応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • イチョウの木への応援コメント

    拝読いたしました。

    長崎の町並みが目に浮かぶようですね。坂が多く、路面電車が通っている。
    神経に変調をきたした主人公の静かな日常が、制御できない衝動で自分と周囲を脅かす。劇作家としての経歴と病人となった己との落差にいつまでも戸惑っているかに思えました。
    誰もが同じ症状に陥る可能性があり、平坦な苦しみを抱えて日々を生きるのは辛いものですね。

    作者からの返信

    ニノ前はじめ様、お読みいただきありがとうございました。この作品はひたすら正しさを揺さぶり続けることに注力しました。弱者であることを己の正当化に援用しないこと。醜さをまず曝け出すこと。読者と痛みを共有するために書き手が負うべき負担を一切減らさないという姿勢で書きました。決して読んで心地よいものではないですが、そういうものをちゃんと書いていかないといけないと思いました。複雑な気持ちになられたかと思いますが、真摯に向き合っていただき、ありがとうございました。

  • イチョウの木への応援コメント

    コメント失礼します。
    楠本ラリアットさまの作品の中でも、とても印象に残る作品でした。

    ひとつひとつのシーンが映像的で。
    イチョウ、太極拳、盲目の人の帽子を拾う、美濃焼を投げる、目撃者が折りたたみの携帯を開く、警察官に取り押さえられる。
    どれも、目の前に見えるようでした。

    読んでいて、思い出したことが3つありました。
    ひとつは「山月記」です。

    もうひとつが
    『怪物はささやく』原書~A Monster Calls
    というお話です。

    こちらは病気の母を持つ少年の話です。少年の部屋の窓からはイチイの大木が見えるのですが、それが夜な夜な怪物となって彼の夢に現れる。イチイの木は病を治す、といわれているのにも関わらず。

    児童書なので、昔頑張って原書で読んだのを思い出しました。

    最後に思い出したのが、義父のことで。

    難病指定されている病気の為に長く、悪くもない足が痛くて痛くて耐えられない、という症状に苦しめられていました。
    飲みすぎるので、義母はあちこちに薬を隠していました。義父は晩年、薬の副作用で太って丸々していました。亡くなってから薬を整理したら、デパスが大量に出てきて。全部袋に詰めて捨てたのを思い出しました。

    なんの話だ。
    すみません、まだ余韻の中にいて。

    主人公が、縋るように自分の真っ当なところを数え上げるじゃないですか。

    きちんとパジャマを畳む、投げた茶碗を丁寧に包む、引越した隣人を思いやる、とか。

    そういうひとつひとつの描写が、悲しいようなやるせない気持ちになりました。

    素晴らしい作品だと思います。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    当たり障りない物語、安易な救済や癒し、そういう作品はたくさんあって、別にいろいろあって構わないのですけど、僕はそういうの書けないので、では作品の中で何を核に据えるかと考えたときに、自分の中の弱さ、醜さをまず書くべきで、物語や技巧は二の次でいいという結論に至りました。この作品だと、苦しんでいる人間を、苦しんでいるという理由だけで正しい人間にしないこと。そういえば『怪物はささやく』も少年が自分の暗部と向き合う物語でしたがあちらはエンタメとしてちゃんと回収されてました。この作品はそれらを全部拒絶してるので、読んでくれる人自体が貴重です。ありがとうございました。


  • 編集済

    イチョウの木への応援コメント

    普通は書かれないところまで書き込まれた、詳細なカルテを拝読した気分になりました(言葉選びが難しいのですが、褒めています)。
    自分も長らくステロイドにお世話になっていますが、こんな副作用がある方もいるのですね。
    全く同じ体験は何一つとしてしたことがありませんが、なぜだか共感しかできない作品でした。
    周りにいる内心見下したい人(と読みました)と自分が同じ立場にいる惨めさ、自分の方が「おかしい人」になっていると認めざるを得ない惨めさが全編通して描かれているような気がしました。
    その認められなさの程度もまた病的というか、主人公の性格によるものだけではないように思います。
    でも、それを単に病的だと切り捨てられないのは、その感情に私にも心当たりがあるからなのだろうなと思いました。

    個人的な捉え方をつらつらと書いてしまいましたが、間違っていたらすみません。
    とても面白かったです。

    作者からの返信

    このたびはこのテクストに真摯に向き合っていただきありがとうございました。あまりこういう作品が好まれないのを承知で覚悟して書いたので、伽夜(かや)様の読解と分析の鋭さにこちらも緊張しました。書き手として心掛けたのは病気や絶望を激しく描くことではなく、苦しんでいる人間を、苦しんでいるという理由だけで正しい人間にしないことでした。主人公は傷つけられている。同時に、他人を傷つける視線を持っている。他者の身体に触れ、自分の正しさを揺さぶられる。しかし、それによって立派な人間に変わるわけではない。学びもしない。最後に救済を与えられない。これで多くの読者が忌避するのはわかっていました。それらの犠牲を払ってでも追求すべき問いを手放さないこと。つまり自分が苦しんでいることを、他人を裁く権利に変えてしまう人間を、どこまで書けるか。うまくできたかどうかはわかりませんが、これからもそれを追求していきたいです。