(3) 水鶏の思い
「ふわあぁ」
自室で、部屋着代わりに着ている浴衣姿の水鶏が小さく欠伸を漏らす。
もうすぐ下校の時刻だろうか。今日は学校に行っていないので、一日掃除することぐらいしかなく、暇を持て余していた。やっていたことといえば、能力を使う道具を揃えたぐらいだ。少なくとも明日、陽性の思惑通りに事が進み、『虹色のダイヤモンド』を盗みださなければいけなくなった時、精霊の力を借りで能力を使うより、精霊を召喚して能力を借りた方がいいだろうと思ったからだ。
本当は少し違うのだけど。
昨日、水鶏は中澤ヒカリに対して虚偽を含んだ真実を伝えた。確かに『風林火山』は明日『虹色のダイヤモンド』を盗むと喜多野風羽辺りに宣告しているが、ヒカリには今日盗みに行くと、少し嘘をついたのだ。
これはほんの些細な遊びで、これで何かが変わるかもしれないと馬鹿なことを思っただけで、本当に彼が動くかどうかはわからない。
けれど、陽性が犠牲になって『虹色のダイヤモンド』を破壊するよりも、ちゃんと彼ら――『怪盗メロディー』に真実を伝えた方が早いと思ったのも事実で……水鶏は、また勝手な行動をしている。
陽性の思いも理解しているつもりだ。彼は、彼女の中にある自分の記憶を犠牲にして、黄泉に連れて行かれるはずだった白銀礼亜の魂を、この世に呼び戻したのだから。彼が本当に彼女のことを愛しているのを、いつも傍で見てきた水鶏は十分すぎるほど身に染みていた。
水鶏は机の上に置いてある手鏡を持つと、反転して写る自分を覗き見る。
仏頂面なのは、今少し不機嫌だからだろう。笑っていない自分の顔が嫌になり、少し笑ってみる。鏡の中の自分の唇が吊り上がったが、目は笑っていない。その瞳に、形だけの笑みに、既視感を覚えた。
あの頃だ。まだ、水鶏が姉とともに山原家の家で暮らしていた時のこと。母や親戚から向けられた視線と似ていることに気づき、言いようの知れない吐き気を感じる。
山原家の家系は古く、遥か昔の平安時代の頃から続いているとされている。陰陽師とはまた違う、古くからある異能は、血筋とともに特に女性に濃く受け継がれていた。
その異能を、姉は受け継いでいた。だけど水鶏には受け継がれなかった。
代わりに、産まれたころから土の精霊ノームに愛された娘として、持て囃されはしたもの、それは表面上だけに過ぎない。血筋とは違う異能を持った水鶏は、その家系では忌み子と似たような扱いを受けて育ってきたのだ。水鶏の能力は山原家には相応しくないと、憐れみの籠った視線を形だけの笑みとともに向けられてきた。
対する姉は、代々受け継がれる血筋の異能を得ていたから、逆に束縛されて育った。自分の意思を持つことは許されず、母や山原家の言いなりになりながら育てられたため、姉は自分の意思が乏しい気の弱い性格になってしまった。それを水鶏は幼い頃「羨ましい」と思ったのだが、それも水鶏が中学生になる頃までだった。その頃にはもう、自分の家のおかしさに気づき、同時に姉の不可解さにも気づいたのである。
水鶏は姉のことをいろんな意味で嫌いになった。自分の意思をちゃんと持っていない、人に従っていることしかできない人形のようなところが、特に嫌いだった。
とても優しく頼りない姉が、一度だけ母に反抗したときがあった。
それは二年前、姉が成人した次の日の早朝だっただろう。
水鶏は、玄関が騒々しいことに気付き、寝ぼけ眼で確認しに行った。
玄関先には早朝にもかかわらず、結構な人がいた。
最初に目に入ったのは、土下座する男性。その隣には蒼白な顔をした女性もいた。彼女は、一人の女性を抱えていた。まだ若く、姉と同じ年ほどの女性を。
二人は何やら懇願しているようだ。
母が腕を組み、唸っている。その隣には姉がいた。後ろ姿しか見えないため、姉の表情は分からない。
土下座する男性と、女性の声を聴き、水鶏は状況を把握した。同時に、彼らのことが哀れだと思った。
男女は、姉の力を頼ってやってきたのだろう。どこからか情報を得て、姉の力があれば女性を治せる、そう思ったのだろう。それは確かに正しい。姉の力であれば、女性を甦らせることは可能だから。けれどそれは山原家では禁忌とされている術で、いくら懇願したところで母が頷くはずがない。姉は自分の意思がなく決断できないから、母が頷かなければ自ら申し出るわけがない。と、水鶏はそう思っていた。
だけど違った。
仲間を助けて欲しいと懇願する男女に近づくと、姉は優しく手を添えて言ったのだ。
――わかりました、と。
あの時の姉の微笑みを。その言葉を、水鶏は一生忘れることがないだろう。
それほど、あの笑みは晴れ晴れとしていて、言葉には静かに張りがあったのだから。
はっと水鶏は我に返り、手鏡を机に置く。
ぼふんとベッドに腰掛けると、天井近くの壁にかけられている時計を仰ぎ見た。
もうすぐ下校の時刻になる。
これからどうなるのか水鶏にはわからない。
水鶏の勝手な思いが場をかき乱すのか、それとも明日陽性が犠牲になるのか。
『虹色のダイヤモンド』は意思のある宝石だと聞いている。あの宝石は、容易く人の――自身よりも能力値の低い人の魂を吸い取って食べるとされている。
水鶏はまだ敵わないだろう。自分の能力の扱いをまともに把握していない琥珀だってそうだ。火の精霊遣いである陽性も、太刀打ちできずに虹色のダイヤモンドに喰われるかもしれない。
水鶏は、できることならもう真実をすべてぶちまけて、終わらせたいとさえ思っている。
きっと、野崎唄もそれを望んで怪盗になったのだろうから。
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