢蟹さんちょっとどいて。椅子にしているビールのケースも片しちゃって」
風花は打撃捕手をどかした。
「氷柱そこに入れ。元町君ランナーやって。二盗するんだぞ。リードもっと広げて」
「はいはい」
面倒臭そうに答える元町。
ピッチャー第一球投げた。なんとスローカーブ!
「楽勝!」
と全力で走る元町。その時、風をつんざく音がしてキャッチャーからボールがセカンドへ。
「アウト!」
青ざめる元町。
「やったあ! スカウティングの勝利だ」
今シーズンの正捕手候補が決まった。氷柱卓郎、二十三歳。風花の機嫌も一気に治った。
「だが、第二捕手も必要だ」
風花の悪魔のつぶやきで、残りのキャッチャーは地獄の特訓をキャンプ終了まで続けさせられた。
「しかしさあ、亀さん出してまで壺とかいうピッチャー取る必要あったのかな」
監督室に戻った風花は考えていた。
「スカウトさんたちのおかげでドラフトでいいピッチャー獲得したし、トレードで天明も取れたし」
風花は先発候補を帳面に箇条書きした。
・日向五右衛門
・ベルーガ
・砲
・横須賀大介
・日本丸一
・船頭山彦
・天明淳一
・住友純一郎
・壺康友
・砂場由輝
「十人もいるじゃんよ」
風花はずっこけた。
「一軍の投手枠は十三人か。大陸は絶対入れるでしょ。あと左右のリリーフ。これだと少し不安かな。でもこの十人、二軍に落とすのもったいないなあ」
風花は一休さんみたいに座禅をして考えた。
「あっ、そうだ、ワールド・ベースボール・クライマックスみたいに、第一先発、第二先発ってあえて中継ぎ投手を使わないで先発投手を二人使うという手があるぞ。そうしたらダイレクトに大陸に回せるな。残りの二人は敗戦処理をしてもらおう。♫いいこと考えたいーこと考えた♫」
風花がのん気に歌っている時、氷柱以外のキャッチャーたちは血反吐をはいて特訓を続けていた。この苦労がどうか実を結びますように。
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