訓練

 どのくらい眠ったのだろうか。キトリは握り締めたシーツで顔をこすった。

 室内は相変わらず青白い光で満たされ、唯一変わっていたのは寝る前まで湯気を立てていたスープが冷め切っていた事ぐらいだった。身を起こし、立ち上がる。

 キトリが地に足をつけた途端、ふわっと周囲が一段階明るくなった。心地よい明るさに変わりは無かったが、やはり常に監視されているような気持ちは拭えなかった。

 それを証明するかのように、嫌なタイミングでドアが開いた。

 

『もう起きていたか。よく眠れたか?』

 昨日意味深な話を途中で切ったあの兵士だった。両手には美味しそうな湯気を立てた食事を持っていた。

 ……意識確認、とか言ってたあの話。あれも僕を看るための言葉だったのだろうか。辛そうに見えたあの顔も、一つの演技だったのだろうか。

『なんだ、食べてないではないか。体調が悪いのか? 今日はそんな事では身が持たないぞ。さぁ、食べなさい』

 トレーを入れ替え、キトリの前に食事を置いた。

 暖かそうなパンにサラダとソーセージがついていた。透き通るようなスープまでついている。流石に耐え切れず、ぐぅとお腹が鳴った。少し距離を空けて立っている兵士が気になったが、キトリはパンを一かじりした。割れたパンの切れ目から、もう一口齧り付きたくなるような良い香りがして、気がつけばスープも最後まで飲み干していた。

『大丈夫なようだな。安心した』

 振り向くと、キトリが寝ていたベットに腰掛けていた兵士がくぐもった声で言った。

 口元は少し緩み、抱えていたトレーに置かれて固くなったパンを割って口に運んでいた。

 

『我々兵士にとっても食糧難は深刻な問題なのだ。まさかこんな所で恩恵があるとは思わなかった』

 二口でパンを放り込むと、冷めたスープを一気飲みした。

『……ぐむ、すまない。さぁ、行こうか』

「あの」

『なんだ?』

 キトリは一呼吸置いて続けた。

「昨日の、あの話は」

『む? 何の事だ?』

「……ゼロ・レイスは……」

『あぁ、あれか。忘れてくれ。ただの意識確認だと言ったはずだ』

 カチャカチャとトレーを整え、重ねながら冷たく兵士は言った。

 ようやく片手で持ち運べるようになったそれを右手で持ち、左手をキトリの肩に添えた。

 キトリはグッと背中を押され、部屋を出た。

 ピッという音と共にドアが閉まり、緑色だったランプが赤くなった。

 兵士はトレーを廊下に出ていた棚に置き、右の通路を指差した。

『あっちだ』

 

 通路には、少女が一人立っていた。

 背はキトリより二周りは小さいだろうか、薄汚れた白い長めのワンピースと黒いスパッツ、肩くらいまで伸びた銀髪を乱暴に束ねていた。

0Mゼロ・メデュレ、彼を訓練場まで連れて行ってくれ』

『はい』

 透き通るような高い声だった。

『こっちです』

 こちらを見るでもなく、一声かけてゼロ・メデュレと呼ばれた少女は歩き出した。兵士はそれを見送るように腕を組んでいたが、やがてカートを押して反対方向へと消えていった。こんなほったらかしていいのだろうか。いつ逃げ出されてもおかしくないのに……と、何度も振り返りながらキトリは不思議に思った。

 

『脱走なんて、出来ないのよ』

 

 ドキッとした。昨日からそうだ。出会う人は皆、僕の心を見透かしたように喋りだす。

 お父さんとお母さんしか知らなかったキトリは、人にはみなそんな能力が備わっているのでは無いだろうかと錯覚するくらいの一言だった。

「ど、どうして?」

 同じ年恰好の人間と初めて会話をした。少女はキトリと目を合わせる事も無いままクスッと笑った。口元を抑えた左手は握った拳くらいの大きさで、尖ったものも見当たらない、だたの『グー』だった。

 少女はそれ以上何も言わぬまま、T路の廊下を左に曲がった。突き当たりに、大きな扉があった。


 扉の中はあっけなく開いたが、その中は天井すらあるのかどうか解らないくらいの高さと広さだった。物凄い量の瓦礫が詰まれ、崩れかけた建物が並んだ、荒れ果てた小さな一つ町のようだった。

 遠くの方で警報のようなアラームが鳴ったり、ドンと腹に響く爆発音が響いていた。


 一言で言うなら、そこは『戦場』だった。


 呆気に取られて周りを見ていたら、ゼロ・メデュレを見失ってしまった。

 目の前にあった瓦礫を回り込むように歩くと、すぐ近くにゼロ・メデュレは立っていた。左手に巻かれた黒い帯を丁寧に剥ぎ取り、乱暴に地面に捨てていた所で、ただの握り拳のようだったその手は、やはり同じように鉛色に染まっていて、開いた手の爪は長く鋭く尖っていた。

 『あの緑色に光っている所が集合場所です』

 ぼんやりと遠くの空が光っているような感じだった。ここからかなりの距離がある。歩いて行くにも相当な時間がかかるとすぐにわかるくらいだった。


 ビーーーッ! ビーーーッ! ビーーーッ!

 

 突如目の前でアラームが鳴った。キトリは飛び跳ねるように背筋を反らし、鼓膜が破れそうなくらいの大きい音に右手と肩で耳を覆った。しゃがみ込んだ周辺一帯が急に暗くなった。見上げた天井には、さっきまで無かったはずの巨大な岩壁が真ッ逆さまに『落ちてきていた』

 

「う、うわぁあぁあぁあああ!!!」

 

 避ける事も到底出来そうに無い岩壁を前にただ叫ぶしかできなかった。どうする事も出来ず、ただ迫ってくるものを迎え入れるだけのキトリの前を、ふわっと銀色の髪が通った。

 クスッと笑った少女の口元だけが見えた次の瞬間。四本の鉛色の線が一束となり、模様を描くように空中を走った。音も無くスラリと描かれた線は目に残像を残しながら消えていき、その先の岩壁もまた八方に裂け、キトリとゼロ・メデュレを避けるように軌道を変えて落ちた。

 体中が揺れる地響きが隣り合わせだった死を免れた事を知らせ、周囲を渦巻いた砂煙が無くなる頃には警報のアラームも消えていた。

 

 キトリのすくんで動かないままだった足が、とうとう力を失ってその場にへたりこんだ。

 メデュレは何一つ変わらない淡々とした口調で言った。

『行きましょう』

 落ちていた黒い帯を拾い、ぎこちなく巻きなおしながら歩き出した。

 牙を剥いたメデュレの爪が、カチカチと物足りなさそうに哭いていた。


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