2.『小鳥遊由海』
そんなこんながあって、今日は夏休み明けの二学期初日なのである。
つまり新天地での初登校日だ。初っ端から遅刻をかますわけにはいかない。それに新参者は最初に職員室に挨拶へ寄らねばならないのだ。
したがって早出をするのは必然であり当然と言える。
強いられていると言っても過言ではない。早起きはさほど苦ではないのだが、若干の慌ただしさは否めない。
ゆとりが持てるのならそれに越したことはないと思うし。平時である明日からはもう少しゆっくりと出ても大丈夫だろう。
心持ち新たに俺は制服のネクタイを締め直す。玄関のドアノブに手をかけて、いざ出陣。……しようとしたのだが。
「泰正くーん。ちょっと待って」
リビングから追随してきた母親に呼び止められた。
俺は何用かと振り返る。母親はアマゾンの段ボール箱を抱えていた。
ますます何用だ。
「学校に行く前にこの荷物、お隣さんに届けてくれないかしら」
「何だよ、これ」
お隣への引っ越し蕎麦はすでに渡しているはずだ。何度か訪れても留守だったのでポストに突っ込んでの献上になったけど。
「どうやら間違ってうちに荷物が届いちゃったみたいなのよ」
母親は困っちゃったわねぇと言いたげな表情で頬を撫でる。
……いや、カーチャンそいつは受け取るときに気付けよ。本当に何も考えていないのではないだろうか。
僭越だと思うが、我が母の頭の抜け具合が少し心配になった。
「わかったよ。702号室でいいんだよな?」
溜息を吐き、俺は了承した。
うちは角部屋であるため隣は一軒しかない。
入居時に挨拶回りが一部屋減ってラッキーだとガッツポーズした俺はさもしい性格をしているのかな。
「よろしくね」
「はいはい」
段ボール箱を手渡された俺は適当に返事をし、今度こそ本当に家を出ようとする。
「ねえ、泰正君」
「……まだ何か?」
再度出鼻を挫かれた俺は面倒だからやめてくれという意思を目一杯込めて訊く。
「今度の学校ではお友達ができるといいね」
…………。
「あの、まるで俺が前の学校でぼっちだったみたいな言い方はやめてもらえる?」
俺はなけなしの尊厳を守るためにすぐさま否定を入れさせてもらった。これでも環境に溶け込む術はそれなりに長けているのだ。
家に度々級友を連れて来ていた事実を我が母君はお忘れになっていらっしゃるのだろうか。
「あれ? そうだっけ」
とぼける母親を無視して俺は家を後にした。
ちょっと記憶に欠損が多すぎやしませんかね……。割と真面目に心配になった朝の一幕であった。
「……マジで? 同じ名字とか」
『
段ボール箱に貼り付けられているその伝票の名義を目視して俺は一人呟いた。
俺の名字は
小鳥遊という名前は比較的、いや、かなり珍しい名字で、これまで数多の地を流転してきた俺でも同じ姓を持った人間には出会ったことはなかった。
そして初対面でタカナシと読めたやつも数えるほどしかいなかった。つまり、相当マニアックな名字である。
それがまさか同じマンションの、しかも隣室にいるとは。
ポストにも表札にも名前が記されていなかったので隣人の名字は把握していなかったのだが、こんな偶然もあるのだなあと俺はたまげた。
インターフォンを押して呼び出しをかける。朝っぱらからの訪問だが、このお隣の小鳥遊さんは昼時や夕刻そして晩飯時にも不在だったのでこの時間帯にお届けに参るのは消去法的に適正な判断だろう。
「…………」
沈黙し、その場に佇みしばし待機するも家人が出てくる気配は一向にない。
また留守なのか……?
そろそろ本格的にこの部屋には人がいるのかと疑いたくなる。
中で死んでいるのか、それとも長期でどこかへ出かけているのか。できれば前者は勘弁して欲しいなと願いつつ俺は腕に抱きかかえた長方形の箱を眺めて途方に暮れる。
俺ものんびりはしていられない。そろそろ出発しなければならない。
そうすると、この荷物はどうすればいいのだろう。まさかドアの前に置きっぱなしにしておくわけにもいかないだろうし。
しょうがない。もう一回家に持ち帰って母親に託そう。
俺がそう決断を下し引き返そうと体を切り返した時だった。
ガタンバタンベシャと何かが内側からドアに衝突したような激しい物音が聞こえてきた。
「……?」
そっと扉に耳を近づけそばだてる。ひょっとして物騒な事件のサインかもしれない。
監禁拉致とかそういう警察沙汰の可能性もありえる騒音に俺はごくりと唾を嚥下する。
ガチャリ。キーのロックが外れる音。その音を耳にした俺はドアから一歩離れ、様子を窺う。
やがてドアがほんのわずかだけ静かに開かれ、そこから住人とおぼしき少女が顔を覗かせてきた。
俺は隣人の予想外の容姿に少しばかり面食らってしまう。お隣の小鳥遊さんは目鼻立ちのパーツなどが整った美少女だった。しかも銀髪碧眼だった。
い、異人さんだと……?
年齢は俺と同じか少し下くらいだろうか。
ただ彼女は美人であったが、その美貌を軽く打ち消すような生気のないやつれた表情をしていた。
顔色は白いというより不健康に青白く、眼の下にはクマができている。肩にかかるくらいのセミロングの銀髪は寝癖がついて横に大きく広がり激しくボサついていた。
服装はしわだらけのパジャマでそれがまた彼女のどんよりとした雰囲気を助長している。
眠たいからなのか不機嫌だからなのか原因は知らないが鬱々とした目つき。
彼女はそんな淀みきった目で俺の爪先から頭のてっぺんまでをじっとりと観察するように睨みつけてきた。
俺はその視線に何とも言えない薄気味悪さを覚える。
この少女が伝票に名前のあった小鳥遊由海なのだろうか。どちらにせよ、やるべきことはただひとつ。さっさ済ませてとっと撤収してしまおう。
「あの、これ。間違ってうちに届いたみたいなんですけど……」
そう言って俺は携えていた段ボール箱を差し出す。すると
「ひっ、はひっ!」
小鳥遊由海(仮)は突如目を見開いて謎の奇声をあげ始めた。
「…………!」
唐突な隣人の奇行に俺はたじろぎ、半歩引き下がる。
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