03-02 五橋沢の戦い  

 アレァ、後にゃ五橋沢ごきょうたくの戦いって呼ばれてる。

 淝水ひすいのあと、苻堅ふけんきょう族のヤオ・チャンに殺された。だが息子たちはそれでもしんの旗を振り、持ちこたえようとしてた。こん時ァ苻堅の息子、苻丕ふひがムロン・チュイに包囲されてんのを助け出す、ってのが、はじめのお役目だった。

 にしても、ほんに外交って奴ァややこしすぎてよく分からん。寄奴きどに歩み寄ってきた崔宏さいこうもそうだったが、秦なんざついこないだ己らとバチバチにやり合ったばっかだったじゃねェか。昨日の敵は今日の友たァ聞いたことなくもねェが、国と国ってな、そんな簡単なモンなんかね。

 苻丕を救うべく動いた、われらがしん国軍。例によって謝玄しゃげん大将軍ァ総大将だった。たァ言え陣頭に立っての指揮じゃねェ。前線を張る劉牢之りゅうろうし将軍と、建康けんこうとの間をつなぐ役回りとして、下邳かひに詰めていらっしゃったんだ。

 元々戦働きそのものよか、さむれぇどものの取りまとめに定評のあったお方だ。この時も下邳で、劉牢之将軍がケツの心配しねェで暴れ回れるだけの下拵したごしらえをなされてたそうだ。だがそいつが、将軍の急逝きゅうせいによって台無しになった。

 偶然って怖えェよな。いちどムロン・チュイの軍を追っ払い、追撃を掛けとこう……って敵地深くに踏み込んだところで、陣中に謝玄大将軍の訃報ふほうが届くんだ。しかも軍使ぐんしの奴ァご丁寧に、どう考えても誰もがテンパるような報せを、陣中に大声で触れて回りやがった。南郡なんぐんの動きを見てた己にしちゃ、どう考えても桓玄かんげんの差し金に違げえねェって思うしかなかった。


「おい丘進きゅうしん、こりゃどんな冗談だ?」

「知らんよ。冗談と願いたいがね」

 ざわつく陣中の様子を眺めながら、寄奴が虞丘進ぐきゅうしんに呼びかける。

 虞丘進。寄奴につけられた督護とくご、言ってみりゃお目付役だ。配属されたそばから割に寄奴とウマが合ってて、あっさり補佐役みてェな立場に収まった。この辺ァ孫将軍の人を見る目の確かさに驚かされたもんだ。

 寄奴が舌打ちした。

「本っ当に詰まんねえな、お前。もういい。やること言え」

「本陣近くに詰めろ。出来過ぎだ、この流れは」

「あいよ」

 えっちら長刀を担いで、何人かを選び、付いてくるように命じる。そん中にゃ「お、何か嗅ぎ付けやがったな」って笑う孟龍符もうりゅうふが混じってたりする。

 寄奴が京口けいこうに戻るが早えェか、孟昶もうちょうから改めて書簡が届いた。曰く「龍符が出奔しゅっぽんした。行き先は考えるまでもない。不肖の従兄弟をよろしく頼む」。まったく、デキる奴らってな、どうしてああも根回しが上手ェのかね。

「貴様も来るのか、龍符。くれぐれも味方を殺してくれるなよ」

「っせェよ。殺んなら手前からだ」

 虞丘進と孟龍符が睨み合う。まァ、ある意味じゃこの上なく噛み合ってるって言えるんだろう。

 いきなりブチ込まれた凶報だ。あからさまに陣中の動きは鈍かった。

 馬を駆って劉牢之将軍の詰める本陣近くに進みゃしたが、その頃にゃ敵ァとっくに間近まで迫ってた。

「お! こりゃ又おいしいじゃねえの」

さえずるな龍符。並ではないぞ、あちらの先鋒」

 翻るは公孫こうそん、の旗。

 いくらいきなりの報せに揺らいでるたァ言え、本陣近くともなりゃ精兵揃いだ。そいつを、まるで泳ぐみてェなノリでかき分けて来やがる。

 ムロン・チュイ配下、ゴンズ・ウロ。後々もさんざっぱらこっちを掻き乱してくれた、とにかく面倒くせェ野郎だ。

 こん時劉牢之将軍の天幕てんまくにゃ、孫無終そんむしゅう将軍をはじめとした幹部連が集ってた。いきなりの報せについて話し合ってたんだろう。

 将軍らだって、別に油断してたわけじゃねェ。ただ、速えェって知ってたはずの、鮮卑鉄騎兵せんぴてっきへい。ゴンズ・ウロがそいつを率いると、己らが知ってる速さを遙かに上回って来やがったんだ。

「孫無終軍参軍さんぐん劉裕りゅうゆう推参! 壁の任を請け負う!」

 辺り一帯を震わそうかってくれェのドでけェ声で、寄奴がガナる。それだけで、ゴンズ・ウロまでの道のりが開いた。

 先頭を寄奴、後ろにゃ孟龍符と虞丘進、掻き集めた命知らずどもが連なる。

 将軍らの反応なんざ、見てる暇もねェ。天幕の横を通り抜けて、ぐんぐん公孫の旗、その前で重そうな矛をブン回す大男に迫る。

 そいつァ寄奴を見つけるなり、喜びに目をヒン剥いて来やがった。

「ほう! 骨のありそうな獲物よ!」

 ブン、って矛を振ると、傍らのしん兵に食い込み、そのまま抜けなくなった。「おん?」って大男、ゴンズ・ウロが不機嫌そうに言う。

「大将、莫迦バカっぽいぜあいつ。とっとと狩っちまおうぜ」

「莫迦ほど手に負えん暴威ぼういを振るうものだ。見積もりが甘くなるのかな、莫迦同士では」

 それこそ寄奴ァなに呑気ノンキにたわむれてんだ莫迦ども、って叫びてェ気分でいた。が、ゴンズ・ウロの豪腕ァ、そいつを許さねェ。

「ゥむン!」

 晋兵ぶら下げたまんまで、矛をぶっけて来やがった。しかも、それでロクに矛もたわみゃしねェ。どんだけクソ重てェ獲物を平然とブン回してきやがんだ。

 寄奴から見て、左斜め下からのカチ上げだ。

 受け止めねェ。

 上体を右に引きつつ、剣と矛がぶつかるが速いか、そのまま右上に逸らす。

「ヌ!?」

 勢いを一切殺さねェで跳ね上げた、筈だった。なのにゴンズ・ウロの体幹はろくすっぽブレねェ。タダの腕力莫迦じゃねェらしい。

「龍符! 丘進! 二人でコイツを潰せ!」

 変に噛み合うと厄介だ、寄奴はそう判断した。ゴンズ・ウロの脇をすり抜けざまに胴ぎの一太刀。腰が引けてたぶん、浅せェ。

 舌打ちする。だか、それ以上構ってもいられねェ。あとのことは二人に任せるっかねェ。抜けた先でゴンズ・ウロ軍の後続どもを薙ぎ倒し、

季高きこう!」

 敵方が抱え込んでた旗をふん捕まえると、高々と掲げる。

 そこに「アイヨッ!」と、寄奴の背中、肩づてに旗にしがみつく小男が一人。

 そいつァそのまま、するするっと穂先にまで登った。

 そっから、遠い先に目を凝らす。

「どうだ?」

「来るデ。土煙の上がり方から見りゃ、五万は堅かろ」

「用意のいいこった」

 季高が旗から飛び降りんのと、寄奴が旗を捨てんのがほぼ同時。

「将軍らに伝えろ。ムロン・チュイ本隊も間もなく到着する。速やかなる撤退を提案する、ってな」

「承知」

 言うが早えェか、季高がする、っといなくなる。

 ゴンズ・ウロのほうを見りゃ、潰せこそしちゃなかったが、それでも何とか足止めは出来てた。

 浮き足立つ晋軍が我を取り返すにゃ、もうちょい時間がかかりそうだった。

 が、そんな悠長なことも言っちゃいらんねェ。

「腑抜けてんじゃねえぞ手前ら、前座に殺られる気か!」

 だから、晋軍に向け、叫んだ。

「それとも、謝玄大将軍手ずから鍛え上げになった北府兵ってな、将軍なしじゃ何も出来ねえくれえにヤワなのか!」

 ここまで来ると、檄ってよりゃ挑発だよな。切っ先が寄奴に向かったって不思議じゃねェくらいのこと、平気で言ってのけやがる。

 いちおう寄奴も北府ほくふ兵、って呼ばれる身の上だ。だが、孫無終将軍の気まぐれで連れ込まれた流民上がりが、いきなり淝水で大功を立てやがった。謝玄将軍と劉牢之将軍の指揮の下、厳しい練兵の日々を潜り抜けてきた奴らにしちゃ、そうそう簡単にゃ寄奴なんざ受け容れられたもんじゃねェ。

 その寄奴が、よりにもよって、将軍を語る。

 これで何くそってならなかったら、そいつァただのクズだろう。

 方々から気炎が上がる。遅せェんだよ、内心寄奴はそうツッコみながらも、これで無様な総崩れはなさそうだ、って小さく安堵してた。


 士気って奴ァ、実にモヤモヤしたもんだ。

 ちょっとつつき方を間違えりゃ破裂するが、上手くノセられりゃ一気に膨れあがりやがる。

 寄奴づてに多くの兵卒どもを見てきたが、結局己にゃ、なんで寄奴がアイツらをああも奮い立たせられんのかが分かんねェままだった。

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