第3話「白フン崩れと、鮮やかな巴投げ」
第3話「白フン崩れと、鮮やかな巴投げ」
卓球のシマダ、けん玉のサキ。
学園の猛者たちを次々と「盤上遊戯」で打ち破り、その歪にして純粋な精神性で改心させてきたエルフンドシ番長・雑賀アルヴェインの名は、今や私立聖樹学園において畏怖と尊敬の象徴となっていた。
この日もアルヴェインは中庭に陣取り、長ランの下は真っ白な一晒し(ふんどし)という清々しい出立ちで、鉄機山脈特注の段ボール土俵に向かい合っていた。大地の律動と同調しながら、無心で紙相撲のトントン稽古に励んでいる。
「アルヴェイン頭(ヘッド)! 本日のプロテイン(最高級きな粉味)をお持ちしましたぜ!」
「頭、今日の締め込みの張り具合、実に神聖で素晴らしいです! マナの集束率が違いますね!」
すっかり熱烈な舎弟と化したシマダとサキが、甲斐甲斐しく左右から世話を焼く。足元では霊獣アース・パグのトシロウが、心地よさそうに「グヒッ」と鼻を鳴らした。
その時である。
ズン……ズシン……ズシン……ッ!
中庭の石畳が、リズミカルな地響きを上げて震えた。トシロウが敏感に反応し、短い耳をピンと立てる。
「……雑賀殿とお見受けする!」
野太く、そしてどこか潮騒の響きを帯びた声。
現れたのは、ぬらりと青光りする屈強な皮膚と、丸太のような四肢を持つ異形の巨漢――学園柔道部主将、魚人族のマリオ・カジキであった。
海を持たないこの大樹海の学園に、なぜ海の民がいるのか。それは学園の地下深くを流れる「海溝直結の大地下水脈」を通じて、彼ら海神の末裔が武者修行の留学生として派遣されているからに他ならない。
マリオのガタイの良さもさることながら、アルヴェインの目を引いたのは、その腰に巻かれた黒帯と、下半身を覆う見事な『白の締め込み』であった。
「俺は柔道部主将、マリオ・カジキ! 噂はかねがね聞いているぞ。白き締め込みを纏い、精神と肉体を極限まで鍛え上げる誇り高き武道家が現れたとな!」
「……おう、マリオ。武道かどうかはともかく、俺はただ『漢』を磨いている最中だ」
アルヴェインは静かに立ち上がり、己の白フンを締め直した。
「素晴らしい! 我ら海神の末裔にとって、締め込み(水褌)とは、激流の抵抗を殺し水圧から丹田を守る、最も神聖なる戦闘装束! 雑賀殿、山の呪術を纏う貴公と、我が柔道部で、畳の上での『一本勝負』を願いたい!」
マリオの曇りのない、まっすぐな武道家の眼光。
アルヴェインはふむと腕を組み、フッと不敵な笑みを浮かべた。
(ふむ……柔道か。まあ、卓球やけん玉と同じ、球や道具を使わない『スポーツ』の一種だな。所詮は力任せの遊び。相手の力を、俺の得意な手首のスナップと精霊の風でヒョイと受け流してやればいいんだろう)
そう、アルヴェインは致命的な勘違いをしていた。
「柔道(組み合い)」が、己の最も恐れる「ガチの物理的な暴力・力勝負」の延長線上にあるという事実を、完全に失念していたのである。
「いいぜ、マリオ。男の勝負だ、受けて立つ!」
「さすがアルヴェイン頭! 柔道でも相手のパワーを圧倒してみせてください!」
「僕も先輩の華麗な無心の技を、拝見させていただきます!」
舎弟たちの歓声に見送られ、一行は武道場へと場所を移した。
武道場には、ピンと張り詰めた静寂と、井草の匂いが満ちていた。
畳の上で対峙する二人。互いに下半身は伝統の白フン、上半身のみ分厚い柔道着を羽織ったという、異種格闘技の極みのようなスタイルである。
「両者、構えて……はじめっ!」
審判のドワーフ教師が放った合図とともに、アルヴェインはカッコよく銀の長髪をなびかせ、余裕の笑みでゆっくりと間合いを詰めた。
「ふっ、さあ来いマリオ。俺の風の手首のスナ――」
「ハァァァッ!!」
ガシィィィッ!!
「――ぶべっ!?」
次の瞬間、アルヴェインの視界がブレた。
マリオの両腕が残像を描き、アルヴェインの襟元と袖を、万力のような力で叩きつけるように掴み取ったのだ。深海の水圧に耐えうる魚人特有の圧倒的な腕力、そして青い皮膚から滲み出る絶妙なヌメリにより、アルヴェインの手首の抵抗など一切意味を成さない。
精密な歯車が噛み合うように、完全にガッチリと捕獲されてしまった。
(ひ、ひえぇぇぇっ!? な、なんだこの馬鹿力!? 痛い痛い痛い! 腕がもげる! 骨が軋んでるぅ!!)
アルヴェインの脳内で、生命の危機を知らせるレッドアラートがけたたましく鳴り響いた。
彼は純粋な物理攻撃(喧嘩)に対しては、スライム並みにひ弱で臆病なのである。
「くっ……離せっ! ちょっと待って、タイム! 離してくださいマリオさん!」
アルヴェインはパニックに陥り、涙目でジタバタと暴れようとした。だが、強靭なマリオのグリップから逃れられないと悟った瞬間、極度の恐怖により、彼の肉体は「完全な硬直状態」へと移行した。
全身の筋肉がガチガチに固まり、ピクリとも動かなくなったのだ。それは、野生動物が捕食者の前で死んだふりをする、あの悲しい防衛本能であった。
「ほう……!」
だが、その不自然なまでの硬直を、マリオの武術家としての感性は真逆に捉えてしまった。
(あえて我が力に逆らわず、大地に根を張ったかのように体勢を崩さぬこの構え……。微動だにせぬ『不動体』の境地! 深い! 深いぞ雑賀殿!)
恐怖で凍りついているだけのアルヴェインを、マリオは「いかなる崩しも通用しない絶望的な達人の防御」と重度の勘違いを起こした。
「見事な体幹だ。小手先の技では、貴公の重心はミリ単位すら揺るがぬらしい。ならば……我が海神の魂を込めた捨身技(すてみわざ)を、真正面から受けられるがいい!」
(捨身技!? なにそれ怖い! 嫌だ、助けてトシロウーッ!!)
「カジキ流奥義――『大渦巴(おおうずともえ)投げ』――ッ!!」
マリオが自ら仰向けに畳へ滑り込みながら、アルヴェインの下腹部――純白の締め込みの結び目付近――に、丸太のような足を深く引っ掛けた。
魚人の強靭極まる背筋と、深海を蹴り上げる脚力が爆発する。
テコの原理が完璧に働き、アルヴェインの百八十センチの長身が、まるで羽毛のように軽々と跳ね上げられた。
「ひぇぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ッ!?」
情けない悲鳴とともに、アルヴェインの体が宙を舞う。
それは武道場の高い天井の梁に届かんばかりの、圧倒的に美しく、そして絶望的な放物線だった。空中で受け身を取る技術など、紙相撲しかしてこなかった彼にあるはずもない。
ただ無様に空を掻きながら、彼は頭から真っ逆さまに落下した。
ドカァァァァァン!!
武道場全体が地震のように揺れ、分厚い畳が衝撃で激しく弾け飛んだ。土煙が舞い上がり、凄まじい轟音が響き渡る。
「……い、一本! 勝者、マリオ!!」
シン……と静まり返る武道場。
土煙が晴れたあとのひしゃげた畳の上には、大の字になり、白目を剥いてピクピクと痙攣している白フンのアルヴェインが無惨に転がっていた。
「あ……アルヴェイン頭ぁぁぁーーっ!?」
「先輩っ!? 先輩ぃぃーーっ! 死なないでください!!」
顔面蒼白になったシマダとサキが猛然と駆け寄る。足元ではトシロウが「キュ~ン……」と情けない声を上げながら、主人の顔をペロペロと心配そうに舐めている。
マリオはゆっくりと立ち上がると、道着の乱れを直し、深く一礼してからアルヴェインを見下ろした。
「……見事だ、雑賀殿」
(どこがだばかやろう!! 痛ぇ! 全身の骨が粉々に砕けたわ!!)
「あえて一切の受け身を取らず、我が魂の巴投げの衝撃を、その肉体一つですべて受け止めてみせるとは。敗北すらも辞さず、技の完成度を身を以て称えてくれたのだな……! これぞ真の武士道、漢の仁義よ……!」
(ちがう! ただ受け身の取り方を知らんかっただけだ!! 痛い! 2度と柔道なんてやるかぁぁぁ!!)
心の中で血を吐くような悲痛な叫びを上げるアルヴェインだったが、完全に脳震盪を起こしており、声帯からは微かな「アッ……アッ……」という漏れ音しか出ない。
こうして、無敗を誇り、学園の伝説となりかけていたエルフンドシ番長・雑賀アルヴェインは、己の無知と勘違いにより、第3話にして衝撃の「完全なる初敗北」を喫したのであった――。
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