第6話「男の番長鍋と、牡蠣に似た愛犬」
第6話「男の番長鍋と、牡蠣に似た愛犬」
十二月に入り、千年の大樹が聳える私立聖樹学園にも、身を切るような厳しい冬の寒波が押し寄せていた。波穏やかな内海から吹き付ける潮風が、容赦なく体温を奪っていく。
「ハ……ッ、ハックション!! ……寒ィ……ッ!」
学園の中庭。雑賀アルヴェインは極東の長ラン風ローブを羽織ってはいるものの、下半身は相変わらず純白の一晒し(ふんどし)一丁であった。エルフ特有の透き通るような白い肌にはびっしりと鳥肌が立ち、吐き出す息は濃霧のように白い。彼はガタガタと大樹の枯れ葉のように震えていた。
「頭(ヘッド)! だから言ったじゃないですか、冬場くらい下にズボンを穿いてくださいと!」
「そうです先輩! 精霊と一体化する前に、物理的な寒さで凍死してしまいます!」
舎弟となったドワーフのシマダとエルフのサキが、心配そうに分厚い毛布を差し出すが、アルヴェインは青ざめた唇を噛み締め、頑なに首を振った。
「馬鹿野郎……! 寒さに負けてこの神聖な白フンを解いたら、俺の『漢(おとこ)の道』が廃れるぜ……! 外部の冷気から身を守るんじゃない。己の丹田から、燃え盛る火を起こすんだ……! よし、こんな極寒の日は『番長鍋』に限る!」
「バンチョウナベ……!?」
アルヴェインの力強い呼びかけにより、放課後、柔道部主将のマリオ、そして通りかかった担任のオーク、ゴルバ先生まで巻き込んでの「番長鍋決起集会」が開催されることとなった。
実のところ、アルヴェインはこの学園に編入してくる前、内海に面した活気あふれる湾岸の町で育った過去を持つ。そのため、鍋の出汁と具材――とりわけ、海と山の恵みが交わる海鮮に対する審美眼には並々ならぬものがあった。
「よしトシロウ、漢の臓腑を温める、最高の具材を仕入れに行くぞ」
「グヒッ!」
赤い首輪に繋がれたリードを引っ張り、鉛色の寒空の下、アルヴェインは学園の麓に広がる巨大な活魚市場へと足を運んでいた。
軍港のように整然と船が並び、威勢の良い漁師や魚屋の怒号が飛び交う中、アルヴェインの涼やかな瞳が、砕かれた氷の上にゴロゴロと乱雑に盛られた冬の名物に留まった。
「お、大ぶりの生牡蠣(カキ)か……。波の抵抗を耐え抜いた、いい面構えをしてやがる」
殻から外され、乳白色にぷりっぷりと実った立派な牡蠣。
アルヴェインはトングで牡蠣をひとつ持ち上げ、真剣な眼差しでじっと見つめた。
どこか複雑に波打った、幾重にも重なるシマシマのヒダ。くすんだ独特のグレーの質感。そして、指を跳ね返すようなぷにぷにとした弾力と、フチの黒ずんだ色合い――。
「……ん?」
ふと、アルヴェインは足元で「グフッ……グフッ……」と寒空の下でもマイペースに鼻を鳴らしている霊獣、アース・パグの愛犬に視線を落とした。
トシロウの顔に深く刻まれたシワ。
艶やかに黒ずんだマズル。
首元にたっぷりと蓄えられた、ぷにぷにとした重厚な肉。
アルヴェインは手に持った牡蠣と、トシロウの顔を、何度も、何度も交互に見比べた。
「……トシロウ」
「キュン?」
首をかしげるトシロウ。アルヴェインは極めて大真面目な顔で、ポツリと呟いた。
「……お前、牡蠣に似てるな」
「グヒッ!?」
あまりにも失礼極まりない飼い主の唐突な気づきに、トシロウは「心外である」と言わんばかりに「ワン!」と短く抗議の声を上げた。
だが、アルヴェインの目には深い愛情が宿っていた。
(牡蠣のヒダも、トシロウのシワも……過酷な大自然の荒波と重力を耐え抜いた、生命の証だ。美しいじゃないか……)
アルヴェインは満足げに微笑むと、その牡蠣を大量に買い込んだ。
夕方、底冷えのする武道場の部室。
部屋の中央に据えられた巨大な土鍋を囲み、男たちが車座になって集まっていた。
アルヴェインが用意したのは、単なる海鮮スープではない。長い年月をかけて大豆の旨味だけを極限まで凝縮させた、歴史の重みを感じさせる漆黒の『たまり醤油』ベースの秘伝出汁である。
そこに市場で仕入れた大ぶりの海老、脂の乗った魚のぶつ切り、そしてあの「トシロウにそっくりな牡蠣」がどっさりと投入される。さらにゴルバ先生が裏山の畑から引っこ抜いてきたゴツい大根や白菜が加わり、海と大地の生命力が渾然一体となった豪快な『番長鍋』が完成した。
「ぐつぐつ……と、命の煮詰まるいい音がしてきたな。よし、喰うぞ!」
「「「いただきます!!」」」
分厚い木のフタを開けた瞬間、部屋中に爆発的に広がる、濃厚な海の香りとたまり醤油の芳醇で香ばしい湯気!
シマダが豪快に牡蠣をすくい上げ、ハフハフと口に運んだ瞬間、その目を限界まで見開いた。
「う、うまぁぁぁぁいッ!! なんですかこの出汁の暴力的な深さは! たまり醤油の濃厚なコクが、牡蠣のミルクと完璧に融合して、内臓の底から熱が爆発する!」
「身も心も、芯から焼け付くように温まっていきます……! 先輩、これぞ至高の鍋です!」
サキも魚人のマリオも、熱さに身悶えしながら無我夢中でハシを動かしている。ゴルバ先生に至っては「ウホウホッ!」と歓喜の咆哮を上げながら、大根ごと鍋の汁を豪快に飲み干していた。
「ふっ……だろ? 男の鍋は、誤魔化しのない素材の重みと、気合いで勝負するもんだ。外の寒さなんざ、腹の底からの熱気で押し返してやる」
アルヴェインはフーフーと白い息を吹きかけながら特大の牡蠣を箸で持ち上げ、ふと足元のトシロウを見た。
濛々と立ち込める湯気の向こうで、トシロウが「自分には何もないのか」とばかりに、恨めしそうにこちらを見上げている。
「わかってるよ。お前はネギも、お前にそっくりな牡蠣も食えねぇからな。ほら、漢の特別メニューだ」
アルヴェインが長ランの懐から取り出したのは、市場の帰り道でトシロウ用に特別に仕込み、丁寧にボイルしてきた無塩の極上ササミだった。
「グヒッ! グヒヒッ!!」
短い尻尾をちぎれんばかりに振り、大喜びでササミにかぶりつくトシロウ。その深く刻まれたシワには、確かな喜びが満ちていた。
外は、海から吹き付ける木枯らしが荒れ狂う厳しい冬の夜。
だが、部室の中はもう寒くはなかった。濃厚な湯気と満面の笑顔、そして白フンという一本の芯で結ばれた男たちの熱き絆が、どこまでも温かく空間を満たしていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます