第11話

十歳の誕生日を経て、エリザベート様の心身の成長は目覚ましかった。

かつて城の離れを暗雲で覆っていた禍々しい魔力はすっかり鳴りを潜め、今や彼女が通る道には、ほんのりと甘い花の香りと、春の木漏れ日のような温かな風が吹き抜けるほどだった。


だが、更生計画が着々と成果を上げる一方で、新たな試練が訪れる。

「王立幼年社交会」——王国の未来を担う十歳から十二歳の幼き貴族たちが一堂に会する、いわゆる社交界デビューの前哨戦イベントの開催が決定したのだ。


「王立幼年社交会……ですか」


公爵城の執務室で、俺はカルロ公爵から提示された招待状を見つめながら呟いた。


「そうだ、アルス」

デスクの奥で書類に目を通していたカルロ公爵が、鋭くも柔らかな視線をこちらに向ける。

「エリザベートの精神が安定したという噂は、すでに王都の各勢力にも届いている。ヴァルハイト公爵家の威信を示すためにも、今回の社交会には参加させねばならん。そして……当然、専属指南役でありエスコート役として、お前にも同行してもらう」


「はっ。身に余る光栄にございます」


俺は深く一礼した。

原作ゲーム『グラレガ』において、この「幼年社交会」は重要なターニングポイントだった。

原作では、魔力暴走によって他者を拒絶していたエリザベートが、他の貴族の子供たちから「怪物」「恐ろしい化け物」と蔑まれ、その孤立感から周囲の令嬢や男爵令息を容赦なく打ちのめすという惨劇の舞台だったのだ。


(だが、今のエリザベート様なら大丈夫だ。マナーも完璧、魔力の制御も完璧。周囲の貴族たちを圧倒する気品と優しさを身につけている)


俺は胸を張って確信していた。……ただ、一つだけ懸念があるとすれば。


「アルス、何をしているの?」


執務室のドアがすっと開き、エリザベート様が姿を現した。

彼女の胸元には、あの日俺がプレゼントした「手作りのロザリオ」が誇らしげに輝いている。彼女は俺の姿を認めると、すり足で近づいてきて、ごく自然な動作で俺の腕に自分の腕を絡めつかせた。


「お父様と何のお話? 私を置いて二人で内緒話なんて、ズルいわ」


「これこれ、エリザベート。父の前でアルスにべったりくっつくのは控えなさい。公爵令嬢としての矜持はどうした」


カルロ公爵が呆れたように溜息をつくが、エリザベート様はどこ吹く風だ。


「矜持なら、アルスの前だけで発揮すれば十分だわ。それよりアルス、さっき『社交会』って聞こえたけれど……私、そんなところに行きたくないわ。アルスと二人で庭園でお茶を飲んでいる方が、何千倍も有意義よ」


「そう仰らずに、エリザベート様」

俺は苦笑しながら、優しく彼女の頭を撫でた。

「今回の社交会は、エリザベート様がどれほど素晴らしく、気品に満ちた素晴らしいお方になられたかを、世界に示す絶好の機会です。……それに、私もエスコート役として、ずっとお側に控えておりますから」


「……アルスが、ずっとお側にいてくれるの?」


エリザベート様の深海の瞳が、一瞬でパッと輝いた。


「ええ。何があろうと、エリザベート様の手を離すつもりはありません」


「なら行くわ! 私、世界で一番完璧な令嬢として、アルスの隣に立ってみせる!」


前言撤回があまりにも早すぎる。

俺の手を両手でギュッと握りしめ、頬を染めるエリザベート様。

その健気で素直な姿は、実に可愛らしい。……そう、彼女の「矢印」が、あまりにも苛烈に俺一人のみに向けられている点を除けば。


そして数日後、王都の大ホールにて「王立幼年社交会」が華々しく開幕した。


煌びやかなシャンデリアの下、色とりどりのドレスや正装に身を包んだ幼き貴族たちが集っている。

その中央を、俺とエリザベート様が歩いていた。


エリザベート様が身に纏うのは、夜空を切り取ったかのような深い紺色のドレス。そして胸元には、シンプルながらも美しい光を放つ俺のロザリオ。

その圧倒的な美貌と洗練された佇まいに、会場中の視線が一瞬で釘付けになった。


「あ、あれがヴァルハイト公爵家の……?」

「なんて美しいの……まるで氷の妖精のようだわ……」

「暴走の噂など嘘だったのではないか?」


静まり返る会場。驚嘆と称賛の囁きが広がる。

原作の「惨劇」とは正反対の、完璧な社交界デビューだ。


(よし! 作戦は大成功だ! エリザベート様は立派な『聖女』として第一歩を踏み出したぞ!)


俺が心の中でガッツポーズを決めていた、その時だった。


「ご歓談中、失礼いたしますわ」


可愛らしい、しかしどこか計算高さを感じさせる声が響いた。

現れたのは、黄金色の縦ロール髪を揺らした同年代の令嬢——セントラル侯爵家の千金、クラリスだった。原作でも主人公のライバル(自称)として登場する、高飛車だが根は素直な令嬢だ。


「お初にお目にかかります、エリザベート様。セントラル侯爵家が娘、クラリスと申します。噂以上の素晴らしき気品、感服いたしましたわ」


「……ご丁寧にどうも、クラリス嬢」


エリザベート様は完璧な貴族の微笑みを浮かべて礼を返した。完璧な対応だ。

しかし、クラリスの視線が、エリザベート様の斜め後ろに控える俺へと向けられた。


「ところで……そちらの凛々しい男爵令息様はどちら様ですの? 公爵令嬢様のエスコートを務めるほどのお方なら、さぞ素晴らしいご家柄なのでしょうね?」


クラリスは扇子で口元を隠しながら、興味津々といった様子で俺を上から下まで見つめた。

俺が自己紹介をしようと口を開かけた、その瞬間——。


ゴオォォォ……ッ。


会場の温度が、一瞬でマイナス十度ほど急降下した。


「……何か問題でも、クラリス嬢?」


エリザベート様の声から、一切の感情が消え去っていた。

彼女の笑顔は張り付いたように動かず、その瞳の奥には、ドロリとした底なしの深淵が広がっている。


「え……? あ、いえ、ただエスコートのお方が素敵だと思っただけ……」


「アルスは『私の』専属指南役であり、『私の』エスコートよ。他人が不躾な視線を向けていい存在ではないわ」


エリザベート様が一歩踏み出すと、彼女の足元から、見えないほどの微細な氷の結晶がシャリシャリと音を立てて周囲に広がり始めた。

クラリスは顔を青くし、あまりの恐怖に後ずさった。


「ひ……っ!?」


「私のアルスに、安易に話しかけないで。その口を、今すぐ二度と口開けないように凍らせてあげましょうか……?」


(ひえぇぇぇっ!? エリザベート様! 相手は侯爵令嬢ですよ!? 社交界デビュー数分で他家の千金に『物理的凍結宣告』を出さないでください!!)


俺は冷や汗を爆発させながら、即座にエリザベート様とクラリスの間に割り込んだ。


「エ、エリザベート様! クラリス嬢はただ、挨拶をしてくださっただけです! どうかお心を鎮めてください!」


俺がそう言って、エリザベート様の手を両手でギュッと包み込む。

すると、先ほどまでの氷点下の殺気が嘘のように消え去り、エリザベート様は「はっ」としたように正気に戻った。


「あ……アルス……。私、また……」


「大丈夫です。エリザベート様が私を大切に思ってくださっているのは、重々承知しております。ですが、クラリス嬢に悪気はございません。……私を信じて、手を納めていただけますか?」


俺が目線を合わせ、優しく語りかけると、エリザベート様は涙目になりながら小さく首を縦に振った。


「う、うん……。アルスがそう言うなら……」


エリザベート様は俺の袖を固く握りしめ、胸元のロザリオをぎゅっと抱きしめた。

一方、間一髪で凍結を免れたクラリスは、「な、何なのですのこの二人……!」と悲鳴を上げて逃げ出していった。


(危なかった……! 更生はした、確かに更生はしたんだが……独占欲と嫉妬心がカンストしている!!)


俺は周囲の貴族たちが「あの公爵令嬢、完全にあの少年の言いなりだ……」「触らぬ神に祟りなしだぞ……」と引きつった笑いを浮かべているのを見ながら、激しい頭痛に耐えるのだった。

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