05-10 謝混      

 謝琰しゃえん将軍の奥方、息子たちァ、岩場の影に潜んでた。つっても、点々と血がが茂みに残っちまってた。ここまで見っかんなかったんなァ、ただただ運が良かった、って言うっかねェ。

 ふたりのちみっ子を背にして、婦人が薙刀を手に、構えてた。もとは仕立ての良かったろう絹の衣も、あちこちが破れ、乾いた血糊でごわごわになっちまってる。呼吸も浅く、けど握りしめた薙刀だきゃァ決して手放そうたァしねェ。

劉鎮北りゅうちんほくが属、宣威せんい将軍の劉裕りゅうゆうって言います。鎮北の密命を受け、助けに来ました」

 寄奴きどが名乗ると、そのご婦人ァ何かを言いかける。っが、そこまでだ。緊張が切れたか、ぷつりと崩れ落ちちまった。

 泥まみれの坊っちゃんが、そのもとどりもばらばらなまんま「母上、母上!」ってすがる。

 さて。どう声を掛けたもんか。

 寄奴ァしばし迷ったが、見たところ、母御の傷ァだいぶん深刻だ。いつ万一があってもおかしかねェだろう。

 だから、言う。

「坊。済まなかった、お前のお袋ぁ、正直、危うい。なら、せめてお前らは助ける」

 ほうっとした弟と、狂乱した兄貴と。

 そいつらに、どんだけ寄奴の声が届くんだか。

 ぎり、と兄貴、謝混しゃこんが寄奴をにらみつける。

 なるほど、おふくろと一緒にくたばるつもりゃねェらしい。

「ほざくな、野猿! おおかた貴様も、我が家門にたかろうとする腹なのであろう!」

 ぎ、って謝混ァ寄奴をにらみつけてきた。見た感じ、十かそこいらか。そんなガキンチョのくせに、ずいぶんとまァ底暗れェ目つきでいやがる。

 昂ぶったガキの放言だ。いちいちまともに取り合うのも莫迦らしい。っが、孟龍符もうりゅうふァそうも行かなかったらしい。ちみっとだがいきり立ち、謝混に迫ろうとした。

「龍符」

 ひと声、ひと睨み。そいつで孟龍符を抑え込んだ後、改めてガキを見る。

「たかろうってんなら、何だ? お前のおふくろ殿も、この有り様だ。なら誰が、お前の言う家門とやらを守れる?」

 静かな、けどそいつァ、深く刺さる、言葉の矢。

 謝混ァぐっと詰まると、いちど拳を強く握り、それから寄奴に向け、拱手した。

「――本貫は陳郡ちんぐん陽夏ようか、姓は謝、名は混。後ろにいるのは我が弟、かいだ。母を助けるためにも、将軍。そなたの力をお借りしたい」

 射抜くような鋭い光はそのままで、寄奴を真正面から見据えてくる。

 寄奴ァニヤリと笑うと、拱手を返した。

彭城ほうじょうの劉裕、たしかに承った」

 その背中に、どやどや駆け寄ってきたカモどもの気配を感じる。

 寄奴ァ孟龍符のほうに目をくれてやる。出番だぞ、行ってこい。そんな感じだ。

 舌打ちひとつ、孟龍符ァ振り返り、やってくる気配のほうに、大股で向かってった。


 辺りに、血と肉くれがぶっ散らかされる。

 そんな中、ひとりがふん縛られ、寄奴の前にすっ転がされてた。その手だの足だのァポッキリ折れちまってる。むしろ孟龍符のやつ、よく殺さねェでいられたな、って感心するくれェだ。

 痛みと、怯えと。いくら死を恐れねェっつったって、さすがになんもできねェ状態ですっ転ばされちまや、こっから何やらかされんのかに、じわじわ思いが至るらしい。

「っこ、殺せ! ひと思いに!」

 そいつが叫んだ。

 いさぎよい、たァ言えるだろう。うだうだ泣きわめかれるよりよりゃよっぽどマシだ。そんなら変に苦しめず、ひと思いに殺してやんのも人情ってモンだろう――

「だってよ、坊っちゃん?」

 寄奴の後ろから出てくる、底暗い目つきのガキ、謝混さえいなけりゃ、な。

「馴れ馴れしいぞ、山猿」

「そいつぁ失礼」

 寄奴をひと睨みこそするもんの、すぐに五斗米道ごとべいどうのほうに目を向ける。あからさまに、五斗米道どもがビビった。

「ほう、私の顔を覚えているか」

 謝混が一歩進みゃ、奴らァ後ずさりしそうになる。っが、そいつァ孟龍符らが許さねェ。

 見事なもんだ。奴らァ、寄奴を前にしても堂々としてたってのにな。そんな奴らを、怯えさせてやがる。

「った、たすけ……」

 口走った奴の、そのツラに。

 謝混ァ、剣を振るった。

 正しくァ、その鞘だ。そいつを鼻っ面にぶち込みゃ、乾いた音が、あたりに響く。

 顔面を潰され、すっ転がる賊徒。対する謝混ァ、鼻血のついた鞘を捨て、抜き味でもって、そいつに迫る。

「いやな、いいんだよ、謝罪は。貴様がどう謝ったところで、母上の怪我は癒えぬし、父上は蘇らぬのだ」

 言いながら、太ももに、剣を刺した。

 鼻っ詰まりの悲鳴が上がると、謝混の顔に血飛沫が飛ぶ。とたん謝混ァ鬼みてェなツラになり、男を蹴倒した。

「無益な謝罪の上、こともあろうに、私を穢すのか。実に救いがないな」

 顔につく血を拭う。っが、そいつをやってみたとこで、ただただそのツラに血を塗りたくりしかしねェ。

 声になんねェ叫びを上げる五斗米道の太ももから、謝混ァ剣を引き抜く。

 で、そいつを、今度ァ腹に埋め込んだ。

 びくり、五斗米道が痙攣する。

 兵どもの何人かが、あんまりにもあんまりな景色に、目を逸らす。

 ――出来上がってやがる。

 似たような景色ァ、確かに見たことがある。

 広陵こうりょうで、臧熹ぞうきのやつが、姉貴の仇に対し、半狂乱で殺しに掛かってた、あのとき。

 ――っが、違う。

 謝混ァ、憎しみで殺そうたァしてねェ。

 蔑みと、嫌悪から、殺しにかかってやがる。

「いっ……が! あ、あぁ!」

 五斗米道が、叫ぶ。

 腹を切られりゃ、モツがぼろりとこぼれ出る。謝混ァそいつをむんずと掴むと、信じられるかよ、先生――あろうことか、くわえ込みやがったんだ。

「!」

 噛み付くこと、二度、三度。

 そしたら目を見開き、えづいて吐き出す。

 当り前だ、そんなん旨めェはずがねェ。

 寄奴ァすぐさま、目配せで謝混のとこに手拭いを持ってこさせた。謝混ァそいつを奪うと、何度となく、吐きこんだ。

 その目にゃ、涙が浮かぶ。

 いっぽうの五斗米道ァ、完全に白目むいちまってた。このままお陀仏してもおかしかねェ勢いだ。まァ、手前ェのはらわた噛みつかれるなんざ、何がどう転んでも、想像さえしたかねェがよ。

 どいつもが、掛ける言葉を見失う。

 寄奴も、あえて何も言わねェ。言ったとこで、どうにかなるもんでもねェだろう。

 謝混ァしばらく肩で息したあと、きっと五斗米道を見た。

「――やはり、臭いな。けだもののはらわたは」

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