いつもの四人

@coco_co

1章 いつもの日々

第1話 いつもの午後

2年4月14日


 シュンの部屋は、いつ来ても同じ匂いがした。


 脱ぎっぱなしのスウェットがベッドの足元で丸まり、ローテーブルの端には飲みかけのペットボトルが三本、キャップを外したまま並んでいる。半分だけ開いたカーテンから四月の午後の光が差し込んで、床の上の埃を白く浮かび上がらせていた。テレビの前には『乱闘ヒーローズ』の本体が据え付けられたままで、コントローラーのコードが床で絡まっている。


 ゲーム機の熱と、スナック菓子の油と、男の部屋の埃っぽさ。小学生の頃、誰かの家のテレビの前に四人で並んでいた頃から、この匂いは変わらない。場所が実家の居間から大学近くの木造アパートに移っただけだと、ユウトは思う。


 三限が終わったのが十四時四十分。四限は四人とも空きコマで、五限の一般教養までの二時間弱を潰すのに、大学から徒歩五分のこの部屋はちょうどよかった。


 ベッドを背もたれにして、床にユウト、アキラ、シュンの順であぐらをかいて並ぶ。リクだけがベッドの上に陣取り、膝にノートパソコンを載せて月曜提出のレポートを打っていた。画面から目を離さないくせに、口だけは忙しい。


「シュン、今の復帰は読まれてるぞ」


「うるせー、見てねーくせに!」


「音で分かる」


 アキラの格好は、発症前から着ている黒のTシャツと、グレーのスウェットパンツだった。XLのTシャツは肩の縫い目が二の腕のあたりまで落ち、裾は太ももの半ばまで届いている。スウェットは裾を二回折り返してあった。アキラが発症してから約二ヶ月。四月から大学に戻ってきて、二週間が経つ。


 画面の中で、アキラのキャラクターが場外へ吹っ飛んでいった。


「はあ!? 今の入力通ってただろ! コントローラーの反応おかしいだろ!」


「腕が落ちたんだよ、女になって」


 シュンが笑うと、アキラは「関係ねーよ!」と叫んでシュンの肩を殴った。小さな拳が、ぽすん、と間の抜けた音を立てる。


「全っ然痛くねー」


 シュンが大げさに肩をさすってみせて、ユウトも笑った。ベッドの上でリクまで吹き出している。


 次の試合はシュンとリクの番で、リクがしぶしぶノートパソコンを脇に置いてコントローラーを握った。待つ間、アキラはいつものようにごろりと後ろへ倒れ、ユウトの膝に後頭部を乗せた。ユウトもいつものように、そのまま好きにさせておく。高校の頃から、待ち時間のアキラの定位置はだいたいここだった。肩や足が自然に触れ合っていても、誰も何も気にしない。


 一試合が終わる頃、アキラが起き上がった。前屈みになって、ローテーブルの上のポテトチップスの袋に手を伸ばす。


 緩いTシャツの首元が、大きく開いた。


 ユウトの位置から、グレーのスポーツブラの縁と、その下の丸い膨らみが見えた。


 目が一瞬だけ止まった。


 ――ああ、こいつ、本当に女になったんだな。


 見舞いに行った病室でも、四月にキャンパスで再会した時も、頭では分かっていたことだった。それが今、初めて目で分かった。友達の髪型が変わっていたのに、何日も経ってから気づいた時の驚きに似ていた。ユウトは自分の中で小さく「すげーな」と笑い、画面に視線を戻した。


 そういうことは、他にもいくつかあった。コントローラーを受け渡す時の手が、一回り小さい。負けて叫ぶ声が高い。隣から漂ってくるシャンプーの匂いが、前と違う。


「お前、なんかいい匂いすんな」


「ああこれ? 入院してた時に母ちゃんが買ってきたやつ。なんか女用のやつ。もったいないから使ってる」


「へえ」


 ユウトはそれ以上何も思わなかった。へえ、と思っただけだった。


「お前ら、五限あるだろう」


 十六時十五分、リクが壁の時計を指差した。


「やべっ」


「出席取るんだよ、あの講義!」


 四人で慌ただしく部屋を飛び出す。キャンパスまでは緩い上り坂が続いていて、四人は小走りにそれを上った。


 アキラだけが遅れた。


「アキラおっせー!」


 先頭のシュンが振り返って叫ぶと、アキラは息を切らしながら叫び返した。


「歩幅が変わったんだよ!」


 ユウトは何も考えずに歩く速度を落とし、アキラの隣に並んだ。そうしたことに、ユウト自身は気づいていなかった。


 五限の一般教養は、三百人が入る大教室だった。四人は後ろの方の席に並んで座る。講義が始まって十分もしないうちに、アキラは机に突っ伏して寝息を立て始めた。


 ユウトは一つ前にずれて座っていたから、アキラの後ろ姿がよく見えた。短く刈った髪。組んだ腕に頬を押しつけた、少し背中の丸まった寝方。高校の頃、数学の授業で毎日見ていた姿と、何も変わらない。


 変わんねえな、こいつ。


 ユウトは小さく笑って、ノートに板書を写した。


 隣でシュンがスマホをいじっている。ポケットの中でユウトのスマホが震えた。取り出すと、ツナグのグループ『いつもの』に、シュンからのメッセージが一件届いていた。


『土曜ひま?』


 ユウトは画面をしばらく眺め、返事を打たずにポケットへ戻した。リクも、寝ているアキラも、返さなかった。


 教壇の上で、教授がスライドを一枚めくった。

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