第9話 東海林教授
思わず叫んだ僕の声に、
「待たせてしまいましたか?」
僕は焦った声を出した。
「いえ。レンタカーを借りたら思ったより早く着いただけです。お気になさらず。」
相変わらず感情がないロボットのような口調で教授は車の後部座席を開けた。
「もう夕食は済ませましたか?」
「いえ……まだですが……」
「では良かった。フライド・チキンを買ってきました。食べましょう。」
教授は後部座席から某有名フライド・チキンチェーン店の大きなバケツを持ち出した。
「……は?」
「安心して下さい。栄養バランスを考えてサラダも買ってあります」
「いや…そうじゃなくて…」
僕の声をスルーして、教授が宇宙の前にしゃがみ込んだ。
宇宙が驚いて僕の後ろに隠れる。
教授は全く気にせず仏頂面のまま、まるで名刺交換するような口調で頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。私、君の保護者予定の彼の上司で東海林と申します。これ、お気に召すと良いですが」
キョトンとする宇宙の前に、宇宙服を着たシロクマの縫いぐるみが差し出された。
モッフモフの大きな縫いぐるみを、宇宙は遠慮がちに受け取った。
◆◆◆
この宿舎で…何が起こっているんだろう…?
卓袱台の上に置かれた大きなフライド・チキンバケツと彩りサラダ。
フライドポテトやロールパンは時期外れのクリスマスの様だ。
だが、クリスマスの雰囲気ではない。誰も喋らない。ただ黙々と3人でチキンを食べる。
何だ?この時間……
「それにしても……」
教授はきれいな正座をしながら宿舎の中を見渡して口を開いた。
「まるでタイムスリップしたかのような所ですね。」
「すみません…不便な所で」
「いえ、悪い事ではありません。」
全人口20人の限界集落。
ここに僕が移住してから実はまだ半年も経っていない。
そして僕がこの天文台に移住したきっかけは、今目の前に座っている東海林教授からの推薦だった。
先輩との人間関係は複雑で、ただ黙々と観測だけすれば良いわけではない環境に疲れた僕は、ある日東海林教授からの呼び出しを受けた。
「市からの募集がありました。住み込みで観測をする職員を募集しているそうです。かなり山奥で不便かもしれませんが、行ってみませんか?」
そう言われた時、正直
ああ、切られた。
と思った。
実際僕は大した成果を上げられておらず、お荷物になっているのを自分でも感じていた。
何かの糸が切れたのだと思う。
パンフレットに載った写真の星空が見事だったのもあって、僕はこの村への移住を決めた。
移住して30分で後悔したけど、何とか今日までやって来た。
僕の主な仕事は日々の観測データをまとめて送ること、あとは予約が入った時の観光客への天体案内だ。
ずっと天体望遠鏡を覗いているイメージだと思うが、近年の天文学者はコンピュータさえあれば何処でも仕事ができるので、現在は特に仕事に不便は感じていない。
この村の満天の星空も、飽きることなく僕の心を穏やかにしてくれる。
過去の事を思い出していた僕に、教授は思わぬことを言った。
「この環境でもあれだけ正確でまとまったデータを送ってくれるあたり、やはり君は優秀ですね。」
「………はい?」
「どうしました?」
「いえ、あの…僕はてっきり…研究室には必要ないからここに飛ばされたのだ…と」
「…………?誰がそんな事を?」
教授は本当に意味が分からないという様な口調だった。
「いや、別に誰かに言われたわけではないんですけど…」
「君は目立ちこそしませんが、安定していて優秀です。あと人当たりも良い。君ならこの環境でも安定して仕事ができると考え推薦しました。」
ロボットのような感情の無い声が、僕の心の奥底に染み渡っていく。
じんわり涙が滲んできたので誤魔化したくて目を閉じた。
膝に小さな手が触れた感覚がした。
目を開けると宇宙が心配そうに僕の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫だよ」
僕は宇宙の手を握って頷いた。
優しい子だなと思った。
「研究室には子育て支援の制度もいくつかあります。これ、案内です。」
教授は薄い冊子を卓袱台に置いた。
「わざわざ、この為に?」
「はい。あとは急なことで君が困ってないかと確認に。実際に目にしないと分からないことがありますから」
僕はこの教授の事を勘違いしていたらしい。
「あと、宇宙君にね…」
教授は少し照れたように言った。
「宇宙君に…その縫いぐるみを届けたくて」
教授の目線の先には先程宇宙に贈られたシロクマの縫いぐるみがあった。
宇宙も気に入ったらしく、今は宇宙の隣に寄り添うようにして置かれている。
「教授って……子供好きなんですか?」
「嫌いだと言った事がありましたか?」
「いえ。そういえば…そんな話した事なかったですね……」
「子供には無限の可能性があります。ビッグバンに匹敵する素晴らしい存在です」
解るような解らないような…
僕の中の教授のイメージが今日で完全に崩れさった。
もちろん、良い意味で。
後で知った話だが、教授には6歳の娘さんと4歳の息子さんがいるらしく、大変な子煩悩だと大学教授陣の間では有名だったらしい。
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