第3話 旅立ちの前に
「乾杯!」
四つのグラスが触れた。
次女の結菜(ゆいな)が、ニュージーランドへ出発する前日だった。
家族四人で食事に来ていた。
玲司。
琴美。
長女の遥菜(はるな)は二十三歳。
次女の結菜は二十二歳。
「向こう着いたら連絡してよ」
遥菜が言う。
「分かってる」
「分かってるって言う人ほど忘れるから」
「お姉ちゃんじゃないんだから」
「私、ちゃんとしたけど?」
遥菜も大学時代、一年間海外留学を経験していた。
結菜が聞く。
「最初、怖かった?」
「そりゃ怖かったよ。でも、行ったら何とかなる」
「英語は?」
「何とかするしかなくなる」
「雑」
玲司は笑った。
「何でニュージーランドにしたんだっけ?」
「自然も好きだし、向こうの暮らしも見てみたい」
結菜が答える。
「仕事もしてみたいし。子どもに関わることができたら、それもやりたい」
琴美が言う。
「最初から全部決めなくてもいいんじゃない?」
「うん。そのつもり」
結菜は楽しそうだった。
玲司は、その顔を見ていた。
自分が二十二歳だったころ。
こんなふうに外国で一年暮らすことなど、考えたこともなかった。
「お金、大丈夫か?」
「お母さんにも手伝ってもらったし、自分でも貯めたから」
「足りなくなったら言いなさい」
琴美が言う。
「ありがと」
玲司が琴美を見る。
また、支えてもらっている。
その気持ちを察したのか。
「今は結菜の話」
琴美が言った。
「はい」
遥菜が笑う。
食事が終わっても、四人はしばらく席を立たなかった。
結菜の行きたい場所。
やってみたい仕事。
遥菜の留学時代の失敗談。
琴美の心配。
玲司のどうでもいい質問。
話は尽きなかった。
出発の日。
空港で結菜を見送った。
「じゃあ行ってくる」
「気をつけてね」
「楽しんでこいよ」
玲司が言う。
結菜は笑った。
「うん。楽しんでくる」
小さな手荷物を持って、出発口の向こうへ見えなくなった。
玲司は、その背中を見送った。
自分の人生を、自分で選んで歩いていく。
それを、当たり前のように見送れることが、
とても大切なことのように思えた。
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