幸せな眠り

『……トリ、キトリ』

 呼ばれているのに気が付くまで、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。もしかしたらほんの一瞬だったのかもしれないが、キトリの全身はへばり付くような汗をかいていた。


『キトリ、ごめんね。大丈夫。お母さんが絶対守るから』

 父がいつものように頭を撫でる…が、この日はいつものように乱雑にかき回すのではなく、そっと頭に手を置き、微かに指先が動く程度の優しいものだった。それは震えていたのかもしれない。


「解ってる。大丈夫だよお母さん」

 そういって一生懸命笑顔を作ってみせるキトリ。


「お父さん、スープが冷めちゃうよ」

 振り返ってまっすぐ見た父の顔に、キトリは思わずはっとした。明らかにシワが増え、目に疲れの色。白が混ざる髪の毛にも驚いた。キトリはこみ上げてくる鼻を突付く衝動に負けないように、前を向きなおしてスープにがっついた。ジャガイモ、ニンジン……、ごろごろと野菜が皿の中に転がっていて、早く廃物置き場に戻りたかったのになかなか食べきれなかった。それを見たキトリの父と母も、再びスープをすくって飲み始めた。


 食事を終え、廃物置き場に戻り、毛布に身をくるみながらキトリはふと食事の事を思い返した。今日のスープも美味しかった。沢山の野菜が入って、ごった煮になった毎日違う、でも美味しい味。ごろごろとした野菜をたっぷりのスープで浸して食べるのが好きだ。きっとお父さんも、お母さんも、そうやって食べ……


あれ、飲んでいた……?


「野菜が、僕のとこにだけ……」

 と、呟いた。それは決して今日に限った事では無く、単純にキトリ本人が今まで気付いていない事だったのだろう。そう言えばそうだ。いつもキトリがスプーンで野菜とスープをかき込んでいる時、両親はスープをすくって飲んでいた。今日に限って、父のあんな疲れた顔を見て急いで食べたものだから、『食べる』という事の記憶が強かったのかもしれない。

 涙が止まらなかった。声を殺しきれなかった。『絶対に守るから』という母の声が耳元でこだました。今も父の暖かい手が頭上に置かれている気がした。今日ほど、耳障りな製鉄機械の音や、自分だけが部屋を離れて眠っている事を「助かった」と思った事はなかった。

 

「こんなの、見せられないや……」

 涙でぐしゅぐしゅになった顔を毛布にうずめて寝ようとした。

 少し時間はかかったが、ゆっくりとキトリは眠りに落ちた……その顔は涙痕もなくほころんで見えた。

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