第33話 耆宿

 聞こえてきたのは、金属同士のにぶい衝突音だった。

 ディスターがはじいたのは、おそらく私がさっき放ったダガー。

 消えた先の草薮くさやぶから少し離れた、灌木かんぼくの密集地帯から飛んできた。

 その対処を優先した結果、閑寂猴しじまざるへの攻撃が後回しに。


「ぎっきゃっぎゃ――ぎゃひっ!」


 無事に着地したサルは、何事かをわめいてからディスターに向かって跳ぶ。

 ここが勝負所になるのだと、獣なりに認識しているのかもしれない。

 粗雑なようでいて、いやらしい計算を感じる怒涛どとうの連続攻撃。

 無秩序に繰り出される手足への対応で、ディスターの呼吸が乱れている。


「びゃっきゃげっぎゃっぎゃ!」


 何度聞かされても耳慣れない、カンにさわる笑い声。

 その笑いの理由は、勝ちを確信しているからだろう。

 空を切ったハルバードが、サルの三本の手に掴まれてしまった。

 残る四本の手は、ディスターを追い詰めようとうごめいている。

 この状況を打開するため、私のやるべきことは――


「そこぉっ!」


 大声を発し、求綻者ぐたんしゃひそんでいるであろう灌木の方へ駆ける。

 閑寂猴しじまざるの意識がわずかに、私の動きを追うのに向けられた。

 その隙をディスターは見逃さず、からめ取られかけたハルバードを奪還。

 再び五分の対峙へと戻った一人と一匹――或いは二匹の戦闘を横目に、私は姿勢を低くしての突進を続ける。


 あと2ケン4メートルまで接近すると、何者かの気配が膨らむ。

 その所在地は目指す先ではなく、少しズレた薮の中だ。

 隠れ場所が多くて何ともやりづらい――と思いつつ、不意に急角度で進路を変更し、薮を長剣で斬り払う。

 渾身こんしんの一撃、のつもりだったが、相手が人間との意識はあったかもしれない。

 それで勢いが弱まったか、薮の半ばあたりでコチラの刃が止まる。


 止まった、というか止められた。

 薮を刈っていった長剣に、硬質な何かがカチ合っている。

 圧を強めるか、一旦引くか――短い逡巡しゅんじゅんが終わらない内に、薮の中身が動く気配。

 引くのを選んで、トトッと二歩ほど素早く退がる。

 すると、その動きに合わせて薮の中から人影が現れた。

 見覚えがあるのに、昨日会った時とは別人のような印象の男。

 

貴方あなた、は」


 絶句していると、相手はグニャリとゆがんだ笑顔を浮かべた。

 同時に沸騰ふっとうした殺気を向けられて、反射的に長剣を構え直す。

 その剣身に、横からの衝撃――手斧が猛スピードで繰り出された。

 喉笛のどぶえを狙った一閃いっせんを半ば偶然に弾くが、勢いを殺しきれずフラつく。

 かさず追撃が来たので、地面に転がって退避し相手の間合いから外れる。

 

「ほぅ……」


 老人は安全策を選んだようで、更なる追撃はない。

 感嘆かんたんなのか疲れただけか、判別のつかない吐息といきを漏らしている。

 見た目からは想像できない、年齢を無視した運動能力だ。

 老人はランプに火を入れると、手近な枝から吊るす。

 焦点が合わず、にごっているようだった目は、真っ直ぐ私を見据えていた。

 村での様子は草臥くたびれ果てた男でしかなかったのに、変貌へんぼうがすぎる。


 服は昨日と似たような襤褸ぼろだが、その上に濃紺のマントを羽織っていた。

 マントには網が張られ、そこに木の葉や枯れ枝がちりばめられている。

 森林で隠密行動するための擬態を、拾いものだけで仕上げたらしい。

 こんなのまで用意するとは、特殊状況下での戦闘経験が豊富なのだろう。

 時間稼ぎと情報収集を目的に、とりあえず対話を試みるとするか。


「求綻者、だったのか」

「まぁ、そうだ……とっくの昔に引退してたんだが」

「では、何故こんな馬鹿な真似を」

「ワシにもまぁ、どうにもならん事情があってな」


 引退した元求綻者が、犯罪行為に手を染める。

 その理由についてはもう、考えるまでもない。


抗訝協会こうげんきょうかいからの援助は、それなりに手厚いと聞いているが?」

「まぁ、悪くないだろうよ。苦労に見合うかはさていて」


 求綻者が求綻者でなくなる理由は色々とあるが、主なものは三つ。

 第一は検訝けんげん中のアクシデントによる当人やレゾナの死亡や失踪。

 第二は任務を放棄しての出奔しゅっぽんや犯罪行為に関与した結果の除名。

 第三が病気や怪我、年齢による衰えなどでの止むを得ない引退。

 第二のケースは論外だが、でなければ元求綻者への保障は用意されている。

 

 内容は多岐たきに渡るが、最も重要なのは年金の支給だ。

 現役時代の実績によって支給額は変動するものの、たとえ就任一ヶ月で引退に追い込まれたとしても、食うに困らない程度は出るらしい。

 年金で足りなかったとしても、協会は融資や就業の相談にも応じている。

 なのにこうなってるのは何故か、となればギャンブルなどのロクでもない借金という線が濃厚だ。


「どんな報酬ほうしゅうを用意されたのかね」

「報酬、報酬ね。そんなモンは……いや、話は後にしよう、嬢ちゃん」

「後回しにして、何も喋れなくなると困るんだが」

「へっへっへ……心配いらねぇ、手足もいでも頭は残してやる」


 軽く煽ってみると、余裕で煽り返してくる。

 本気かハッタリか不明だが、胆力はかなりのものだ。


「随分と自信があるようだな、御老体ごろうたい

「ふはっ、威勢がいいのぅ」


 長剣を構えながら腰を落とすと、老求綻者も合わせて動く。

 ベルトに下げたケースから、もう一挺いっちょうの手斧が素早く抜かれた。

 二挺とも同じ意匠いしょうで、湾曲わんきょくした刃が柄の端まで届きそうな、半月に似た奇妙な形をしている。

 一触即発の空気の中、老人から視線を外さずに問う。


「名前を、聞いておこうか」

「ワシの名はバーブ……かつては【微細裂みじんぎり】とも呼ばれていた」


 【習士しゅうし】から始まる求綻者のランクは、解訝かいげんの功績が認められると【新士しんし】【練士れんし】【達士たっし】【傑士けっし】と上がり、給金が増えたり請けられる検訝の制限が解除されたりする。

 それとは別に、協会が授与する特殊な称号――【異名いみょう】があった。


 傑出した能力、比類ない特技、卓越した貢献、赫々かくかくたる勲功。

 それらを認められた者に贈られる、無形の勲章が異名だ。

 百年に及ぶ求綻の歴史でも、叙勲者は未だ五十を超えないと聞いている。


「……異名持ちと会うのは初めてだ」

「ワシも名乗るなぁ数十年ぶり、だな」


 運動能力と戦闘能力は、出会い頭に斬り結んで大体は理解できた。

 このバーブは、異名持ちに相応しい技量の持ち主だ。

 現時点で弱点になりそうなのは、加齢でおとろえている体力ぐらいか。


「げぅぎゃっ、ごぁぎゃぎゃうっ!」


 閑寂猴しじまざるの怒号が響き渡る。

 それを合図に、私とバーブは互いに一歩を踏み出した。


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