リゼルド
『ここだ』
ホールを出た通路の先、左右に分かれた道を左に進んだすぐの扉の前で兵士は立ち止まった。白い自動扉の横には、赤いランプが灯っていた。
『近づくだけで良い。君に反応して扉が開く』
扉には「R」というプレートが取り付けられていた。
『早速ではあるが、明日からは早速ゼロ・レイスの能力を引き出す訓練が始まるだろう。思う事は沢山あるだろうが、今日は自分の体を休める事を一番に考えてくれ』
キトリはゆっくりとドアに近づいた。カシュッという音がして赤かったランプが緑に変わり、ドアが横に開いた。さぁ、と手を差し出す兵士をチラリと見やり、部屋に入る。綺麗で大きな部屋だ、ベッドも大きい。こんな布団で寝た事なんて今まで無い。真っ白な壁は、相変わらず全体が薄青色に光っているようだった。
『わ、私はこれで失礼します!』
大振りに一礼して兵士は足早に消えていった。頭を下げた方向はキトリに向かってではなく、歩いてきた通路の方向であった。駆けて消え行く足音と、次第に大きくなる金属製の踵の音。キトリは開きっ放しになっているドアの先を凝視した。やがて足音が止まり、濃緑色の手袋が開いたドアの縁を掴んだ。ぬっと扉をくぐるように緩いウェーブがかった髪、眉間に寄った皺と焼けた肌、整った顎鬚が見え、薄緑の目がキトリを覗き込んだ。男はキトリを初めて見る者だと認識したかのように、ゆっくりとドアの前に立った。手袋と同じ色の軍服に身を包み、胸には幾つかの勲章が垂れ下がっていた。
男はドアにもたれかかり腕組みをしながら顎鬚と口を片手で覆うようなポーズでキトリを睨んだ。
『キトリ、と言ったか』
突き刺さるような威圧感。思わずキトリは答えてしまった。
「……そう、です」
『リゼルドと言う』
それだけ言ってキトリを凝視した。口数は少ないようだ。歳は父親と同じくらいに見えたが、その目つきや体つきは戦いの中に身を置いた人間を物語り、その威風を放ちながらも健康的で若く見えた。何となく怖くて、ついつい受け答えをしてしまってキトリは二,三度頭を振ってリゼルドという男を睨んだ。
『……そう睨むな』
キトリの数十倍は睨み返していそうな眼差しで、リゼルドは言った。
私は子供の扱いは苦手だ、そう顔に書いてあるかのような見下した目だった。
『今まで、よく隠れ切れたものだ』
ふぅっ、と溜息をついて、リゼルドは続ける。
『そうやって逃げ隠れた事で、貴様の親は死ぬ事になった』
「な……!」
『お前が殺したのだ』
「違う!!」
『臆病者が無駄に噛み付くな。家族を想うならば、どうして己を犠牲にして我々の前に佐々と姿を現さなかった。貴様の甘えが、今のお前とその家族の顛末を招いたのではないか』
もはや、初めに感じた無口な雰囲気はどこにもなかった。
淡々と、冷酷に、そして正確にキトリの心を抉っていくような口調だった。
『それに』
キトリは身構えた。左手が自分の意志とは無関係にカタカタと動き出した。これ以上何か喋ってみろ……僕は……!
『人殺しを憎むなら、それはお前も同じだ』
「あ……え……?」
『キトリ、お前のゼロ・レイスとしての一撃が誰にも当たらなかったわけではあるまいし、お前が一番解っているだろう? 人外が放つ攻撃を受けた生身の人間が未だ生きているとでも思っているのか?』
口を覆った手の奥から聞こえてくる少しくぐもった声に、キトリは何も言えず動けなかった。そして、初めてあの時を振り返った。僕は、あのお父さんの仇と、一緒にいた兵士二人を、この左手で殴りつけた。何もかもが許せなくて、この鉄の塊で叩きつけただけだった。気が付いたらお母さんが傍にいて、僕は怖くて泣いた。そんなつもりでやったんじゃ……
『そんなつもりではなかった……か?』
ドクン、キトリの胸が今まで感じた事の無い傷みを感じた。
『人を殺めた者がこれ以上私に何の戯言を吐けるか? 小僧』
頬を生温い液体が伝った。拭うのも嫌になるような、何か汚いものが混ざっているかのような涙だった。
『……事故だ。我々の兵士も、貴様も、戦いの狂気に毒され起こした事故だ』
覆っていた手を降ろし、手袋の皺を引きなおしながら
『今は忘れるんだ。我々も当分の間は貴様の罪に目を瞑ろう』
吐き捨てるように、リゼルドはドアから離れて通路へ消えた。人の気配が無くなったのを悟ったドアがカシュッと閉まった。一人残った部屋の中で虚空を見つめながらポロポロと流れる大粒の涙が出るたびにキトリを苦しめた。黒い左手が、ロックを示す赤いランプに照らされて赤黒く反射して見えた。零れ落ちた涙は、柔らかな絨毯に真っ黒な染みを作っていった。
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