第93話



「致死級の《魔物オルカ》に、十五マイルの長ぇ穴。……換わりに、五万かぁ」


 宿屋、《黄金の夜空亭》の一階の酒場。

 卓の上に広げられた坑道図を眺めながらハガルがぼやいた。


 春という時期のせいか、それとも《アブノバ鉱山》から逃れて来た者が多いのか。

 酒場は旅装の者たちで埋め尽くされていて、大盛況と呼ぶに相応しい賑わいだった。


 同じ卓を囲んでいるオルレイウスとリシル、リザル、ルダニスも、ハガルと同じく果物の汁を水で薄めた飲み物を口にしている。

 ひとりだけ麦から造られているという酒を飲むルクレシアは、既に赤ら顔だ。

 彼女が言うには、北に出向いたときには必ずこの酒を飲まなければ始まらない、らしい。


「おまえも、オレがヘマっらと、そう言いれえんだろ?」


 ルクレシアが舌をもつれさせながら、そう言った。

 傍目に見ても、彼女は出来上がり始めている。


 酒精に強く、探索中はほぼ酒を口にしないというハガルは、そんなルクレシアに白い目を向けたが、ちょっと考えるようにしてから口を開いた。


「にしても、マルケルスってぇのは、どうも聞いた名だが……」

「あんな丸顔マルケルスなんか関係あるかッ」

「うるせえガキだな。……ま、行ってみりゃいいか」

「あん?」

「別に、問題プロブレムなンぞねえ。むしろ、悪かぁねえな。なあ、ルディ?」


 予想外のハガルの言葉に若年組が声を失っていると、ルダニスがひとつ頷いたあと、指を一本立てて首を傾げて見せる。


「ああ、そうだな。そこがわかっただけでも、儲けモンだしな。だが、確かにそっちがわからねえ。それも行ってみなけりゃなあ」


 ひとり納得したように頷き返すハガルに、一同を代表してオルが問う。


「ルダニスはなんと?」


 ハガルは「ん?」とオルに目を向け、飲み物で湿らせた唇を開いた。


「クレメンスの父っつぁんが言うんだ、厄介な《魔物》ってのぁいるんだろうさ。俺らも、思い当たらねえわけじゃねえ。……その辺りは嬢ちゃんのが、詳しいんじゃねえか?」


 意味深なハガルの言葉と視線。

 少しだけ考えるようにしてから、リシルはハガルを見た。


「……ハガルさん? まさか、《王たる魔物》と遭遇したことがあるとでも仰いますの?」


――《王たる魔物》。

 《巨人の王》――すなわち、《巨神族の王》の死体から直接産まれた存在。

 そんなものが相手だったならば、とオルは少しだけ不安に思う。


 だが、ハガルは盛大に笑った。


「ぎゃははははっ! んなおとぎ話みてえなモン、俺らだって無理だっつーの! その何歩も手前だッ!」

「……手前? そう致しますと……つまり、《魔物》が産まれる地のことをハガルさんは仰っているわけですわね?」

「ああ、そうさ」


 リシルの言葉にハガルが頷く。

 オルとルクレシアは顔を見合わせた。


「どういうことですか?」


 オルの質問に、ハガルはにやけた顔を神妙なそれへと変化させた。


「聞きねえ、オル。なんでか知らねえが、この《大陸》にゃあ、《魔物》がたぁんと出る地点ポイントがいくらかあるンだ」

「《魔物》が、産み出されているかのように?」

「ああ、そうさ。ロっさんも、んなようなこと言ってた。そんで、俺らも随分前に出くわしたことがある」


 平然と言うハガルに、リシルが突然、卓の上に身を乗り出した。


「ハガルさん! ご覧になられたのですか?!」

「うんにゃ」


 ハガルの回答に、意気込んでいたリシルの顔が曇った。


「辺り一面に《魔物》がわんさかいるンだぜ? まともに近寄れっかよ。俺ぁ、あれ以来、虫食うのぁやめた。……んで、そこで見た《魔物》ん中に、そらあデケぇのがいやがってよう。きめえのなんのって」

「……虫って食べれるものなの?」


 リザルがルクレシアに向かってそんな質問をしている。

 ルクレシアは杯を傾けながら「さあ?」という身振りで応えた。


 一方、オルは幼い頃の父の手料理を思い出していた。


「とにかく、だ。オレらがデケぇのを抑えてる間に、遠間から辺り一面をロっさんが涙ながらに《魔法ソーサリー》で焼いた。念入りにだ。情報の損失だぁなんだぁって、エラい泣きようだったがなぁ。……んで、てめえで焼いた痕を見に行って、今度は有頂天だ」

「ロスは、なにかを見つけたのですね?」

「らしいな」

「……らしい?」


 オルは、まさかと思った。

 ハガルは、悪びれもせずに言う。


「あんまり、うるせえっから、酒かっくらわせて転がしちまったッ」

「つっかえねぇッ……」

「あんだとッ? 小娘がッ!」


 ハガルがルクレシアを威嚇するが、ルクレシアは「へん」と言って酒を呷る。

 そのハガルに、またリシルがかぶりつかんばかりに身を乗り出した。


「ハガルさん? サルドーラム様がなんと仰られていたか、ご存知ではございませんの?」

「ロっさんの話なンか、誰がまともに聴くんだよ?」


 素気無い答えにふたたびリシルの意気は沈み込む。

 他方、オルは、散らかった情報をまとめようと考えた。


「つまり、ハガルとルダニスは、その《魔物》が沢山出現する地点のひとつが《アブノバ鉱山》ではないか、と考えているわけですか?」

「まあ、平たく言やぁ、そうだな」

「では、なにがわかって、なにがわからないとルダニスは言うのです?」


 姿勢を正したオルの問いにハガルは「ああ」と呟いた。


「細かく言ったほうがいいわなぁ。ルディが言うにゃ『クレメンス・ダキアは手練れであり、洞察力も備えている。彼が《魔物》の仕業と判断した以上、それは信頼に値するだろう。おそらくは、過去自分たちが遭遇した案件に似た出来事が起こっているはずだ。あのときは、周囲に人家が無かったために、多数の《アンデッド》は確認できなかったが、人口密集地ならば同じような状況になっていたろう。それを知り得たことは大きな収穫だ。だが、ひとつわからないことがある。過去の案件のように《魔物》が多く出現する場所が問題ならば、なぜ歳月が空くのだろう? そのような事例は、自分の知る限りでは無いはずなのに』だってよ」


 相変わらず、身振りに含まれる情報量とは思えないが、オルももう慣れたものだ。

 唖然とするリザルとルクレシアを置いて、彼はルダニスを見た。


「ルダニスは、ロスがその《魔物》が出現する地点について、どのようなことを述べていたのか、憶えていないのですか?」


 オルの問いにルダニスは力なく首を振る。

 ハガルに尋ねなくとも、その意図は明白だ。


「だから、ロっさんの長え話なンか、誰もまともにゃ聞いてねえんだよ。……だが、」


 ハガルはオルに向かって指を振る。


「てめえの言ってた、あれだ。……あー、聖なんちゃら」

「《聖モロキ》ですね?」

「そうだ。そいつが坑道に潜ったのぁ、《魔物》が相手だからだろ。……んで、俺らにゃあ、腕のいい《神官》の嬢ちゃんと、そこの《重装僧侶リズ》がいる。十分だろ?」


 そう言ってハガルは、まだがっくりしているリシルを眺めた。

 彼女は少し目を上げ、「……そうですわね」と呟く。


「《アンデッド》を含め、《魔物》という存在は、わたくしども《神官》の《祈り》に弱いのですわ。ですので、お役に立てると思います」


 元気のないリシルがそう言うのを横目に、オルは改めてハガルへと問う。


「《魔物》への対処方法は、リシルの《祈り》やロスのように《魔法》で燃やす以外には、ないのですか?」

「うんにゃ」


 ハガルが軽やかに首を振った。

 その即答ぶりに、じゃあ《神官》じゃなくてもいいではないかという言葉が、オルの喉まで出かかった。

 喉の骨を微妙に動かす彼に、あっけらかんとハガルは説明する。


「大方、細切れにしちまえばしめえだ。まあ、骨だがな。それに、たいがいの《魔物》は小せえ上に、はしっこい。だから、面倒っちゃあ、面倒だな」

「《魔物》とは、どの程度の大きさで、どのような形状なのでしょうか?」

「ま、出る場所なんかで違えよなぁ? 嬢ちゃん?」


 冴えない顔のリシルが少し考えてから頷いた。


「そうですわね、わたくしの見たものでは、多脚の大きな虫のようなものが多かったように思いますわ。あとは、半透明で首がいくつもあるようなものなどですわね。小さいものでも、わたくしの人差し指よりも大きく、大きなものでも、わたくしの腰ほどまでの大きさのものばかりでしたわ」

「リシルは、《魔物》を見たことがあるのですね?」


 オルに顔を寄せられて直接問いかけられたリシルは、そこでルクレシアのほうへとちらっと目をやった。

 ルクレシアに「あぁん?」と言わんばかりの酔眼を向けられて、リシルは慌ててオルに対して頷いた。


「えぇっ、と。《魔物》はどのようにしてか壁を越えて来るようで、《ルエルヴァ》にも稀に出ますし、郊外などでは良く見かける、と同輩の皆さんが仰せでしたわ。人族の在るところには、どこにでも出現し、襲おうとする、と」


 そんなにありふれたものなのか、とオルは考える。

 しかしながら、そのありふれているはずの《魔物》をオルは見たことがないのだ。

 さらに、オルは考えた。


「多脚の虫や半透明の生物――それらを、ひとくくりに《魔物》と呼ぶのは、なんだか雑ではありませんか?」

「あぁん? 知らねえよ。呼ばれてンだから、そーゆーモンなんだろ?」


 すげなくハガルに振られたオルは、問いたげにリシルを見た。

 彼女はなぜかふたたびちらっと杯を呷っているルクレシアを確認し、乏しい胸を張るようにしてから、少々誇らしげにオルに答える。


「オルレイウス。《魔物》の形態は確かに様々ではありますが、それらはすべて根源を共にしているのですわ」

「《巨人の王》……ですね?」


 オルたちの会話よりも、リザルの兜の隙間に酒を流し込むことに熱中し出したルクレシアの様子を見て、リシルは改めて脂肪の少ない胸を突き出すようにする。


「その通りですわ。そして、すべての《魔物》、小さきものから《王たる魔物》に至るまですべて、《巨人の王》のむくろから産まれているのです」


 実に満足げにリシルは、「えっへん」と頷いた。

 すべての《魔物》が同じように発生しているのならば、《王たる魔物》とやらと通常の《魔物》の違いはなんなのか、とオルは考える。

 加えて、もうひとつ疑問が湧いた。


「しかしながら、リシル? 種々の形態のそれらの存在が、《巨人の王》に関わっていると、なぜわかるのでしょうか?」

「すべての《魔物》には、いくつか共通の特徴があるのです。たとえば、呼吸を行わない、摂食行動を行わない、休眠を取らない、形態が変化しない、分割しても動く……などなどの特徴ですわ」

「なんだか、気持ちの良くない生物ですね……」


 得意げだったリシルは少しだけ憂鬱そうな顔を見せ、首を横に振る。


「……厳密には生物ではないと言われておりますわ。《魔物》は、元をただせば《巨人の王》の遺骸の一部なのですから、当然かもしれませんわね」

「なるほど……?」


 神妙な顔つきになるリシルに、オルは少し首を傾げた。


「……加えて、奇妙なことを囁くのです。大勢の方々の耳には届かないものですが」

「奇妙なこと?」

「ええ……」


 それ以上リシルは答えなかった。


 オルは、リシルが《ピュート》の言葉を聞く耳を持っていることを思い出していた。

 彼女の耳は非常に感度がいい。

 おそらくは、彼女は聴覚の《魔導の素養》に恵まれているのだろう、とオルは考え、《魔物》の囁く内容が少しだけ気にかかった。


「酒っ!」


 微妙な空気が漂う中、リザルの兜の中に酒を流し込み終わったルクレシアのおかわりを要求する声が響いた。

 ルクレシアに兜を酒樽代わりにされたリザルは「げほっ、げほっ」とむせてばかりで、ほぼ会話に参加できないでいる。

 《魔物》に関する会話になってから、まったく話を聞いていない様子のふたりを、ハガルが白けた目で見る。


「まあ、とにかく、だ。単体でもあぶねえのは、犬っころぐれえの大きさからだな。だが、小せえのでも群れると、死体をいくらか造りやがる。油断ケアレスネスは《深潭カルヴァロス》への早道だ」

「ちなみに、ハガルたちが見たという、巨大な《魔物》の大きさは?」

大将チーフよりもデカかったんじゃねえか?」


 オルは、なぜか巨躯のクァルカスが昆虫の着ぐるみを着ているところを想像する。


「まあ、歩く距離ぁ延びたが、相手が《魔物》だっつーンなら、俺の仕事は減る。《魔獣モンストゥルム》どもは、《魔物》どもに近寄らねえから、余計な気遣いがいらねえ」


 《魔獣》と《魔物》は棲み分けをしているらしい。

 真偽を確かめるために、オルがリシルの顔を窺うと、彼女は少し誇らしげに頷き返す。


 オルは上機嫌そうなリシルを見て少しだけ安心していた。

 ここ数日というもの、彼女の機嫌があまり良くなかったからだ。

 なにが理由か、オルは理解していないが、今のリシルの機嫌はここ数日のうちで最高潮であることは間違いない。


 不可解にも楽しそうな彼女に微笑み返して、オルは改めてハガルを見た。


「当初の依頼の期間内に、新たな依頼の達成も可能だということでしょうか?」

「まあ、ギリでイケんだろ? ……ギリだけどな」


 その言葉は安堵と共に、オルに落胆を呼んだ。

 つまりは、オルが友人たちを捜索する時間が消失してしまったということだ。


 そのとき、なぜかルダニスが、ぽんっと拳で掌を軽く打った。

 彼はハガルの肩を叩いて、自分の手首から胸の辺りを指でなぞって見せる。


「ああ? ロっさんが? ……そうか? んなようなこと言ってたかもなぁ」

「? ハガル? ルダニスはなんと言っているのですか?」

「ああ、大したことじゃねえンだが。ロっさんが前に言ってたこと思い出したらしい」


 そう前置きをして、ハガルは改めて口を開く。


「血と、血脈、そして、心の臓。……だとか、言ってたンだよ。確か」


 ハガルの言葉をオルは反芻する。

 それが、なにを意味しているのだろうか、と。

 そして、もうひとつ気になっていることがあった。


 ハガルの言うように、《アブノバ鉱山》が《魔物》の産まれる地だとしても、不審な点は何年もの年月が空くという事実だけではない。


 ハガルは同じような現象に遭遇したとき、ロスが《魔法》によって処理したと言っていた。

 ロス・レギウス・サルドーラムは確かに腕の良い《魔法使い》には違いないが、《魔力量》や技術に関して、ニコラウスがロスにおくれを取っているとは、オルには思えなかった。

 その父と、《義侠神》と意思疎通が可能だという《特別司祭》なるモロキ・イェマレンのふたりが揃って、少なくとも二度も《アブノバ鉱山》を訪れているという事実が、オルの注意を引いていた。


 彼らは、問題を解決できなかったのだろうか。

 だからこそ、現在もこうしてオルたちが来ているということになるわけなのか。

 それとも、ロスの対処した問題とは、やはりまったく別の種類の問題なのだろうか。


 考えるオルの袖を引く小さな手。

 隣を見ると、リシルがオルへと顔を寄せるところだった。


「……オルレイウス? それにしても、ハガルさんとルダニスさんは何者なのでしょうか? なぜ、サルドーラム様と冒険までご一緒されているふうに語られるのでしょう? それに、さきほど、ハガルさんが仰られた、大将チーフとは、ハギルさんがレインフォート様をお呼びするときと、同じ呼び方ですわ」

「……なる、ほど」

「……オルレイウス。わたくし、気づきましたわ。あの方たちは……」


 オルの頭が高速で回る。

 リシルがようやく事実を察したとして、口止めは可能か。

 さらには、穏便にこの探索を終えることは可能なのか。


「ふるつわもの、……そう、呼ばれるべき方々なのですわね?」


 リシルはにこにこしながら、そう結論づけた。


「……間違っては、いないでしょうね」


 オルもまたリシルに硬い笑みを返す。


「酒っ!」


 酒量が加速的に増加していくルクレシアの、おかわりを要求する声が響いた。

 ルクレシアの隣では、リザルが卓の上へと突っ伏している。

 その彼女を相変わらず白けた目で見て、ハガルが言う。


「とにかく、明日からぁ、歩きだ。やっときてぇことがあるからなぁ。……さっさと寝ろよ」


 そう言い置くと、ハガルはひとりで席を立ったのだった。


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