エルフんどし番長
水前寺鯉太郎
第1話「一晒(ひとざら)しの番長と、鉄のピンポン」
第1話「一晒(ひとざら)しの番長と、鉄のピンポン」
大陸の中央、豊穣なる『大樹海』と、黒煙を上げる『鉄機山脈』の境界線。古来より相反する自然と工業の文化がぶつかり合うその緩衝地帯に、私立聖樹学園は位置している。
千年の時を生きる大樹が木漏れ日を落とす、気高きエルフたちの学び舎。その裏庭の静寂は本来、優雅な竪琴の音色か、風の精霊の囁きに満たされているはずだった。
だが現在、その平穏を破っているのは異様なまでに集中された振動音である。
「……トントン、トントン……」
切り株の上に設けられた小さな木造の土俵。そこで、精霊紙で折られた二体の紙力士が激しくしのぎを削っていた。
それを指先ひとつで繊細に叩き、ミクロ単位の振動で操っているのは、身長百八十センチを誇る銀髪のハイエルフ――雑賀(さいが)アルヴェインだ。見事に通った鼻筋、深い森を思わせる涼やかな瞳。まさに絵に描いたような美形エルフである。
しかし、その装いはあまりにも狂っていた。いや、現代の退廃したエルフから見れば狂気だが、古代エルフの民俗学においてそれは「真理」であった。
上半身には極東の島国から伝わったとされる刺繍入りの長ラン風黒ローブ。そして下半身は、真っ白な一晒(ひとざら)し――そう、見事な締め込み(ふんどし)一丁なのである。
近代化し、豪奢な絹のローブを着飾るようになったエルフたちは忘れている。大地のマナを最も効率よく丹田へ取り込むためには、過度な衣服を捨て、天と地に肌を晒すこの「一晒し」こそが原点にして最強の呪術装束であることを。
「……はぁっ! 丹田に気を込め、叩く……ッ! この指先の微細なマナの波長こそが、盤面を制す……!」
「グヒ……グヒ……」
アルヴェインの足元では、ブサカワな顔をくしゃくしゃにしたパグ犬のトシロウが、太い首をかしげながら紙相撲の行方を見つめていた。彼もただの犬ではない。大地の微弱な震動を感知する霊獣『アース・パグ』の末裔である。
アルヴェインが「漢(おとこ)」を磨くための、静かで神聖な修練のひととき。
だが、その平穏は、地響きを伴う激しい破壊音とともに無残にも破られた。
ドガァァァン!!
「ギャハハハハ! 軟弱なエルフども、今日からこの聖樹学園は俺たち『黒鉄(くろがね)工業』のシマだぁ!」
正門の分厚いオーク材の扉を、装甲車のごとき勢いでなぎ倒して乱入してきたのは、ずんぐりとした重厚な体躯のドワーフ集団だった。学園が鉄機山脈に隣接しているとはいえ、白昼堂々の不法侵入である。彼らの背後には、黒々とした排気ガスがたなびいていた。
その先頭に立つのは、油まみれの学ランの袖を破り捨て、頭に『全国制覇』の鉢巻を締めつけた男――特攻(ブッコミ)のシマダ。
突然の蛮行に恐怖の悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う優雅なエルフの生徒たち。
アルヴェインは静かに立ち上がると、長ランの裾をバサリと翻し、重厚な一本歯の下駄の音を響かせて歩み出た。
カラン……コロン……。
「……おい待てよ、余校のドワーフ。大樹の静寂を乱し、無抵抗な者に牙を剥くのは、男の仁義に反するぜ」
「ああん? なんだその格好! 美形顔して下半身は白フン一丁かよ! 時代遅れの変態野郎が、俺たちの鋼鉄の拳で痛い目見なきゃ分からんようだな!」
シマダが丸太のように太い腕を振り上げ、猛然と殴りかかってくる。空気を切り裂くドワーフの剛腕。まともに受ければ大木すらへし折れる一撃。
それに対し、アルヴェインは――。
(ひえっ、暴力こわいっ!! 痛いの絶対ムリ!!)
瞬時にギュッと目をつむり、情けないほど身を縮こまらせて、全力でその場から飛び退いた。
そう、アルヴェインは「漢」の美学に異常なまでの憧れを抱いているものの、根本的に平和主義であり、物理的な殴り合い(喧嘩)に関してはスライム並みに弱かったのである。
アルヴェインが全力で回避したため、シマダの拳は空を切り、そのまま前傾姿勢で突っ込んだ彼の分厚い安全靴が、芝生の上に転がっていたある物を踏みつけた。
グシャッ!
それは、トシロウのお気に入りの小さな骨型ゴムのおもちゃだった。
「……キュン」
哀愁を帯びた声を上げ、トシロウが悲しそうに耳を垂らす。ひしゃげたおもちゃを短い鼻先でツンツンと突く姿は、見る者の涙を誘う。
その瞬間だった。
アルヴェインの周囲を漂っていた精霊たちの動きが、ピタリと止まった。先ほどまでの怯えが嘘のように消え失せ、彼の涼やかな瞳に、絶対零度の静かな怒りの炎が宿る。
「……シマダ。貴様、今……トシロウの大切な宝物を踏んだな」
「ああ? なんだよ、たかが犬のおもちゃだろうが! そんなガラクタより、俺の拳の味を教えてやるよ!」
「野蛮な暴力でしか語れぬ輩に、大樹を語る資格はない。男の落とし前は……拳ではなく、文明的かつ最も過酷な『盤上遊戯(スポーツ)』でつけてもらうぞ!」
「盤上遊戯だと? ハッ、面白え! ドワーフは売られた喧嘩と挑戦状は必ず買うのが掟だ! なら俺の戦場、卓球(ピンポン)で勝負だ! 俺はドワーフ卓球大会チャンピオン、特攻のシマダだぞ!」
エルフとドワーフ。かつて両種族が血で血を洗う戦争を繰り返した歴史の果てに、無用な流血を避けるために生み出された代理戦争――それが、超高速で球を打ち合う卓球であった。
場所は移り、学園の講堂。
急遽設置された緑色の卓球台を挟み、二人の男(と一匹)が対峙していた。
「いくぞ白フン野郎! 俺の鋼鉄特注ラケットの重み、受けきれるか! 鍛冶叩き(ブラック・スミス)ドライブ――ッ!!」
ドドォォォン!!
シマダが全身のバネを使って叩き出したピンポン球は、まるで大砲から放たれた砲弾のような重低音を響かせて爆走した。金づちで灼熱の鉄を叩き上げる、ドワーフ特有の超重量打球。球の摩擦熱で、周囲の空気が焦げる匂いがする。
ギャラリーとして集まったエルフの生徒たちが「ひえっ! あんなのラケットごと腕が吹き飛んじゃう!」と絶望の悲鳴を上げる。
だが、アルヴェインは一歩も引かなかった。
彼は白フンの下に隠された丹田へぐっと気を込め、一本歯の下駄で床を激しく踏み鳴らす。
(弓矢で培ったエルフの動体視力なら……見える! 球の軌道、回転、そして球に込められた殺気すらも!)
アルヴェインの右腕が、しなやかな柳のようにしなった。長年、繊細な弓の弦を引き絞り、そして何より、先ほどまで紙相撲の盤面を微振動させていた「手首の超絶スナップ」が極限まで発揮される。
パシィィィン!!
「な、なにぃ!? 俺の重量ドライブを、カットで殺しただと!?」
シマダが驚愕に目を見開く。アルヴェインは球の回転と完全に逆のベクトルへラケットを滑り込ませ、絶望的な破壊力をフワリとした風のような軌道へと変換してのけたのだ。
「男の勝負は、ただの力任せじゃ決まらねぇ……! 相手の力を受け流す繊細な心遣いと、退かない気合いだッ!」
そこからは、息を呑むような怒涛のラリーが展開された。
重戦車のようなシマダのパワードライブが台を破壊せんばかりに叩き込まれる。それに対し、アルヴェインは真っ白な締め込み姿で縦横無尽に講堂を駆け回り、台の下へ滑り込み、精霊の風をまとわせた繊細なスライスでシマダの死角である角(エッジ)を冷酷に突き狙う。
木と鉄、森と山、静と動。相反する二つの概念が、卓球台という小さな宇宙の上で激突していた。
「くそっ、ちょこまかと! これで終わりだぁぁ!」
シマダが渾身の力を込め、高く浮き上がった球に向かって飛び上がった。
「うおぉぉぉ! 風の精霊たちよ、俺のラケットに集え……ッ!」
アルヴェインもまた、下駄を脱ぎ捨て裸足で大地を掴む。ふんどし一丁の肉体が、極限まで研ぎ澄まされた弓のように反り返った。
「喰らえ! 『一晒(ひとざら)し・風陣返(ふうじんがえ)し』!!」
スパンッ!!
アルヴェインの放った球は、シマダのラケットのわずか数ミリ横を、音もなくすり抜けた。まるで実体を持たない風の刃のように。
そして、シマダ側のコートのエッジに触れた瞬間、鋭角に跳ね上がり、講堂の壁に突き刺さった。
「……そこまで!」
審判を務めていた教師の声が、静まり返った講堂に響き渡る。
「二十一対十九! 勝者、雑賀アルヴェイン!」
ワァァァァッ!! と、エルフたちの割れんばかりの歓声が爆発した。
シマダはラケットを取り落とし、がっくりと膝をついた。
「俺の……負けだ。そのフンティエッティ(ドワーフ語で『気高き白布』)に誓った魂、しかと見届けたぜ」
「ふっ……良い汗だったぜ、シマダ」
アルヴェインはフッと涼やかに微笑むと、駆け寄ってきたトシロウを抱き上げた。
彼のふんどしは、男たちの熱き闘いの証としてうっすらと汗に濡れ、しかしどこまでも白く、誇り高く輝いていたのである。
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