007

 真子は、母・美由が運転する車の後部座席で、げんなりとした顔を浮かべながら座っていた。

 決して車酔いしたわけではない。


 本当の原因は──。


 隣に堂々と横たわる銀色の毛並みを持つ猫、“ギン”の存在だった。

 それも、ただの猫ではない。

 この猫は、真子にしか見えない。母にも、道行く人にも、誰の目にも映っていないのだ。


 自称──“電脳生命体”。


(なんで、付いてきてるわけ?)


 心の中でつぶやくだけで、ギンには伝わる。それがもう、気味悪さを通り越して鬱陶しい。


『仕方なかろう。わしとお主は、こうして繋がってしまったのだからな。離れたくとも、離れられぬ』


 ギンは寝そべったまま、尻尾をひょいと動かしてみせる。


 見ると、その銀色の尻尾が──真子のお尻、ちょうど尾てい骨あたりに、しっかりと繋がっていた。

 どんなに引っ張っても取れない。ちぎれない。

 感触こそないが、確かな“繋がり”がそこにあった。


(いやいやいやいや、何コレ‥‥)


 真子は思わず、両手で尻尾を掴んだままブルブルと震えた。


(これ、本当にヤバいやつじゃないの? 病院戻った方がいいんじゃ──)


『うむ。わしも、この状況については、どう説明したものか悩ましいところだ』


(アンタが悩んでどうするのよ!!)


 思わず、心の中で叫んでしまった。


(ていうか‥‥“電脳生命体”ってなんなの?)


『らしいな。まあ、その名称も、人間たちが勝手に付けたものだが』


 ギンは他人事のように言い、尻尾をふにゃりと揺らした。

 まるで自分の存在すら、興味がないような無頓着さだ。


(じゃあ、電脳生命体が、どうして私の身体に繋がってるの?)


『知らぬ。気付けば、こうなっておった』


 そっけない答え。

 真子はうなだれた。いやもう、何この理不尽。


 どうにかして尻尾を外そうと引っ張ったり、振り回したりしてみたが、ビクともしない。

 傍から見れば、車の中で謎のダンスをしている不審者だ。


 運転席では、母の美由がバックミラー越しにチラチラと真子を見ていた。


「ねえ、真子ちゃん‥‥。本当に退院して大丈夫だったの? まだ調子悪いんじゃない?」


「う、うん! 平気だよ! すっごく元気だし、大丈夫だから!」


 真子は必死に作り笑いを浮かべた。

 検査では異常なしと言われた。誰にもギンは見えない。

 だから、これ以上大事にはしたくなかった。

 ただでさえ、これ以上病院に長居したら、精神科に回されかねない。


(それは絶対イヤ!!)


 心の中で叫びながら、必死に平静を装った。


「‥‥そう? でも、さっきから、変な動きしてるように見えるけど」


「き、気のせい気のせい! ほら、ちょっと運動不足だから、こうやって体を動かしているなだけだから」


 笑顔を引きつらせながら、真子は勢いよく答えた。

 そんな娘を見て、美由は不安そうな顔を浮かべる。


「そうだ、真子ちゃん! 久しぶりに、宝来軒のラーメン食べに行かない?」


 美由が思いついたように言った。


 その瞬間──。


「えっ、本当に!? 行く行くっ!」


 真子の顔がパァッと明るくなった。

 ギンの存在も、尻尾の異常も、今この瞬間だけは頭から吹っ飛んだ。


(‥‥ラーメンは正義‥‥)


 真子は心の中で密かに呟いた。

 すべての悩みを、あの熱々のスープとモチモチの麺が一時的にでも忘れさせてくれる。

 そう信じていた。


『む‥‥ラーメンとはなんぞや?』


 ギンが脳内で問いかけてきたが、今はどうでもよかった。


(黙ってなさいっ!!)


 脳内で全力で叫び返しながら、真子は生き返ったような笑顔で、車窓の外を眺めた。


 少しだけ、世界がマシに見えた──気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る