武装法人二階堂商会番外篇 灼熱勝負 ― オルテリアの爆熱サウナ

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灼熱勝負 ― オルテリアの爆熱サウナ


 炭鉱都市オルテリア。


 山脈の麓に広がるこの街では、今日も鉱山から運ばれてきた鉱石を積んだ荷車が行き交っている。そんな土地には、地下の熱脈を利用した温泉がいくつも湧いていた。


 そして――。


「良い温泉があるんだ。寄っていくかい?」


 珍しくミルザがそんな提案を口にした。武装法人二階堂商会の一行は思わず顔を見合わせる。


「温泉ですか?」


 リュシアが眼鏡を押し上げる。


「温泉!? 行く行く!!」


 真っ先に飛びついたのはミナだった。


「旅の疲れも取れそうでござるな」


 ルーチェも賛成する。 


 ミナはさっそく立ち上がった。 ルーチェもすっかり湯上がりの気分になっていた。 リュシアまで小さく頷いたところで、行き先は決まった。


 一行はそのまま、オルテリアでも評判の温泉施設へ向かった。


 ◇


「はぁぁぁぁぁ……」


 女湯。 広々とした岩風呂に肩まで浸かったミナが、身体の力を抜いて長く息を吐いた。



「生き返るぅ……」

「旅の疲労回復には最適ですね」


 リュシアも湯の心地よさに表情を緩めている。

 隣ではルーチェが首まで湯に沈み、


「極楽でござる……」


 と完全に骨抜き状態である。セリナも気持ち良さそうに湯へ浸かっている。

 その隣でミルザだけは湯船の縁に背を預け、周囲を眺めていた。


「温泉もいいが……」


 そう言ってミルザが親指で背後を示した。

 一同が振り返る。そこには木製の重厚な扉。

 そして、


【オルテリア・サウナ】


 の文字。


「オルテリア名物、サウナってやつだ」

「サウナ?」


 聞き慣れない単語にミナが首を傾げる。


 ミルザは軽く説明した。


「地下の地熱を利用した蒸気室だよ。中で大量に汗を流して、そのあと冷たい地下水に浸かる。これを繰り返すと身体も精神も妙に冴えてくる」

「修行施設でござるか?」

「まあ、そんなもんだね」


 ミルザは意味ありげに笑った。


 ◇


 数分後。一同はオルテリア自慢のサウナへ足を踏み入れていた。

 扉が閉まった途端、熱気が全身を包み込んだ。


「っ!?」


 ミナの顔が引きつる。息を吸うだけで喉が熱くなり、肌にはたちまち汗が浮かんだ。


 熱い。とにかく熱い。


 白い蒸気が室内を満たし、息を吸うたびに熱が喉の奥まで入り込んでくる。壁際の焼けた石へ水が注がれるたび、蒸気が一気に膨らんだ。


 しかも――。


「ここ、一番高温の部屋なんだけどね」


 ミルザがさらりと言った。


「今なんて?」


 リュシアが聞き返す。


「オルテリアで一番熱い部屋」


 ミナ、リュシア、ルーチェ、セリナの視線が揃ってミルザへ向いた。


「……」

「……」

「……」


  誰も「勝負」とは口にしなかった。


 それでも、座る位置を変えた者はいない。


 ミナでさえ一度は周囲を見回したあと、意地になったように腰を下ろしていた。



 ◇


 それから数分が過ぎた。


「…………」


 ミナの額から汗が次々と流れ落ち、頬を伝って首筋へ消えていく。


「…………」


 リュシアは無言。


「…………」


 ミルザも無言。


「…………」


 セリナは既に顔色がおかしい。


 そして、さらに数分後。


「無理無理無理無理!!」


 とうとうミナが耐えきれず叫んだ。


「熱い熱い熱い熱い!!」


 勢いよく立ち上がる。


「もう限界!!」

「早くないかい?」

「いやいやいや!! こんなの耐えて何になるの!?」


 ミナは即座に反論した。


 確かに負けず嫌いではある。けれど、何にでも意地を張るほど付き合いがいいわけでもない。

 情報勝負なら燃える。潜入や宝探しなら、むしろ喜んで競う。

 けれど今やっているのは、ただ熱い部屋で我慢しているだけだった。

 それに人生を賭ける理由が見当たらない。


「じゃ、お先ー!」


 ミナは一目散に扉へ駆けていった。


 扉が閉まる。残り四名。


 ◇


 それからしばらくして、セリナの身身体がぐらりと揺れた。


「……ぅ」


 視界が霞む。頭がぼうっとする。


(む、無理だ……)


 セリナはもともと温泉の熱さが得意ではない。それでも師匠が平然としている姿を見て、ここまで耐えてきた。

 けれど、肌を包む熱気はとうに我慢できる範囲を越えていた。


 修行だと思って耐えていたが限界だった。


「セリナ殿?」


 ルーチェが気付く。セリナの身体が前へ倒れかけた。


「おっと」


 ルーチェが抱き留め、そのまま正直に告げた。



「某も限界でござる……」


 実に正直だった。そもそもルーチェは勝負への執着が薄い。

 競うより成長。勝つより守る。そういう人間である。


「撤退でござる」


 セリナを背負う。セリナは既に抵抗する余裕もない。


「し、師匠……」


「無理すんな」


 ミルザが苦笑した。

 ルーチェはふらふらしながら扉へ向かう。


「では御免!」


 退場。扉が閉まった。


 ◇


 静寂。蒸気が揺れる。


 残ったのは二人。

 リュシア。武装法人二階堂商会副社長。組織の頭脳として君臨する氷の参謀。


 対するはミルザ。国家を超えて名を轟かせる伝説級の武闘家。

 二人の視線が交差する。何も言わない。


 だが、理解していた。

 ここから先は――絶対に負けられない戦いであると。


 熱気に満ちた蒸気室で静かなる最終決戦の火蓋が切って落とされた。



 蒸気だけが揺れている。

 木壁を伝う汗の雫が、ぽたりと床へ落ちた。

 誰も喋らない。喋る余裕がない。熱気はさらに濃くなり、視界すら霞み始めていた。


 だが、リュシアもミルザも動かない。二人とも黙って座り続けていた。



「……一応言っておくけどさ」


 不意にミルザが口を開いた。

 汗で前髪が額に張り付いている。


「氷魔法で誤魔化すのは無しだぜ?」


 その言葉に、リュシアはミルザへ鋭い視線を向けた。


「当然ですわ」


 短い返答。


「そのような真似をして勝っても意味がありませんもの」

「言うねぇ」

「貴女こそ、気功や呼吸法で熱を無効化しているのではなくて?」


 再び二人の間に沈黙が戻った。


 肌から流れる汗は止まらず、呼吸をするたび熱気が肺へ入り込んでくる。


 座っているだけなのに、身体の芯まで火照っていた。


 ◇


(心頭滅却すれば火もまた涼し……)


 リュシアは必死に意識を切り替えた。熱さを考えず、呼吸だけに集中する。身体の感覚を遠ざけ、頭の中を空っぽにしていく。


(無理ですわ!!)


 熱いものは熱い。そこだけは、どうにもならなかった。


 額から流れる汗が床へ落ちる。呼吸も荒い。頬も赤い。いつもの冷静沈着な副社長の姿はどこにもなかった。


 もし今の姿をミナやガロウに見られたら、明日から何を言われるか分かったものではない。

 だから先に立ち上がることだけは出来なかった。


(ですが、ここで退くわけにはいきません……)


 武装法人二階堂商会。その副社長。


 漣司の右腕。自分が先に負けるなどその矜持が許さない。汗が滴る。呼吸が乱れる。

 

 それでも背筋だけは真っ直ぐだった。


 ◇


 一方、向かい側のミルザ。


「…………」


 いつものように口元へ笑みを浮かべている。

 余裕そうに見える。周囲から見れば完全に余裕そうだった。


(いやいやいや……)


 内心は悲鳴を上げていた。


(熱いってこれは……)


 滝のような汗。心拍数も上がっている。視界も少し揺れている。普通の人間ならとっくに脱出している環境だ。

 

 それでも平然として見えるのは長年の修行の成果だった。呼吸を乱さないが汗は流れているし、心臓も激しく脈打っている。それを顔に出さないよう、必死に耐えている。


(さすがは武装法人二階堂商会のナンバー2……)


 ミルザは内心で感心していた。

 リュシアの額から汗が流れ続けている。それでも背筋だけは崩れない。魔導士としての力を使えば楽になるはずなのに、意地だけで耐えているらしい。


 精神力だけで座り続けている。根性だけで耐えている。


(気合が違うねぇ……)


 武術も使わず、魔法にも頼らず、それでもリュシアは座り続けている。その姿を見てしまえば、ミルザも先に立ち上がるわけにはいかなかった。


(こりゃ厳しい展開になりそうだ)


 ミルザがそう考えている頃、 リュシアもまったく同じことを考えていた。


 ◇


 視線がぶつかる。


「…………」

「…………」


 無言。だが伝わる。

 互いに限界。互いに意地。互いに絶対に譲らない。蒸気が揺れる。汗が流れる。空気が震える。


 そして――、サウナ室の外ではミナ、ルーチェ、セリナの三人がガラス越しに中を覗いていた。


「まだやってる……」


 ミナが呟く。


「まだやっているでござる……」


 ルーチェも呟く。


「師匠もリュシアさんも、何と戦っているのでしょうか……」


 セリナだけは本気で理解出来なかった。その問いに答えられる者は誰もいない。


 三人の目の前で、リュシアとミルザは汗だくになりながら座り続けていた。


 どう見ても、もうサウナを楽しんでいる人間の姿ではなかった。



 ◇


 サウナ室の扉が開いた。


「ん?」


 ミルザが顔を上げる。 


 入ってきたのは、立派な髭を蓄えた筋骨隆々のドワーフだった。分厚い腕で巨大な木桶を抱え、その足取りは妙に堂々としている。


 ミルザの表情が固まった。


「げ……」


 リュシアが眉をひそめた。


「何ですの?」

「まずい」

「何がですの?」

「アイツだ」


 ミルザはドワーフを指差した。


「誰ですの」

「オルテリア名物、『爆熱ロウリュ職人』のガンツ爺だ」

「はぁ?」


 意味が分からない。だが、ミルザにはその正体が分かっていた。


「まさか今日担当なのか……?」


 全身に、嫌な汗が浮かんだ。


 ドワーフが豪快に笑う。


「おう!!」


 嫌な予感しかしない。ミルザの視線が木桶へ吸い寄せられた。


 リュシアは初めて見る。伝説の武闘家が本気で嫌そうな顔をしているところを。


「何なんですの?」

「逃げたい」

「逃げればよろしいでしょう」

「負けになるだろ」

「では耐えれば?」

「いや、アレは別問題なんだよ」


 ミルザの声が本気だった。


 ◇


 ガンツは巨大な石窯の前に立つ。


 そして木桶を掲げた。


「本日は特別営業!」


 嫌な予感が加速する。ミルザの額に、新しい汗が浮かんだ。


「地熱炉出力百二十パーセント!!」


 ミルザが天を仰いだ。


「ほ、本気かよ……」

「何ですの、その反応」

「死ぬぞ」

「大袈裟ですわ」

「いや死ぬ」


 リュシアが初めて不安になった。


 ◇

 ガンツが木桶を持ち上げる。


「では行くぞォォォ!!」


 大量の香草水が灼熱の岩へ注がれた。


 ゴォォォォォォォォォッ!!


 白い蒸気が一気に膨れ上がり、三人の視界を埋め尽くす。


「熱ッッッッッ!?」


 リュシアが叫んだ。

 熱風が一気に押し寄せ、リュシアの身体が思わず後ろへ引けた。

 まるで炎の壁。熱風が身体を殴り飛ばしてくる。


「ふははははは!!」


 ガンツは楽しそうに笑った。


「今日は調子が良いな!!」


 そしてさらにもう一杯。


「待て待て待て待て!!」


 今度はミルザが叫んだ。だが遅い。


 蒸気が室内を埋め尽くし、呼吸すら難しいほどの熱が押し寄せた。


 ◇


 その直後、サウナ室に警鐘が鳴り響いた。


 赤い魔導灯が点滅する。


「げ」


 ガンツが固まる。外から怒号が響いた。


「ガンツーーーッ!!」

「また出力上げ過ぎだ!!」

「熱脈が暴走してるぞ!!」

「あ」


 ガンツが目を逸らした。


 職員達が駆け回る。


「一般客は全員避難!!」


 外から職員の声が飛ぶ。


「地下熱脈の安定化を急げ!」

「いいから出ていけ!!」


 ドワーフは全力で叫んだ。


「このままだとサウナ室ごと蒸し焼きになるぞ!!」


 ◇


 沈黙。リュシアとミルザは顔を見合わせる。


「…………」

「…………」


 さすがに二人とも、これ以上ここへ居座ることが出来なくなった。


 再び沈黙。


 そして二人は同時に立ち上がった。


「うっ……」

「おっと……」


 ふらり。

 リュシアの身体が揺れる。ミルザも壁へ手をついた。

 互いに限界だった。


 二人とも扉へ向かいながら、妙なところで歩調が揃っていた。どちらが先に外へ出るか、それすら譲る気がないらしい。


 やがてミルザが苦笑する。


「……まぁ、引き分けだな」


 肩で息をしながら言う。

 リュシアも汗だくのまま眼鏡を押し上げた。


「そうですわね……」


 息も絶え絶えだった。


 否定する気力すら残っていない。


 ◇


「こっちだ」


 ミルザが手招きする。


「まだ何かありますの……?」

「本番だよ」

「は……?」


 意味が分からない。

 だがミルザはそのまま歩き出した。

 ふらつく足取りでリュシアも続く。


 そして辿り着いた先には冷気を放つ巨大な水風呂があった。


「入れ」

「冷水ですわよ?」

「いいから」


 ◇


 二人は同時に身体を沈めた。


「っ――」

「っ――」


 冷たい地下水が火照った身体を包み込む。最初こそ全身が縮こまるほどの冷たさだったが、数秒もすると熱がすっと引き、二人の呼吸もゆっくり落ち着いていった。


 二人は同時に深く息を吐いた。


「はぁぁぁぁぁ……」

「はぁぁぁぁぁ……」


 地下水の冷たさが身体へ染み渡る。

 熱が抜けていく。意識が澄んでいく。

 リュシアは目を閉じ、ミルザは天井を見上げた。

 そして二人はしばらく無言のまま、水風呂に身を委ねていた。


 ミルザがぽつりと呟いた。


「最高だろ……」


 その声には心からの満足感が滲んでいた。

 リュシアも目を閉じたまま頷く。


「……ええ」


 否定出来ない。 これは確かに気持ちがいい。


「なるほど……これがサウナなのですね」

「だろ?」

「認めますわ」


 リュシアは素直に言った。


「確かに悪くありません」


 ミルザが満足そうに笑う。


 ◇


 しばらくして、ミルザが眉を寄せた。


「ん?」


 ミルザが首を傾げた。

 妙だ。何かがおかしい。


「……冷たすぎないか?」


 キンキンに冷えている、どころではない。気持ちのいい冷たさを通り越して、身体の芯まで染み込んでくる。


「水風呂なのですから当然では?」

「いや」


 ミルザは水面へ手を伸ばした。


「そういう冷たさじゃ――」


 ぴしっ。 小さな音が水面から響いた。


「ん?」


 ぴしぴしっ。


「んん?」


 嫌な音が聞こえる。水面に白い筋が走り、薄い氷が広がっていく。


 ミルザはそこでようやく異変の正体に気づいた


 ◇


 水面には、いつの間にか氷が張っていた。


「…………」

「…………」


 沈黙。


 リュシアもようやく気付いた。

 水面に氷が張り始めていた。しかも、その厚みは見る間に増している。

 

 しかも自分達を中心に。


「リュシア」

「はい」

「氷魔法使ってる?」

「使っていませんわ」


 返事は早かった。

 ただ、リュシアの身体からは青白い魔力がじわじわと漏れ出している。


「…………」

「…………」

「使ってるな」

「使っていますわね」


 認めた。あまりにも証拠が明白だった。


 ◇


「おそらくですが……」


 リュシアは真面目な顔で分析する。


「先ほどまで身体が異常に熱を持っていたためでしょう。急激に冷却されたことで、 無意識に氷魔法が発動したものかと」

「なるほど」

「申し訳ありません」

「うん」


 ミルザが水面を見つめた。


「止めてくれないか?」

「先ほどから止めようとはしていますわ」

「そうか」

「私の意思とは無関係に、魔力だけが動いているようです」

「それ、かなり困るやつだな」


 ぴしぴしぴしぴし。氷が二人の身体の周囲へ広がり、足元から水面を覆っていく。


「リュシア」

「何ですの?」

「足」

「はい?」

「凍ってる」


 ◇


 気づけば氷は胸元まで達し、二人の身体を水風呂ごと閉じ込めていた。


「…………」

「…………」

「出られませんわね」

「出られないな」


 二人とも氷の中で黙り込んだ。

 やがてミルザが天井を見上げる。 遠い目だった。


「なんの修行なんだ……」


 結局、二人を救い出したのはガンツたち だった。 ドワーフの文字通りの鉄槌によって氷を叩き割り、救助されたのである。ちなみに、その氷は三日経っても完全には溶けなかった。


 オルテリア温泉では、以来――。


『水風呂を凍らせた伝説の魔導士』


 という噂が、長く語り継がれることになった。


 なおリュシア本人は深く反省した。

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