「お天気係で十分よ」と神殿を出された聖女の私、旅先の結婚式で祈ったら、雨の国の王様に求婚されました ~王都が四十日雨でも、もう祈りません~
旅する書斎(☆ほしい)
第1話 お天気係、傘売りの荷車で王都を出る
聖女の役は、今日でおしまいだそうだ。
「あなたなんか、お天気係で十分よ」
大広間の真ん中で、マリベルが口に手を当てて笑った。
金色の巻き毛がふわふわ揺れる。白い服には金の刺繍。今朝できあがったばかりの、新しい聖女の服だそうだ。
私はその前に立たされていた。
ついさっき、神官長に言われたばかりだ。明日からは侯爵家のマリベルが聖女をやる。
ここだけの話、そのとき私の頭にあったのは、朝ご飯のことだった。
夜明け前に起きたのに、まだパンを一口も食べていない。屋根から下りたところで神官に呼び止められて、そのまま大広間へ連れてこられたのだ。
「聞いているのか、セレナ」
「聞いてます。お腹が鳴りそうなだけです」
神官長が、じろりと私をにらんだ。後ろに並んだ神官たちが、くすくす笑う。
マリベルが一歩前に出た。胸の前で手を組んで、目を閉じる。
ぱっと、光の粒が舞った。
金色の小さな粒が、天井の窓から入る日差しの中でくるくる回る。神官たちが、うっとりと見上げる。
「きれいでしょう?」
マリベルが片目を開けて、私を見た。
「あなたの祈りなんて、屋根の上で日向ぼっこしてるだけじゃない」
「日向ぼっこ、気持ちいいよ」
「……そういうところよ」
マリベルの頬がちょっと赤くなった。怒ったらしい。
それから、私の服を指さした。
「その白い服、置いていきなさいよ。神殿の物でしょう」
「うん。そうする」
「昼までに出ていけ」
神官長が言った。
「神殿を出た者に、給金は出せん。今月の分もだ」
「え、今月の分も?」
「決まりだ」
決まりなら仕方ない。私は大広間を出た。
扉が閉まる前に、マリベルの笑い声がもう一度聞こえた。
部屋に戻って、白い服を脱いだ。
十三で神殿に入ってから五年、毎日着ていた服だ。きれいにたたんで、寝台の上に置く。
衣装箱の底から、昔着てきた生成りのワンピースを引っぱり出した。袖が短い。腕を伸ばすと、手首がまるごと出る。
その上に茶色のマントをはおって、財布をのぞいた。
銅貨が七枚。
行く当ては、どこにもない。
「ま、いっか」
声に出したら、本当にそんな気がしてきた。
神殿の裏口から出て、下町の通りを北へ歩く。
どこの家の窓にも、洗濯物がずらりと干してある。シーツも、子どもの肌着も、おじさんの靴下も、日に当たってぱりっと乾いていた。
私はこの下町の生まれだ。十三までは、あそこの路地で泥だらけになって遊んでいた。
八百屋のおじさんが、店先で居眠りをしている。日よけの布の下で、口を開けて。
この町の人は、傘なんて持っていない。王都じゃ、雨なんてずっと降っていないから。
王都の北門に着いたのは、昼の鐘が鳴る少し前だった。
門の外に、ロバの荷車が一台止まっている。
荷台には傘の束が積んであった。数えたら八つ。一束に十本ずつ、きっちり縛ってある。
荷車の横で、赤茶色の髪を布でまとめた女の人が、ロバの鼻をなでていた。そばかすの散った頬をふくらませて、ぶつぶつ言っている。
「王都じゃ、傘が一本も売れなかったんだよ。三か月で、一本もだよ」
相手はロバ。ロバは知らん顔で草をかじっていた。
「北に行くの?」
私が声をかけると、女の人はびくっとして振り向いた。背が高い。私より頭一つぶん上から、じろりと見下ろしてくる。
「誰、あんた」
「乗せて。代わりに、雨の来る時刻を教える」
女の人は私の顔を見て、それから空を見上げた。
真っ青だった。雲ひとつない。
女の人は、鼻の頭にしわを寄せて笑った。
「雨? この空で?」
「ここの上だけだよ、晴れてるのは」
「何言ってんの。王都はずっと晴れてんの。傘屋の娘が言うんだから間違いない」
「だから傘が売れなかったんでしょ」
「うるさいな!」
怒鳴ったあとで、女の人は腕を組んだ。太い腕だった。荷物を毎日積み下ろししている腕だ。
「……乗るなら、荷台の隅ね。傘の上に座ったら放り出すから」
「ありがと、傘売りさん」
「その呼び方、やめてくんない?」
「じゃあ名前は?」
「晴れたら教える」
ガラガラと車輪の音がした。
白い馬車が一台、門の前で止まる。金の飾りのついた窓が開いて、巻き毛の頭がのぞいた。
「まあ。本当に出ていくのね」
マリベルだった。わざわざ見物に来たらしい。
隣に座った侍女が、おずおずと口を開いた。
「マリベル様。あの、明日から雨になりませんか。お天気係がいなくなったら──」
「雨なんて、私が祈れば止むわ」
マリベルは扇で口元を隠して、ころころ笑った。
「荷車がお似合いよ。どこへでも行きなさいな」
私は返事をしないで、荷台の隅に上がった。傘の束の横に膝を抱えて座る。
傘売りさんが手綱を引いた。ロバがのそのそ歩き出す。
北門をくぐって、坂を下りきったところで、私は振り返った。
王都の上だけが、丸く青い。
そのまわりの空は、どこを見ても低い灰色の雲だった。
王都が晴れ続きだったのは、私が夜明けに神殿の屋根で祈っていたからだ。
今朝も祈った。
屋根に上がって、まず空に小さく手を振る。それから手を組む。いつもの順番だ。
祈り終わって下りようとしたら、向かいのパン屋の二階の窓が開いて、小さな男の子が手を振ってきた。私も振り返した。
あの子、明日の朝も窓を開けるのかな。
「ねえ」
傘売りさんが、手綱を持ったまま首だけこっちに向けた。
「なんで王都の上だけ、あんなに青いの」
「お腹すいた」
「訊いてんだけど」
「朝から何も食べてないの」
傘売りさんは大きなため息をついて、前を向いた。
ロバの足は遅い。荷車はごとごと揺れて、そのたびにお尻が板にぶつかった。
王都の青い空が、後ろでだんだん小さくなる。頭の上はもう灰色の雲だ。風が冷たくなってきて、私はマントの前をかき合わせた。
袖の短いワンピースは、手首がすうすうする。
昼過ぎに、街道沿いの食堂の前で荷車が止まった。
木の看板に、豆の絵が描いてある。中から湯気と、玉ねぎを炒める匂いが流れてきた。
店の中には、旅人が十人ほどいた。荷車を引いてきた行商人や、背中に大きな袋をしょった若い男の人たち。
入り口の近くに座っていた太ったおじさんが、外の荷車をあごで指して笑った。
「おいおい、傘売りかよ。この街道で傘なんか売れるもんか」
まわりの男の人たちも、げらげら笑う。
傘売りさんは、耳まで赤くなって、いちばん奥の席にどすんと座った。
「豆のスープ……三杯頼んでいい?」
「は? 三杯?」
「お金はないの」
「いばって言うな!」
文句を言いながら、傘売りさんは銅貨を数えて店の人に渡してくれた。根は親切な人なのだ。
運ばれてきたスープは、白い豆と玉ねぎと、塩漬けの豚の脂を煮こんだものだった。
木のさじですくって、口に入れる。熱い。はふはふ言いながら噛むと、豆が舌の上でほろっと崩れた。塩気のあとから、玉ねぎの甘さがじわっと広がる。
「おいしい……」
一杯目は、気づいたら空っぽだった。
二杯目も、すぐに底が見える。
三杯目の器を引き寄せたとき、傘売りさんの顔が青くなっていた。
「三杯で銅貨九枚……あたしの昼ご飯が一杯で済んでるのに」
「祈った日はお腹が空くの。今朝、祈ったから」
「祈ったって、何を」
答えようとして、私はさじを置いた。
窓の外を見る。街道の向こうの空が、さっきより少し低い。風の匂いが変わった。湿った土の匂いだ。
「あ、降る。お茶を一杯飲むあいだに」
「は?」
傘売りさんも窓の外を見て、鼻で笑った。
「曇ってるだけでしょ。傘屋の娘をなめないで。この雲は降らない」
「降るよ。傘、下ろしたほうがいい」
「あんたねえ──」
私は立ち上がった。三杯目は、あとで食べる。
店を飛び出して荷車に走り、傘の束を一つ肩にかついだ。重い。もう一つを反対の肩にかつぐ。もっと重い。
「ちょっ、何してんの! 勝手に触んな!」
「軒下に並べて! 早く!」
「なんであたしが命令されてんの!?」
傘売りさんが叫びながら追いかけてきた。
私はよろよろと食堂の軒下まで走って、束を下ろした。縄をほどいて、傘を一本ずつ壁に立てかける。傘売りさんも、ぶつぶつ言いながら残りの束を運んでくる。
四つめの束を下ろしたときだった。
ぽつ、と私の手の甲に水が落ちた。
ぽつ、ぽつ。
次の瞬間、ざあっと音がして、街道が白くかすんだ。
道を歩いていた旅人たちが、頭を抱えて走ってくる。荷馬車の御者も、行商のおばさんも、みんな食堂の軒下に飛びこんできた。
びしょ濡れの男の人が、壁に並んだ傘を見て目を丸くした。
「おい、傘があるじゃねえか! 一本くれ!」
「あたしにも!」
「こっちは二本だ、連れがいる!」
傘売りさんは、軒下で棒みたいに突っ立っていた。
それから、急に我に返ったように声を張り上げた。
「一本、銀貨一枚! 骨は丈夫だよ、王都の傘屋の品だからね!」
傘は、次から次へと売れる。
さっき笑っていた太ったおじさんも、ずぶ濡れの頭で列のいちばん後ろに並んでいた。傘を受け取ると、目をそらしたまま銀貨を置いて、そそくさと店の中に戻った。
雨は、私がスープの三杯目をゆっくり食べ終わるまで降り続いた。
雨がやんで、旅人たちがいなくなってから、傘売りさんは軒下で銀貨を数え始めた。
一枚、二枚、三枚。指でつまんで、膝の上に積み上げる。
「……二十三」
首を傾げて、もう一度最初から数える。
「……二十五?」
また首を傾げる。
「二十四本だよ。三杯目を食べながら数えてた」
私が言うと、傘売りさんは銀貨を一枚つまみ上げて、がりっとかじった。
本物だった。歯の跡がついただけだ。
「……あんた、何者?」
「お天気係」
「なにそれ」
「神殿で、ずっとそう呼ばれてたの」
「なんで雨が来るのが分かったのさ」
「屋根で空を見てたから」
傘売りさんは、かじった銀貨と私の顔を、かわるがわる見た。
それから、銀貨を全部まとめて財布にしまって、立ち上がった。
「……三杯目の分、まけといてあげる」
「最初からおごりじゃなかったの?」
「今まけたの!」
夕方、川沿いの村に着いた。
荷車がちょうど村の入り口に入ったところで、また雨が降り出した。今度のは細くて、しつこい雨だ。
川の水が、土手のすぐ下まで来ていた。茶色くにごって、ごうごう音を立てている。
家の軒先には、しおれた花かごがいくつも吊るしてあった。白い花と黄色い花。たぶん、お祝いの飾りだ。花びらが雨を吸って、みんな下を向いている。
私の髪は、雨の日になるとふくらむ。宿の前で荷車を降りたときには、もう頭が倍くらいある。
「なにその頭」
「雨のせい」
村に一軒だけある宿は、一階が食堂だ。
中に入ると、村の人たちが長い机を囲んで座っていた。真ん中にいる白いひげのおじいさんが、パイプをふかしている。まわりの顔がみんなその人を見ている。村長だ。
「四回目も延ばす。仕方なかろう」
村長がそう言うと、机のまわりから重いため息がもれた。
「明日の式は取りやめだ。ケーキも焼かんでいい。粉がもったいない」
食堂の隅の窓ぎわに、若い女の人が一人で座っていた。
膝の上に、白いレースのベールを抱えている。窓の外の雨を見たまま、ぴくりとも動かない。
宿のおかみさんが、小声で教えてくれた。
あの子は明日、お嫁に行くはずだった。式はもう三回、雨で延びている。明日で四回目になるところを、今また延ばすと決まったのだ。
「延ばさなくていいよ」
私が言うと、食堂中の顔がこっちを向いた。
「……誰だ、あんたは」
村長がパイプを口から離す。
傘売りさんが、私の後ろでぼそっと言った。
「拾ったの。北門で」
「お天気係です」
一応、目上の人なので丁寧に言った。
村長は私を上から下まで眺めた。生成りのワンピースと、ふくらんだ頭を見て、パイプの煙をふうっと吐く。
「ケーキ、焼いといたほうがいいよ」
「そんなに言うなら、今すぐ晴らしてみろ」
「祈るかどうかは、私が決める」
一拍おいて、村長が笑い出した。
「聖女ごっこか! はっはっは、こりゃいい」
机のまわりの人たちも、つられて笑った。
村長はパイプをくわえ直して、席を立つ。
「決まりは決まりだ。式は延ばす。今夜はもう寝ろ」
村の人たちが、ぞろぞろと食堂を出る。
食堂には、窓ぎわの花嫁と、宿のおかみさんと、私たち二人だけが残った。
傘売りさんが、おかみさんに宿代を払う。屋根裏の部屋を一つだけ。私の分まで払ってくれた。財布をしまう手つきが、昼より少しだけ軽かった。
食堂の壁には、白いドレスが一着掛けてある。花嫁のドレスだ。裾のあたりに、茶色い泥はねがぽつぽつ散っている。その下の桶には、しおれた花がぎゅうぎゅうに突っこんであった。
私は花嫁のそばまで歩いた。
近くで見ると、私と同じくらいの年の人だった。ベールのふちに、雨のしみが小さく一つついている。
「三回、延びたの」
花嫁が、窓の外を見たまま言った。
「三回とも、前の晩から降ってきて。今度こそって思ったのに……」
「そのベール、きれいだね」
「……おばあちゃんが編んでくれたの」
「じゃあ、濡らしちゃだめだね」
花嫁が、やっと私のほうを見た。目のふちが赤い。
私は、窓の外の空を見上げた。
雲は厚い。ほうっておいたら、明日も一日降る雨だ。
「明日の朝、晴れるよ」
花嫁は、ベールを抱えたまま二回まばたきをした。
後ろで、傘売りさんが大きく息を吐いた。
「あんたさあ。またそういうこと言って」
「傘売りさん」
「なに」
「夜明け前に起こして。高い所に登るから」
*
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