第二十七話『失望の空』

 秋も深まり落葉が並木道を小金色に染める中、霧島晃児と松平美鈴は爽やかな秋風吹く風景を時折眺めながら紅茶を楽しんでいた。

「こうして二人でお出かけをするのは久しぶりですわ。いえ、こうしてお逢いする事じたい久しぶりですわね」

 令嬢は霧島へ懐かしそうな瞳を向けると、紅茶を銀の匙で回した。

 明るい午後の陽光が紅色と混ざり螺旋模様を描く。まるで光のダンスを見ているようだわ、と令嬢の表情が楽しそうに微笑んだ。

「お父上の葬儀から私も忙しく、今日まで休みもとる事が出来ませんでしたので、気付けば二週間以上もお目に掛かれておりませんでした。私にとって美鈴様とお会い出来ない時間は、一日千秋の思いでございました。まさに、秋の夜長…貴女の事を考えない夜はございませんでした」

 白い軍服の襟を正しながらカップに指先を絡め、令嬢と同時に紅茶を飲み込んだ。

「ええ。私も霧島様とお会い出来ない日々はとても長く感じられました。こうして晴れた一日を貴方様と過ごす事が出来る時間はあっという間に流れてしまいますのに…」

 令嬢は嬉しそうに微笑みながら、愛しの君を水の入ったグラス超しに見つめた。

「ところで、あのお話ですが…もし霧島様が本気で仰有って下さっているのでしたら…」

 恥ずかしそうに手を動かし、控えめに俯く令嬢の言葉に霧島の手が止まった。

「あのお話、でございますか…」

 霧島の胸がちくりと痛んだ。

 美鈴の父親が亡くなり、その葬儀の後、霧島は時間が許す限り彼女の傍に居た。涙も流さず唯立ち尽くし、心此処にあらずといった状態の令嬢を前に居たたまれなくなった霧島は、婚約を前提とした今後の付き合いを、と申し出たのだった。

 勿論、その時の感情だけで申し出た訳ではなく、以前から決めていた事であり、彼自身その気持ちに嘘はなく寧ろ少し遅すぎたか、と思う程だった。だが今の霧島の心はそれ故に痛み、まともに目を合わす事すら出来ずに令嬢から視線を逸らせた。 

 美鈴は朗らかな笑みを向けた儘、暫く言葉を探した後、恥ずかしそうに、だが何かを決心した様な口調で続けた。

「私、あのお話をお承けしようと…」

 話を続けようと言葉を選んでいる令嬢を霧島の手が柔らかく制止させた。美鈴は不思議そうに止められた手と霧島の顔を交互に見つめた後、遠慮気味に問いかけた。

「何か…あったのですか?」

「いえ…」

 霧島は阻止した手を戻すと立ち上がり、令嬢に背を向けて夕暮に染まり始めた薄茜色の空へ瞳を向けた。その広い肩は小さく震え、握られた拳は幾度も開いては閉じた。

 秋の夕暮れは少し肌寒い風をはらみ、枯れた葉の香りと金木犀の香りが混ざり合っていた。

「美鈴様…私の妻にと申し上げたお話についてですが、無かった事にして下さい」

「…え?」

「貴女のお父上が亡くなった事で私も少々感傷的になっていたようです。つい勢い余りあの様な大切な事を軽々しく申し上げてしまいました。この無礼は幾重にもお詫び致します 」

 詫びの言葉を述べながらも背を向けたまま、唯立ち尽くし落葉に染まる石畳に長い影を重たく落としていた。今の霧島は真っ直ぐ令嬢に向き合う事が苦しいのだろう。

「お願い…どうか此方を向いてお話して下さい。背を向けられては言葉が上手く伝わりませんわ?」

 美鈴は白い椅子から腰を上げると背を向けたままの霧島に近付いた。その小さな手が彼の腕に触れようとした。その時、ようやく霧島は思い詰めたように令嬢へ身体を向け、細く小さな身体を優しく抱きしめた。

「…霧島様?」

 抱きしめられた腕の中で小さな声がくぐもる。美鈴は抱きしめられたその腕に応えようと広い背へ細い腕を回そうとした。しかしその霧島の腕はすぐに解かれ再び背を向け足早に歩を進めた。

「霧島様…!」

 悲しみに満ちた声が霧島の背後で痛い程に突き刺さる。数歩進んだところでゆっくりと顔だけを令嬢に向けると、ぽつり、と言葉を呟いた。

「さようなら…美鈴様」

 霧島は部下へ令嬢を屋敷まで送る様に命じた後、二度と美鈴へ体を向ける事はなく冷たい秋風と落ち葉の舞う紅の中へ消えて行った。

 美鈴は彼の部下が運転する車の中で、車窓に映る紫紺に染まり始める夕闇を眺め、幾度も小さく溜息を吐いた。

 ……アスカは私をお屋敷から出さない、ずっと令嬢として扱う、と言っていた。彼女が主であるのに私が我侭をする事は間違っているのかもしれない。何の力も無い私を置いてくれると言うのだから…そうね。私は霧島様からのお申し出が嬉しくてアスカのそんな気遣いや、優しさを無下にしていたのかもしれないわ……

 先日向けられた執事の見た事もない冷たい瞳、そして有無を言わさぬような厳しい言動を思い出しながら、暮れゆく空の色と執事の紫水晶にも似た瞳の色を重ねた。

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