第46話 また来てよ
店長が挙げたのは、間宮の名前だった。
本部の経理担当者への確認でも、その名が出た。店へ入れる金額を伝え、売上として処理するよう指示していたのは間宮だった。久世たちが話を聞いたとき、間宮は手元の資料を一枚ずつ確かめ、自分が伝えた指示だと認めた。
ただ、金の出所を尋ねると、そこで口を閉じた。
机の上ではレコーダーが動いていた。間宮は膝へ下ろした両手を握り合わせ、親指の爪をもう片方の手で押している。久世が待っていると、やがて手を離した。
「ギアを売った金です」
「久我も知っていたんですね」
間宮は久世を見た。何かを言いかけたが、声にはならず、視線が机へ戻った。
「あの人は……」
その先を言うまでに、長くかかった。
「久我さんに言われて、私が店へ指示を出しました」
一度答えてしまうと、間宮は顔を上げなかった。金を受け取り、店へ回し、処理を確かめた。その一つずつに自分が関わっていたことを話したあとで、言葉が途切れた。
「やめてほしいとは、言ったんです」
声が少し強くなった。久世へ訴えるように顔を上げたものの、そのまま目を合わせてはいられなかった。
「でも、私も続けました」
久世はその言葉を聞き、次に確かめる資料へ手を伸ばした。
間宮の供述は、会社の会計資料やほかの関係者の話とも重なった。資金洗浄に使われていたのは、玲司たちが訪れた店だけではなかった。久我がオーナーとして経営する複数の店舗で、ギアを売った金が売上に混ぜられていた。工場の運営やギアの販売にも、久我側が関わっていたことが分かっていった。
店長への聞き取りから二週間後、久我省吾は逮捕された。
*
久我が逮捕されてから数日が経っていた。ニュースの写真に写っている久我は、上野の店で会ったときと同じ顔をしていた。
当たり前のことなのに、玲司はしばらく画面を見ていた。客の飯を気にかけ、こちらにも昼食代を出そうとした男の名前が、薬物の製造や販売についての記事に載っている。記事を下へ送ると、摘発された工場の外観が出てきた。
「そこ、私たちが出てきたとこ」
肩越しに覗いていた葵が言った。玲司は写真を拡大しかけて、やめた。あの日、ドアを開けた向こうに誰がいたかまで思い出す必要はなかった。
「分かってるよ」
「何回も見てるから」
「お前も見てるだろ」
葵は否定せず、机の端に腰を預けた。
久我の逮捕は、ニュースになる前に久世から聞いていた。それでも、名前と顔が出ると、電話で聞いたときとは違った。
朝倉は二人の後ろを通り、ソファの脇に置いていた自分の鞄を持ち上げた。
「久世さんが来るまでに、少し片づけますね」
「今日、帰るの?」
葵が振り返ると、朝倉は鞄の口を開けた。
「その話も、久世さんからあります」
「もう決まってるみたいな片づけ方じゃん」
「私物をまとめているだけです」
朝倉は畳んだ服を鞄へ入れた。葵はまだそちらを見ていたが、やがて机から離れ、流しに残っていたコップを洗い始めた。
久世が中野へ来たのは、それから一時間ほどあとだった。
玄関で靴を脱ぎながら、床に置かれた朝倉の鞄を見た。何も言わずに部屋へ入り、玲司が空けた椅子に座る。葵は洗ったコップへ茶を入れたが、渡す前に聞いた。
「私を連れてったのも、久我だった?」
久世は葵を見上げた。
「舟渡の件も、久我側から出た指示だったと分かった。場所を貸していただけじゃなかった」
葵の手が止まった。久世がコップを受け取ると、ようやく手を離す。
「あいつ、私の顔を見て喋ってたんだよ」
玲司にも、店でのやり取りが浮かんだ。葵が連れていかれたことを話しても、久我は声を荒らげなかった。会社で確認すると言い、食べ終わるまで待っていた。
「何をさせるつもりだったの」
「そこはまだ、話を確かめてる。分かったことは伝える」
「またそれ」
葵は久世の向かいへ座った。椅子を引く音が大きくなったが、座ってからは何も言わない。久世も、今ここで答えられないことを別の言葉で埋めようとはしなかった。
玲司がスマートフォンを机に置いた。
「店の方から分かったんですか」
「あの店で、売ってもいない料理の代金を売上にしていた。そこを調べて、本部の人間の関与が出た。工場の捜査と合わせて、久我が何を指示していたかも確認できた」
久世は、玲司のスマートフォンへ目をやった。
「録音も聞いた。あの話を持ってきてくれたのは助かった」
玲司は頷いた。礼を言われると思っていなかったので、返事が少し遅れた。
「あのおっさん、見つかったんですね」
「会ってきた。娘に頼まれたのかと聞かれたよ」
「言いそう」
葵の声に、少しだけ調子が戻った。
「あの人も、もうあそこで食べられなくなるのかな」
玲司が言うと、久世はすぐには答えなかった。
「店をこれからどうするかまでは、俺にも分からん」
「……そうですよね」
あの父親を追って店へ入らなければ、久我の名前を調べることもなかった。男は今も上野にいて、娘のところへは戻っていないらしい。久我が捕まったという知らせだけで、あの人の暮らしまでよくなるわけではなかった。
葵が玲司のスマートフォンを自分の方へ寄せ、暗くなった画面をつけた。
「でも、あいつが捕まってよかった」
写真に向けた声は小さかった。玲司も、そこには頷いた。
久世は二人の反応を見てから、朝倉へ顔を向けた。
「それで、ここに朝倉をつけるのは今日までにする」
葵が顔を上げた。朝倉は椅子の横に立ったまま、久世の話を聞いていた。
「お前らを連れ去る指示を出した側も、動いた連中も押さえた。ずっとここで警護を続ける段階ではないと判断した。ただ、変な連絡が来たら知らせろ。自分たちだけで確かめに行くな」
「分かってます」
玲司が答えると、久世は葵にも目を向けた。
「……分かったって」
「二人とも、返事はいつもいいんです」
朝倉が言った。久世は笑わず、そうだなと頷いたので、玲司は言い返すのをやめた。
葵は机の下で足を組み直し、玄関の方を見た。
「じゃあ、ひなちゃん、もう来ないの?」
「用があれば来ますよ」
「警察の用じゃなくて」
朝倉は葵を見た。その間に葵がコップを持ち、口元を隠すように茶を飲んだ。
「……また来てよ。ご飯くらい食べに」
「私がいない方が、出かけやすいんじゃないですか」
「それとこれは違うじゃん」
葵が顔を上げて言い返すと、朝倉はようやく少し笑った。
「休みの日に、連絡します」
「うん」
葵はコップを置いた。玲司が見ているのに気づくと、眉を寄せる。
「何」
「何も言ってねえだろ」
「顔」
久世が立ち上がったので、玲司も椅子を引いた。朝倉の荷物がまとまるまで、先に車で待つと言う。玄関へ向かう背中へ、玲司は声をかけた。
「真壁は?」
久世が振り返った。葵も、机からこちらを見ている。
「まだだ。本名も居場所も、つかめていない」
「久我は知ってるんじゃないんですか」
「接点は調べてる。ただ、久我を捕まえれば、あいつの所まで行けるという話にはなってない」
玲司は玄関の壁へ肩を預けた。久我が捕まったと聞いたときから、そこも分かるのではないかと思っていた。
久世は声を落とした。
「ギアも、出回っている物に違いがあった」
葵が椅子から立った。
「どういうこと?」
「ほかの事件で押さえた物と比べた。同じ系統の薬だが、混ざっている物や作りの粗さが明らかに違う。もっと精製された物も出ている」
「別の工場があるってことですか」
「大田区の一か所で全部作っていたとは考えにくい。どこから来たかは調べてる。きれいに作ってあるから安全だという意味でもないぞ」
久世の目が葵へ向いた。葵は分かったと言ったが、玲司にはその返事が少し早く聞こえた。
真壁から受け取った物は、まだ三錠残っている。
それがどちらなのか、玲司たちには確かめようがなかった。少なくとも、薬を渡した男まで捕まったわけではない。久我の逮捕で何もかも片づいたのだと、勝手に考えていたのはこちらだった。
久世は靴を履き、ドアを開けた。
「今日はゆっくりしろ。朝倉にも、ようやく帰ってもらえる」
「お世話になりました」
玲司が言うと、久世は部屋の中の朝倉を顎で示した。
「本人に言ってやれ」
*
朝倉の荷物は、来たときより少し増えていた。
鞄だけでは入りきらなかった物を紙袋へ移し、ソファの脇をもう一度確かめる。葵が流しの前から歯ブラシの入ったコップを持ってきた。
「これも」
「ありがとうございます。コップはここのですよ」
「分かってる」
葵は歯ブラシだけを渡した。朝倉が袋へしまうと、空のコップを手にしたまま、玄関までついてきた。
玲司は先にドアを開け、紙袋を持ち上げた。
「下まで持ちます」
「それくらい大丈夫です」
「階段、狭いんで」
「毎日通ってましたよ」
言われて、玲司は口を閉じた。それでも紙袋を返さなかったので、朝倉はお願いしますと言い、鞄を肩へかけた。
階段を下りると、少し先の車で久世が待っていた。朝倉が鞄を載せるのを待ち、玲司も紙袋を渡す。建物の入口には葵がいて、まだコップを持っていた。
「それ、置いてくればよかっただろ」
「うるさいな。今思った」
朝倉が笑ったので、葵も少し笑った。
玲司は朝倉へ向き直った。言おうとすると、逃げ出したときの顔ばかり浮かんできた。
「いろいろ、すみませんでした。助かりました」
朝倉は車のドアへかけていた手を離した。
「本当ですよ。次は、私が探し回る前に連絡してくださいね」
「はい」
葵も隣で頷いた。朝倉が乗り込むと、二人は少し下がって車を見送った。
部屋へ戻った葵はコップを流しへ置き、そのまま玲司を振り返った。
「ご飯、食べに行こ」
「今、外にいたのに」
「これ置きたかったんだもん」
空のコップを指してから、葵は財布を取りに部屋の奥へ入った。玲司は脱ぎかけた靴へ足を戻し、玄関で待った。
久我は捕まった。自分たちをさらおうとする連中を気にしながら、毎日を過ごす必要はひとまずなくなった。
まだ分からないことはある。けれど今夜、何を食べるかくらいは、それを考えずに決めたかった。
「何か食いたい物、あるのか」
財布を持って戻ってきた葵は、少し考えてから答えた。
「肉。ちゃんと、お金払って食べるやつ」
「俺らは払ってただろ」
「じゃあ今日も払って」
「自分の分は出せよ」
葵は笑いながら先に階段を下りていった。玲司が鍵をかけて追いつくと、どの店へ行くかも決めていないくせに、駅の方へ歩き出していた。
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