第9話「番長、留年する」
第9話「番長、留年する」
三月下旬。私立聖樹学園を抱く大樹海には、先日の『春の奉納紙角力大会』で呼び覚まされた大地のマナが満ち溢れ、見事な千本桜が狂い咲くように花びらを舞い散らせていた。
前人未到の三連覇を達成し、学園の平和と豊穣の春を己の指先一つで守り抜いたエルフンドシ番長・雑賀アルヴェインの名は、もはや生きた伝説として語り継がれる……はずだった。
――そう、はずだったのである。
「……な、なぜだ……。奉納紙相撲で三連覇し、大地のマナを極限まで引き出したこの俺が……なぜ、進級できねぇんだ……!?」
新学期のクラス分けが張り出された掲示板の前。真っ白な一晒し(ふんどし)に極東の長ラン風ローブを羽織ったアルヴェインが、桜吹雪の中で両膝をつき、深い絶望とともに頭を抱えていた。
彼の手元で風に揺れる成績通知表には、見事なまでに一桁の数字(赤点)がズラリと並んでいる。
「アルヴェイン頭(ヘッド)……いくら神事で歴史的な快挙を成し遂げようと、全教科の点数が壊滅的じゃ、制度上進級は無理です……」
「学園長も『アルヴェイン君の漢気と大地のマナは認めるが、算術と魔法幾何学の単位がエルフの限界を超えて壊滅している』と頭を抱えていらっしゃいました……」
舎弟のシマダとサキが、かける言葉も見つからずに申し訳なさそうに視線を逸らす。
そう、アルヴェインは「漢(おとこ)」を磨くための肉体的な修練や精神論に関しては天下一品だったが、根本的に『座学(勉強)』が全くできなかったのである。樹齢数百年を生きる気高きハイエルフでありながら、留年確定という情けない現実。
足元では、霊獣アース・パグのトシロウが「グヒ……(情けない)」と、深く刻まれたシワをさらに寄せてため息を吐いていた。
「はっ! 噂の『エルフンドシ番長』ってのはアンタのことか? 三連覇したとか威張ってるくせに、簡単な算術の公式も解けねぇで留年なんて、ダサすぎて反吐が出るねぇ!」
背後から響いたのは、どこか生意気で、しかし芯の通った粋な声だった。
振り返ると、そこには新品の学園制服を着崩し、首からベーゴマの床(トコ)となるキャンバス地の桶をぶら下げた、小柄な新入生が立っていた。そしてその足元には――
「ビビビビビッ! キャンキャン! キャンキャンッ!」
生まれたての小鹿のようにプルプルと小刻みに全身を激しく震わせながら、鋭い眼光でトシロウを威嚇する超小型犬――チワワの姿があった。ただのチワワではない。その細い毛先からは青白い静電気がバチバチと放電されている。体内に過剰な雷の魔力を蓄電し、自らのエネルギーを持て余して常に震え続けている『雷獣チワワ』である。
トシロウは「グヒッ?」と太い首をかしげ、不思議そうにその帯電した小型犬を見つめている。
「俺は新入生のタキモト! 鉄機山脈の麓、職人街(下町)仕込みのベーゴマの名手だ! おい留年先輩、あんたのその白フン気合いが本物かどうか、俺の計算し尽くされたこの『精霊鉄独楽(せいれいてつごま)』の勝負で試してやろうじゃねぇか!」
「……新入り。桜散る春に、俺の留年の傷口に塩を塗り込む度胸だけは買ってやる。男の勝負だ、受けて立つ!」
場所は学園の中庭。舞い散る桜の下、特設された張りのあるキャンバス地の床(トコ)を挟み、二人の男が対峙する。
「いくぜ、留年先輩! 我が愛機……下町の鉄鋼職人がミリ単位の図面から削り出した完全なる流体力学の結晶、『疾風丸(はやてまる)』の走りを見やがれ!」
タキモトが繊細かつ素早い手首のスナップで、独楽に巻きつけた紐を鋭く解き放つ!
キィィィン!! という澄んだ高音を立ててキャンバスの床へ躍り出た『疾風丸』は、極めて低い重心の軸を維持したまま、恐ろしいスピードで円を描いて暴れ回った。
「見ろ! 職人が削り上げたこの完璧な低重心と角運動量の数式! あんたの鈍重なコマなんか、反発力のベクトル計算で一発で床の外へ弾き飛ばしてやる!」
(くっ……速ぇ! それにあの低い軸、なかなか捉えきれねぇぞ……!)
アルヴェインの額に、冷たい汗が伝う。
だが、テスト用紙に並んだ数式や歴史の年号の前では完全にフリーズしてしまうアルヴェインの脳細胞も、いざ「実戦(勝負)」の場となれば、野生の勘が極限までフル回転を始めるのだ。
(落ち着け……。紐の巻き加減による張力、手首を引き抜く瞬間の初速、そしてコマの『回転軸』の安定性……! 難しい理屈や数式はさっぱり解らん。だが……!)
アルヴェインの目は、猛スピードで暴れ回る『疾風丸』の動きを、まるでスローモーションのように捉えていた。
(これは、重火器の撃発の反動(リコイル)を肩で受け流し、部品を分解・結合するのと同じ、極限まで最適化された力学の連鎖だ! 紙相撲で学んだ『大地の重み』を、どう一点の軸に集約させるかという物理現象に過ぎねぇ!! 脳みそは空っぽでも、この力の流れ(ベクトル)なら、俺の身体が完全に覚えてやがる!!)
アルヴェインは白フンをぐっと丹田で締め直し、大地のマナを右腕の筋肉繊維一本一本へと行き渡らせ、しならせた。
「留年しようがバカだろうが……俺の巻き起こす旋風(かぜ)の軸はブレねぇ! 回れぇぇぇ、『赤フン号・回転(ローリング)』――ッ!!」
スパァァァンッ!!
アルヴェインの手から放たれた重厚な精霊鉄独楽が、空気を切り裂く重低音を響かせてキャンバスの中心へと正確に突き刺さった。
大地の重圧なマナを宿し、回転軸を中心にどっしりと鎮座する『赤フン号・回転』。そこへ、タキモトの『疾風丸』が猛スピードで体当たりを仕掛ける!
カキィィィン!!
激しい火花(精霊光)が散る!
しかし、いくら『疾風丸』が高速で衝突を繰り返そうとも、オークの泥着力特訓と紙相撲の三連覇で培われた、アルヴェインの『大地の軸』は一ミリたりともブレなかった。
「な……なにぃ!? オレの疾風丸の打撃エネルギーを、全部中心軸の重みで吸収して受け流してやがる……!? 理論上、あんな荒削りなコマで、この角運動量に耐えられるはずがないのに!」
「座学の計算はできねぇがな……魂の回転軸(おとこ)のブレなさは、誰の計算式にも負けねぇんだよぉぉぉッ!!」
ドガァァァン!!
アルヴェインのコマが放つ重厚な遠心力と、強烈な反発力(リコイル)が見事に噛み合い、『疾風丸』が弾き飛ばされるように宙を舞って床の外へと転がり落ちた。
「そこまで! 勝者、雑賀アルヴェイン!!」
「そ、そんな……計算し尽くされたオレのベーゴマが……!」
床の横で膝をつき、呆然とするタキモト。
アルヴェインは静かに自分のコマを回収すると、長ランの裾を翻し、フッと涼やかな笑みを浮かべてタキモトへ大きな手を差し伸べた。
「いい回転だったぜ、タキモト。お前の手首のしなりと、力のベクトルは完璧だった。新入生にしちゃ上出来だ」
「あ……あんた……。テストは赤点だらけのバカだってのに……この指先の『軸』のブレなさ、野生の力学……。あんた、理屈じゃ測れない本物の番長だ……!」
タキモトは顔を紅潮させ、その手をガッチリと握り返した。
ふと足元を見ると、先ほどまで静電気を撒き散らしながら威嚇していた雷獣チワワが、トシロウのどっしりとした身体に「キャン♪」と可愛らしく擦り寄っていた。大地のマナを蓄えたアース・パグの質量に触れることで、体内の過剰な電気が放電(アーシング)され、雷獣は初めて心からの安らぎを得たのである。
「ふっ……留年したおかげで、またお前みたいな生きのいい後輩に出会えたぜ。……ところでタキモト。お前……算術と歴史の計算式は得意か?」
「え? まあ、下町の帳簿計算で鍛えられてるんで、普通に学年トップクラスの自信はありますけど……」
「よし! 今日からお前を、俺の専属『家庭教師』にしてやる!」
「へ……!? オ、オレが先輩の家庭教師ぇぇぇーー!?」
ズコーッ! と桜の花びらが舞う中で豪快にズッコケるシマダとサキ。
こうして、前代未聞の留年が決まったエルフンドシ番長は、生意気な新入生の家庭教師を引き連れ、己の赤点と戦うという、新たな学園生活(と補習の日々)の熱きスタートを切るのであった。
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