Case 01: Personalization — 似合う

 二〇二八年五月九日。


 会議室の窓に映った顔を確かめてから、千尋は取引先の二人に向き直った。

「お待たせしました。担当の水原です」

 若いほうの男性が少し遅れて立った。こちらを見る時間が長かった気がして、千尋は名刺を渡すときにもう一度笑った。

 もう一人はオンラインでは何度か話した女性だった。画面で見るより若い。ただ、鼻の下から顎までが妙に長く見えた。中顔面も長すぎ。可哀想かも。前髪を作ればまだいいのに。

「こちら、先ほどお送りしたものなんですが」

 女性が資料を開き、千尋も手元の画面を切り替えた。数字を二か所直せば午前中には出せそうだった。午後から別の仕事にかかれる。


 ◇


 昼休み、理沙との待ち合わせまで十分あった。千尋は店の前のベンチでSNSを開いた。


『新作ティント全色塗ってみた! 室内だと結構色違うので最後まで見てね』

 腕に塗った色を見せる動画を飛ばし、唇に塗るところまで送る。七番が可愛かった。千尋の持っているものより青みが強い。番号を忘れないように保存した。

 猫が洗面台に落ちかける動画は途中で送った。次は韓国に一か月滞在した女性のVlogだった。

『ようやく腫れも引いてきたので、今日はカフェ巡りします』

 笑ったときの涙袋が可愛くて、少し戻してもう一度見た。

 ホテルの部屋でメイクをするところを見ていると、理沙が目の前で手を振った。


「いた。何見てるの」

「これ。いいなと思って。一か月くらい行きたい」

「そんな休める?」

「辞めるときとか」

「ああ、それならね」


 店に入り、注文を済ませたところで理沙が言った。


「そうだ。千尋、昨日無視したでしょ」

「いつ?」

「駅前。あの新しくできたパン屋のとこ。七時くらいかな。結構大きい声で呼んだんだけど」

「昨日は会社出たの八時過ぎだよ」

「え、じゃあ違う人だ。知らない男の人といたからさ。声かけちゃまずかったかなと思って」

「知らない男って」

「私が知らないって意味。背、高かった」

「うちのは高くないから、どっちにしても別人」

「だよね。でも似てたな。髪もそのくらいで」

「そんな美人だった?」

「顔は遠かったけど、雰囲気が」

「そこは美人だったって言ってよ」


 理沙が笑ったので千尋も笑い、さっきのティントを見せた。理沙は七番より四番のほうが好きだと言った。


「四番はある。似たの持ってる」

「じゃあ要らなくない?」

「七番は持ってないもん」

「そうやって増えるんだね」


 理沙にはあまり色の違いが分からないらしい。千尋は七番を塗った場面で止めた。見返すとやっぱり欲しかった。次の休みに店で試すことにした。


 ◇


 理沙と別れて会社へ戻る途中、後ろから男の声がした。


「ねぇ、マキ」


 誰かを呼んでいる。千尋は歩きながらバッグにスマホをしまった。


「ねぇ! 何でさっきから無視すんの? ねぇ、マキ!」


 声がすぐ横まで来て、背の高い男が千尋の前に回り込んだ。眉間に皺を寄せ、こちらを見下ろしている。


「え? あの……人違いじゃないですか?」


 男は口を開きかけたまま千尋の顔を見た。


「あっ……ごめんなさい。あまりにも彼女に似てたので、つい」

「ふふ、彼女さん、美人なんですね」

「え? ……ええ、まあ。あの、すみませんでした」


 男は頭を下げ、来たほうへ戻っていった。

 ナンパならSNSくらい聞けばいいのに。あれで終わりなのかと少し拍子抜けしたが、顔はタイプではなかった。まあいいか。

 それにしても、思い切って美容整形をして良かったと常々思う。以前の私は路傍の石のようだった。今は違う。

 すれ違った男が振り返るのだって、もう慣れたものだ。背筋を伸ばして堂々と歩くのは、とても気分が良いということを、生まれ変わって初めて知った。


 ◇


 施術を受けたのは二〇二七年の秋だった。夏に相談へ行ったとき、千尋は保存していた顔の画像を医師に見せた。SNSの広告で知ったクリニックだった。

「鼻はこういう、まっすぐなのがいいです。あと、顎もこの人みたいに細くしたくて」

「横から見た写真もありますか。どのくらいを希望されているか、確認しましょう」

 千尋は別の画像を開いた。何枚も見比べて、これがいちばん好きだと伝えた。

 鏡で仕上がりを見た日は、もっと早くやればよかったと思った。今もそう思っている。


 ◇


 木曜の夜、ショート動画を見ていると、施術を受けたクリニックの広告が流れてきた。見慣れたロゴの下に、女性のビフォーとアフターが並んでいる。

 千尋はアフターの顔を見て動画を止めた。化粧を落とした自分にしか見えなかった。

 あれ? 私、症例写真許可したっけ……?

 撮影されたことは覚えている。何枚も書類にサインをしたけれど、広告に載せていいと言った覚えはなかった。

 隣のビフォーの女性は目元からして違った。千尋の昔の顔ではない。アフターを拡大すると、髪の間から見える耳も自分より丸いような気がした。でも顔に目を戻すと、やっぱり自分だった。

 クリニックに確認しなきゃ。千尋は広告を保存した。


 ◇


 翌日の金曜、千尋は家で夕飯を食べながら顔タイプの診断動画を見ていた。

『大人顔だと思ってたけど診断受けたら違った。今までの服どうしよう笑』

 投稿者は似合うと言われた服を順番に着て見せた。最後のブラウスは千尋も好きだった。商品名を探しにコメント欄を開くと、テレビから聞こえてきた地名が勤め先に近かった。

 画面の右側に女性の写真が出ていた。

 千尋は箸を持ったままテレビを見た。自分の写真かと思った。

 写真の女性は斜めに顔を向けていた。千尋がよく自撮りする角度の顔だった。

 いつ撮ったものだろう。そう考えてから、写真の下に出ている名前を読んだ。三崎莉央、二十六歳。知らない名前だった。

 キャバクラ店勤務の女が薬物を所持していた疑いで逮捕されたと、アナウンサーが話していた。画面が建物の入口に変わる。

 理沙にメッセージを打った。

〈今テレビに出てる人、ちょっと私に似てない?〉

 送らずに消した。わざわざ逮捕された女に似ていると言うこともない。

 テレビはもう別のニュースだった。冷めた夕飯を食べ終え、さっきのブラウスのページを開いたが、欲しかった白は売り切れていた。


 寝る前、恋人から日曜の予定が届いた。

〈三時くらいに行っていい?〉

〈いいよ。夜どうする?〉

〈外で食べよう〉

 千尋は店を二つ送った。彼の返事を待つ間にSNSへ戻ると、あのティントの別の色が流れてきた。七番を明日買いに行くことを思い出した。


 ◇


 土曜の売り場では、七番のテスターだけが使われていた。千尋は少し離れて順番を待った。鏡の前にいる女性は手の甲に何度も色を重ねている。千尋の位置からは後ろ姿しか見えなかった。

 その女性への接客を終えた店員が千尋の顔を見て、一瞬目を見開いた。

「七番を試したいんですけど」

「え、あ、はい、どうぞ」

 女性が離れ、ようやく唇にのせてもらうと、動画で見たより鮮やかだった。

「少しぼかしても可愛いですよ」

 店員が輪郭をなじませてくれた。顔色が明るくなって、いつもより目元のメイクが薄く見える。

「あ、こっちのほうがいいです」

「お似合いです」

 千尋は一つ買った。日曜はこれに合わせてアイシャドウを変えようと思った。


 店を出たのは六時過ぎだった。一人で夕飯を食べて帰ろうと、駅の上にあるいつもの店に入った。料理を待ちながらSNSを開くと、昨日の服の動画がもう一度流れてきた。白いブラウスのところで止め、今度は似た服を売っている店を探した。


 ◇


 日曜、彼が来る前に千尋は七番のティントを塗った。昨日教わったとおりにぼかしてみたが、店員ほどきれいにはできなかった。一度拭き取り、少なめにつけ直したらうまくいった。

 彼は三時を少し過ぎて来た。

「昨日、何してた?」

 玄関を開けるなり、怒った声で聞かれた。

「買い物。どうしたの?」

「どこで」

「駅のほうだけど。何で?」

「俺もいたんだよ。道路の向こうだったけど」

「何それ。いたなら声かけてよ」

「なぁ、昨日一緒に歩いてた男、誰?」


 ◆


処理ログ

ユーザ:水原千尋

時刻:日本標準時(UTC+09:00)


2027-04-16 22:18:34.206

処理:観測

連携SNSから直近三十日分の閲覧・保存履歴を受信。保存された顔の画像十九件に、直線的な鼻筋、先端の細い顎が共通。投稿者の異なる動画でも、横顔の場面を再視聴。顔の好みと推定。施術の希望は本人から未入力。


2027-04-17 00:12:08.471

処理:外部送信

送信先:連携SNSの広告配信サービス二社。

送信内容:本人の連携ID、推定した好み「直線的な鼻筋・細い顎」。

顔の好みの広告利用を許可した既存の継続設定を適用。


2027-04-18 00:12:09.583

処理:広告選定

二社から、広告閲覧者の保存が多い症例群にも同特徴があるとの応答。既存の広告候補から、この群に含まれる複数院の症例を優先するよう指定。丸い鼻先の症例は順位を下げる。配信順の変更完了を受信。


2027-08-23 20:46:17.092

処理:結果

広告サービスの記録:四月の初回配信ではリンク遷移なし。五月九日に優先した症例広告から医院ページへ遷移し、別の二院も閲覧。三院とも、最初に表示された症例は直線的な鼻筋と細い顎の組み合わせ。

本人入力:三院への相談を終え、第一候補を選択。秋の施術予定の登録依頼を受け付け。


2028-04-30 21:08:42.315

処理:更新

本人入力:「今の顔は気に入ってる」。施術広告の優先度を下げる。連携SNSで新たに保存されたリップ製品・服装例を広告二社へ送信。顔の好みは維持。リップの広告も同じ特徴のモデルを優先するよう指定。


2028-05-09 22:36:51.184

処理:観測

連携SNSの閲覧履歴を受信。韓国一か月滞在Vlogの視聴を継続。顔のアップへ戻して再視聴。同日、涙袋のふくらみを見せる別投稿を二件保存。前月まで同部位の投稿は冒頭で離脱、保存なし。涙袋への関心を新たに推定。施術希望の入力は未受信。


2028-05-09 22:36:51.629

処理:外部送信・候補更新

広告二社へ推定した好み「ふくらみのある涙袋」を追加送信。該当する症例広告を候補に追加するよう指定。二社から候補更新完了を受信。


――――――――――――――――――

【あとがき】

SNSの普及によって、美醜の価値観がイイネで数字になった結果、無意識の「こうなりたい」もAIによってターゲット広告の的にされると、もしかしたら世の中に似てる顔が溢れることになるのかな?と思ったお話です。美を求めた結果、恋人からすら判別が難しくなると怖いなーと。




 

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