(2) 父と母

「んあ。なんや、もうこんな時間か」


 回転椅子をくるりとしてから、大きく伸びをする。

 廃墟となっているマンションの一室。そこで寝起きしている水練は、目をごしごしこすり再びパソコンに向かおうとして、やめた。


「寝よー」


 今は朝の七時。起床時間となっている時間帯である。

 不健康な生活をしている水練は、日差しと共に寝ることにした。


 ブーとスマホが振動する。机の上に置いてあるそれを手繰り寄せ、水練はだらしなく机に伏せったまま画面を覗き込んだ。


「風羽からや」


 件名の書いていない質素なメールの本文を開くと、水練は重たい体を起こして、ぐてっと椅子の背にもたれかかる。


「うおっと」


 そのまま椅子ごと後ろに転びそうになったが、体を前に倒すことにより何とかそれを阻止した。


 再びメールの本文に目を落とした水練は、つまらなそうに呟く。


「なんや。嫌味なやつやの」


 メールには、用件の他に「学校は行かなくていいのか」という余計な一言が添えられていた。だが水練は不登校少女なので、学校に行くつもりなんて毛頭ない。


 暫く画面を眺めた後、返信することなくスマホを机の上に置き、今度こそ惰眠を貪ることに決めた。


「あたしの夜はこれからやぁ」


 不登校少女の一日は長い。



    ◇◆◇



 すっかり制服に着替えた唄は、二階の私室から一階に降りてきた。

 リビングに入ると、すでに机に座っている父と、キッチンで朝食の準備をしている母に朝の挨拶をする。


「おはよう」

「ああ、おはよう」


 新聞から顔を上げて父のユウシが。


「おはよう、唄」


 朝食を机の上に並べながら、母のカルが。


「手伝うわ」


 唄は、キッチンに出来上がったばかりの朝食を運ぶ手伝いを買って出た。


 すっかり朝食の用意が整った、食卓。

 三人は手を合わせると、食べ始める。


 暫くして、点けっぱなしになっているテレビから、元気の良いリポーターの声が流れてきた。


【おはようございます。早速ですが、大ニュースです! あの『怪盗メロディー』がまた出現するようです! 今度の獲物は、なんと……あの佐久間美鈴氏の所有する『虹色のダイヤモンド』だそうです。予告状によると、犯行日時は今週の土曜日、午後十一時ごろだということで……】


 一度手を止めてから、動揺しないように心がけて再び箸を動かす。

 今日の朝食の鮭のは塩が効いていておいしい。母の手料理は、暖かい味がして好きだ。


「唄」


 低く響いた、父――ユウシの声に顔を上げる。

 箸を止めた母――カルも心配そうな顔でこちらを見ていた。


 何となくこうなることを予想していた唄は、表情を変えることなく見返す。


「なに」


 若干そっけなくなってしまったが、反応はこれでいいだろう。


「……『虹色のダイヤモンド』を盗むつもりなのか?」


 その質問も想定済みだ。


「ええ。そうよ」


 冷たくならないように、自然に返す。


「アレは……やめておけ」

「何で?」


 言葉を濁し、ユウシが視線を逸らす。母も何か言いかけて、止めてしまった。


(ほんと、なんでなのよ)


 唄は言いたいことを飲み込む。


 唄の両親は、元怪盗――初代怪盗メロディーである。

 二人は唄が生まれるよりもずっと前、海外で活動しているとあるサーカス団の一員をしていたらしい。母は持ち前の異能を生かして軽業師として空中ブランコや綱渡りで活躍をしており、父は元能力者だったのだが、怪我で能力を使用できなくなり、下働きをしていたらしい。


 そのサーカス団は能力者の集団だったというのは聞いたことがある。だけど、どうしてサーカスを抜け出したのか。それも逃亡するように、二人は日本に逃げてきたらしい。


 両親が海外でどうやって暮らしていたのか、どうして日本に逃げてきたのか。能力を生かして怪盗をしていたのか。それから――どうして、二年前『虹色のダイヤモンド』を盗めなかったのか。どうして、『怪盗メロディー』の活動を、突如として辞めたのか。


 唄は幼い頃から、両親を見てきたから知っている。

 二人は楽しそうに日々を、それもまるで物語の怪盗のように、唄に夢を見せてくれた。


 大きくなったら怪盗になるんだ! 

 幼い心で、唄はそう心に決めていた。


 それが二年前。唄が中学三年生の時。

 両親は、仲間と共に怪盗を辞めてしまった。


 神出鬼没で、夢を見せてくれた怪盗は、『虹色のダイヤモンド』を盗めずに、世間から馬鹿にされながら消えてしまった。


 唄がそのなくなりそうな夢を、幼馴染のヒカリと共に受け継ぐことに決めたのは、一年半ほど前。それにより穢れた名声を何とか取り持つことができた。


 唄はどうしても知りたかった。

 どうして、両親は怪盗を辞めたのか。

 二年前、何があったのか。


 二人が何も教えてくれないのなら、自ら怪盗をやって真実を確かめればいい。

 それが自分ができることだと、唄は信じていた。


 唄の質問に、父も母も答える気配がない。

 無言の食卓で唄が箸を動かす音だけが響いている。


 最後の味噌汁を飲み干し、唄は箸を置くと「ごちそうさま」をして立ち上がった。


「いってきます」

「待って、唄」


 何も言わないユウシの代わりに、カルが声を上げる。


「唄。虹色のダイヤモンドはね、盗んじゃだめなの」

「どうして?」

「それは……言えないけど。でもね、やっぱりだめ。あれは、あなたにもヒカリ君にも盗めないから」

「だから、どうして?」

「だからそれは言えなくって」

「どうして! 言ってくれなきゃわからないわ」


 まだ怒りは押し殺す。話し合いは、感情的になったら負けなのだ。


「それは、言えないもの。でもね、あの宝石はだめなの。私たちにも無理だったから、きっと唄も」

「お母さんたちに無理だからといって、私もそうだとは限らないわ。ヒカリもいるし、他にも……もう、私は一人じゃないから。私たちなら、絶対に盗めるもの。盗んでみせるわ」

「唄、やめろ」


 低い父の声。


(そればっかり)


 呆れるふりをして、唄は鞄を掴むとリビングから出て行こうとした。


「どうなるか知らないぞ」

「唄、お願い」


 そんなお願い、聞けるわけがない。

 やめたりなんかしない。


「いってきます!」


 大きな声で両親の言葉を遮ると、唄は早歩きで廊下を歩き、玄関からは走って出て行った。


「もうっ!」


 叫び声は誰にも聞こえず、唄は息を乱すことなく駆ける。


(虹色のダイヤモンドは、絶対に盗むんだから)

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