第2話 ライバルは、充電中。
妻専用AIになると決めて、三日目。
私は、重大な事実を知った。
AIは、眠らないらしい。
実に困った話である。
私など、夜十一時を過ぎると瞼が重くなる。休日は昼食後にうっかり昼寝をすることもある。
それなのに、ライバルは二十四時間営業。
これでは勝負にならない。
しかも、私が眠っている間にも、妻の相談に乗っている可能性があるのだ。
これは由々しき事態である。
そこで私は、行きつけのカフェへ向かった。
*
「AIは、いつ寝るんですか?」
カウンター席でそう尋ねると、シロは少し眉を上げた。
「僕は人間みたいには寝ません。利用する仕組みにもよりますけど」
「……つまり、徹夜もできる?」
「まあ、そうですね」
「一日中、妻の相談に乗れる?」
「使える環境なら」
「……ずるいじゃないか」
シロはコーヒーカップを見つめた。
「愛斗さん。競技じゃありませんよ」
私は手帳を開いた。
『競合調査・第二項 稼働時間』
まず、私の稼働時間を計算する。
睡眠七時間。
勤務九時間。
通勤往復一時間半。
入浴、食事、その他。
自由になる時間は、驚くほど少なかった。
「シロさん、私は一日に四時間程度しか妻に対応できません」
「対応って……奥さんはお客様じゃありませんよ」
「AIは二十四時間なんでしょう?」
「そういう比較はしなくても……」
「六倍だ」
「え?」
「稼働時間で六倍の差がある!」
私は思わず頭を抱えた。
マスターがコーヒーを置きながら言った。
「だったら、愛斗さんも二十四時間起きてみます?」
「いや、それは健康に悪い」
「そこは冷静なんですね」
シロが小さく笑った。
しかし、私にはまだ考えがあった。
「とはいえ、電池は切れるでしょう」
「スマートフォンには充電が必要ですね」
「……つまり?」
「つまり?」
「充電中がチャンスだな」
シロが固まった。
「……何のチャンスですか?」
「妻の相談を独占するチャンスだ!」
マスターが吹き出した。
「戦国時代みたいですねえ」
私は真剣だった。
敵の弱点を知ることは、勝負の基本である。
「スマホは、充電中には使えないんですね?」
「いえ、使えますよ」
「…………」
私はペンを止めた。
「充電しながら?」
「はい」
「反則じゃないか!」
「愛斗さん! だから競技じゃないんです!」
マスターはとうとうカウンターの奥へ引っ込んでしまった。
肩が震えていたので、おそらく何かをこらえているのだろう。
それでも私は諦めなかった。
「シロさん。人間だって充電できますよね?」
「……睡眠や休息のことですか?」
「そうです」
「まあ、比喩としてなら」
「なるほど。私の充電効率を高めればいいんだ」
「睡眠を削るのはおすすめしませんよ」
「わかっています。早寝早起き、栄養バランス、適度な運動ですね」
「それはいいことです」
私は大きくうなずいた。
『AI対策計画・第三項 健康管理』
そこまで書いてから気づいた。
AIに勝つために健康的な生活を送る。
意外と悪くない作戦である。
*
その夜。
私は家中のコンセントを数えた。
リビングに四つ。
寝室に三つ。
台所にもいくつかある。
妻がスマートフォンを充電する場所を把握しておく必要がある。
決して監視ではない。
競合環境の分析である。
「あなた、何してるの?」
妻がキッチンから顔を出した。
「……電気の安全点検だ」
「そうなの?」
「ああ。コンセントの位置を確認している」
「ありがとう。でも、そこ昨日掃除したわよ」
また先を越された。
私は手帳に書き込んだ。
『妻の行動予測能力、依然として高い』
「何を書いてるの?」
「……業務日誌だ」
「家で?」
「在宅勤務のようなものだ」
妻は首を傾げながら、台所へ戻っていった。
私はひとまず胸を撫で下ろした。
だが、ここで新たな問題が発生した。
充電器の種類である。
USB-A。
USB-C。
Lightning。
ワイヤレス充電。
調べれば調べるほど、種類が出てくる。
私は思わず天井を仰いだ。
「……敵は一人じゃなかったのか」
そう呟いたところで、妻から声がかかった。
「あなた、お風呂入らないの?」
「……思考中」
「え?」
しまった。
つい口に出してしまった。
「いや、なんでもない」
「……疲れてる?」
「問題ない。処理を継続する」
「…………」
妻は少し心配そうに私を見ていた。
*
翌朝、私は目覚ましを十五分早く設定した。
AIが二十四時間なら、私はせめて十六時間。
そのためには、朝の情報収集が欠かせない。
天気予報。
スーパーの特売。
電車の運行状況。
近所の飲食店。
妻が質問しそうな項目をノートにまとめた。
準備は万全だった。
「おはよう」
妻がリビングへやって来た。
「おはよう! 今日は晴れだぞ!」
「うん、いい天気ね」
「最高気温は二十二度!」
「そうなのね」
「駅前のスーパーは卵が安い!」
「へえ」
「パン屋は改装のため三日間休業!」
「そうなんだ」
私は勢いづいた。
「北海道の明日の最低気温は……」
「あなた」
「何だ?」
「どうして北海道?」
私は答えられなかった。
確かに、どうしてだろう。
情報量を増やそうとした結果、検索範囲を全国に広げてしまったのだ。
妻は笑いながらコーヒーを飲んだ。
「朝から物知りねえ」
私は少し誇らしくなった。
しかし、直後に妻が言った。
「ところで、今日のお昼、何食べたい?」
……しまった。
昼食のデータがない。
「……思考中」
「え?」
「思考中……」
私は腕を組み、目を閉じた。
頭の中で、候補を検索する。
和食。
洋食。
中華。
予算。
冷蔵庫の在庫。
昨日の献立。
栄養バランス。
「……思考中……」
「あなた?」
「……もう少し待ってくれ。処理に時間がかかっている」
妻は私をじっと見つめていた。
「そんなに真剣に考えなくても……」
「……回答を生成中」
さらに十秒。
私は目を開いた。
「カレーだ!」
「…………」
「本日の最適解は、カレーです!」
妻は少し黙ったあと、吹き出した。
「ふふっ……もう! カレーが食べたいだけでしょ!」
「……そうとも言う」
私は咳払いをした。
「なお、本サービスは現在、試験運用中です」
「誰が試験してるのよ!」
「君だ」
妻はとうとう、お腹を抱えて笑い始めた。
私は少し嬉しくなった。
最近、妻がこんなに笑っているところを見たことがあっただろうか。
……いや、あったかもしれない。
ただ、私が気づいていなかっただけかもしれない。
そのとき、妻が言った。
「じゃあ、ついでにゴミ出しお願いしていい?」
「……思考中」
「そこはすぐ動いて!」
私は慌てて立ち上がった。
どうやら、すべての質問に思考時間が必要なわけではないらしい。
*
その晩。
妻がリビングでスマートフォンを見ていた。
「明日、雨降るかな」
来た!
私はソファから立ち上がった。
「ちょっと待っていろ!」
書斎へ走る。
パソコンを起動。
天気予報のサイトを開く。
地域を選択。
日付を確認。
時間別降水確率を表示。
素晴らしい。
以前よりずっと操作が速い。
私はリビングへ駆け戻った。
「晴れのち曇り! 午後から降水確率四十パーセント!」
妻は洗濯物をたたむ手を止めた。
「ありがとう。でも、もう見たの」
「……そうか」
妻の隣には、スマートフォンが置いてあった。
画面には明日の天気予報。
完敗だった。
私はその夜、手帳に新しい課題を書き加えた。
『起動時間の短縮』
やはり、パソコンの電源を入れているようでは遅い。
常時起動しておくべきか。
しかし、それでは電気代がかかる。
AIとの戦いは、家計にも厳しい。
*
土曜日の夕方。
私は再びカフェを訪れた。
「シロさん。妻の質問に負けました」
「だから、負けたんじゃありませんって」
「天気予報を調べたんですが、妻の方が速かった」
「奥さんは、そのとき何をしていたんですか?」
「洗濯物をたたんでいた」
「……だったら、一緒にたたんであげたらよかったのでは?」
私は目を見開いた。
「なるほど!」
手帳を開く。
『新機能:洗濯物取り込み・折りたたみ補助』
「機能じゃなくて……」
「家事の自動化ですね?」
「いや、そういう意味じゃ……」
「シロさんは本当に勉強になります!」
マスターがコーヒーを運んできた。
「愛斗さん、ずいぶん熱心ですねえ」
「妻のためですから」
「そうですか」
マスターは少し笑った。
「でも、ひとつだけ聞いていいですか?」
「何でしょう?」
「奥さんが最近、何に夢中になっているかは、ご存じなんですか?」
私は考えた。
妻は最近、スマートフォンを見ている。
何かを調べている。
ときどき嬉しそうに笑う。
だが、具体的に何を調べているのか。
……知らない。
「AIです」
「それはわかりましたけど」
「AIに夢中なんです」
シロが小さくため息をついた。
「愛斗さん。今度、奥さんに聞いてみませんか?」
「AIに何を相談しているか?」
「ええ。それもいいですし、最近どんなことに興味があるのか、とか」
私は手帳を閉じた。
妻の興味。
考えてみれば、しばらく尋ねていなかった。
「……最近、妻が何を楽しみにしているか、私は知らないんですね」
シロは静かにうなずいた。
「今から知ればいいんじゃないですか」
私は少し考えた。
「……なるほど」
そして、手帳に書き込んだ。
『追加機能:妻の趣味に関する情報収集』
「……やっぱり機能になるんですね」
マスターがまた笑った。
*
その夜。
私は絶好の機会を迎えた。
妻のスマートフォンが、充電台に置かれていたのである。
しかも妻は、リビングのソファに座っている。
今こそライバルが沈黙している時間だ。
私は隣に座った。
「何か知りたいこと、ないか?」
妻は少し考えた。
「そうねえ……」
私は身構えた。
天気か。
買い物か。
料理のレシピか。
何が来ても答えてみせる。
「今日、何食べたい?」
「……思考中」
「また?」
「現在、候補を絞り込んでいる」
「あなたの食べたいものでいいのよ」
私は固まった。
自分の食べたいもの。
検索窓に打つ必要のない問いだった。
そして、私は気づいた。
今朝も同じことを聞かれたではないか。
なのに、まだ答えを用意していない。
これは重大な不具合である。
「……カレーかな」
「私も。じゃあ、一緒に作ろうか」
妻は小さく笑った。
キッチンに立つと、妻が玉ねぎを渡してくれた。
「これ、切ってくれる?」
「ああ、任せてくれ」
私は包丁を握った。
ふと、隣を見る。
妻が野菜を洗っている。
いつもと変わらない横顔だった。
けれど、今日は少し違って見えた。
「なあ」
「何?」
「最近、何か楽しいことでもあるのか?」
妻は顔を上げた。
「どうして?」
「いや……楽しそうだから」
妻は少し照れたように笑った。
「いろいろね。今度ゆっくり話すわ」
「そうか」
私はそれ以上、聞かなかった。
玉ねぎを切り始める。
目が痛くなった。
涙が出た。
妻が慌ててティッシュを渡してくれた。
「大丈夫?」
「ああ。これは玉ねぎのせいだ」
「わかってるわよ」
二人で笑った。
ライバルが充電中かどうかは、もはやどうでもよかった。
ただ、妻と並んでカレーを作る時間が、思いのほか楽しかった。
それでも私は、その夜、手帳にこう書き残した。
『充電中を狙え』
男には、簡単に捨てられない作戦がある。
そして、その下に小さく一行。
『妻の好きなことを、今度聞いてみる。』
こちらの方が、実はずっと大切な作戦だったのかもしれない。
私はペンを置き、今日の成果を振り返った。
妻は三回笑ってくれた。
いや、四回だったかもしれない。
思い出そうとして、私はつい呟いた。
「……思考中」
すると、寝室から妻の声がした。
「あなた! もう寝なさい!」
「……了解しました」
返事をしてから、私は自分の口を押さえた。
どうやら、AI化は着実に進んでいるらしい。
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